井川雨畑林道(前編)

  井川雨畑林道は、山梨県南巨摩郡早川町の雨畑と、静岡市葵区の井川湖を結ぶ全長約45kmもの長い林道である。
  県境の山伏峠は標高2000m近く、唯一の南アルプスを横断する道路でもある。かつては山梨県側に長いダート区間が残り、崩落や工事による通行止めも日常茶飯事だったようだが、現在では大分舗装化も進んでいるようだ。
 山梨県のHPによると、山梨県側雨畑から峠までの全長28,044mの内23,456mという妙に並びの良い距離が舗装済みとなっており、約5kmのダート区間があるように見えるが実態はどうやら異なるようだ。
 

出発




 

 2009年8月9日
 
 夜明け前に身延市街地を出発。
 
 標識では左の県道810号方面が雨畑方面となっているが、目指す井川雨畑林道はこの県道からさらに分岐しているという訳ではなく、県道の終点はそのまま林道の起点であり、形上は一本の道のようになっている。














 

 川沿いに緩やかに登って行く県道は、いかにもダム近辺というようなカマボコ型のトンネルを二つ抜け、雨畑ダムに到達する。
 
 この雨畑ダムは1967年竣工の発電専用ダムで、日本では珍しい電力会社以外の所有するダムである。
 
 ちなみに所有者は住友軽金属で、ここで作られた電力は蒲原市にある同社の工場でアルミニウムの製造に使われているらしい。

 













 午前5時57分いよいよ井川雨畑林道起点に到達。
 
 「雨畑ゲートまで17,811Km 県境まで28,045km」 
 なんと1m単位まで示された妙に細かい距離表記だが、これは当然山梨県側のみの距離である。長い道程になりそうだ。

 さらに「八森隧道及び千島隧道が工事中」という看板があり、その横の通行止のお知らせは、その工事の日時及び時間帯を示しているようだが、いずれにせよ今日は該当しないようで特に問題はない。
 















 特にゲート等は無い林道へ入ると、「おにぎり」型の標識類が現れる。

 「安全速度20km以下 11人乗り以上の車(マイクロバス含む)の通行禁止」等示されれているが、逆に言えば普通車の通行に制限はなく、もちろん自転車は言うまでも無いということか。
  
 それもそのはず、この辺りの沿線には民家が普通に点在しており住民の重要な生活道路になっている。
八森隧道 千島隧道 旧稲又橋









 10分もしない内に、先ほどの予告にあった八森隧道に到達する。
 
 見てのとおり、並みの廃隧道でも無いほどの老朽化ぶりである。補修工事が必要なのも頷けるが、この先の道の整備具合を思うと、ここまで放置されたのも謎だ。
















 その先はというと、荒れた1.5車線程度の舗装路がしばらく続いている。
 
 しかしガードレールは途切れずにしっかりと続いていて、一般的な林道のイメージとは違う。
 
 峠の途中から始まるような林道によくある「一般車の通行は自己責任で」というような注意書きも当然無く、この辺りは限りなく県道810号の続きのような扱いになっているようだ。

















 八森隧道から約15分。再び隧道が現れる。
 
 篇額の画像を拡大して見てもそうは読み取りづらいのだが、これが入口の看板にあった千島隧道であろう。
 
 現状工事が行われているようには見えなかったが、先ほどの八森隧道程で無いにしても老朽化していることは間違いない。


















 トンネルを抜けると、立派なトラス橋の稲又橋に差し掛かる。
 
 それよりも下に見える半分だけ残った旧橋らしきガーター橋。(マウスオーバーで拡大します)絶妙のバランスで辛うじて落下を免れているがもう半分は何処へいってしまったのだろうか。


 今日は下を流れる川も非常に水量も少ないが、ひとたび大雨が降れば暴れ川へと変貌するようだ。
 
 


貴重なダート






 稲又橋を渡ると、路面状態は格段に良くなり、集落が現れる。
 
 道路の改良工事は現在も進行中なようなので、いずれは麓まできれいな状態になるのであろう。


















 




 川沿いに広がる稲又集落を抜けると道は東に進路を変え、一気に登って行く。

 先ほど渡ったばかりの稲又橋も小さく見えるが、井川雨畑林道全体で見れば、まだ5分の1も来ておらず、始まったばかりだ。

 地図によると、この先で小さな峠を越えるようになっており、そこそこ長い隧道もあるようだ













 


 峠を登ると稲又橋から1km弱でこの稲又トンネルに到達する。
 長さは200m弱程あり、ブロック状の装飾や金文字の篇額も立派だが、そこは林道ということか、内部は無灯である。

 なお、隣に旧隧道が現存ということだったが、この時は確認できなかった。




















稲又トンネルから500m程進んだ所が、この林道に唯一残るダート区間である。

 約10年前程前まではこの井川雨畑林道の山梨県側には多くのダートが残り、全国屈指のロングダートと言われていたようだが、現在では舗装化が進行し僅かにこの辺りにフラットダート約500mを残すのみとなっている。

 ここも数年以内にに舗装化される運命であろう。


最奥の集落へ






 ダート区間が終わると室草里の集落に入る。
 
 雨畑川の造りだした狭い平地に建つ深山の集落だが、江戸時代初期からの長い歴史があり当時は金鉱石なども採れたという。
 
 昭和44年にこの林道が開通するまでは徒歩が唯一の交通手段で、おそらく米なども取れないこの地での生活には大変な苦労があったのであろう。
 
 麓まで舗装路が通じた現在でもここでの生活はしっかりと営まれているようで、空家も見受けられない。












 
 



林道入口にあったのと同じ内容の看板だが、解り易い地図付きで現在地が確認できる。

 これによると、既に山梨県側は半分近く進んでいるようだが、この先の道の屈曲ぶりは半端でなく、険しい道程が想像できる。











 





 


 


既に標高700mを越えた道は、雨畑川とその支流を何度も渡りながらさらに標高をあげ、この大きな切り通しを過ぎると最奥の集落が近づく。


















 この辺りが最奥の集落の長畑のようだ。

 ここには昭和初期まで金鉱山があり、「長畑千軒」と呼ばれる程栄えたという。今では数軒の民家が残るのみだが、広い空地がかつての繁栄を物語っている。

 また何処かに廃坑や番屋の跡もあるという。
 







長畑ゲート







 長畑集落を過ぎると、一切の民家は無くなり、ここから先は完全な無人地帯になる。

 一般車両通行止とあるが、期間の日付が昭和で現行の看板で無いようにも見えるが下の管理者名称はシールで貼り直されている。

 実際この林道はかつては必ず何処かで工事や崩落があり、全線通り抜けられるのは稀なことだったという。 舗装化が完了した今でも先日の台風ではやはり通行止になったようだ(現在は復旧)


















 14t制限の橋。
 
 14tもあるような車がここに来ることあるのかとも思うが、工事用の大型車両など入ることもあるのであろう。

 後ろの看板にはスピード カーブ 落石 路肩 注意とある。要するに何でも注意しろということか。















 現在時刻7時31分 いよいよ長畑ゲートに到達。

 黄色い看板には色々と書かれているが、ここから先への一般車の通行を制限するものではない。
 
 標高の割にはさほど雪は多くないと思われるこの地だが、この先は12月中旬から五月中旬まで冬季閉鎖予定とある。
















 

 山伏峠16km、井川湖32km。青看ならぬ茶看は環境に配慮したもの?

 かつては滅多に開かないとされていたゲートも今日は全開だ。

 これからいよいよ標高差800m以上を登り詰める雲上の回廊が始まる





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