日本縦断西日本編10日目【平成16年2月21日】ビジネスホテルいわた〈鳥取県鳥取市〉⇒米子駅〈鳥取県米子市〉

旅先でテレビを見るのは楽しいものだが鳥取の朝は、どのチャンネルも天気予報以外東京と同じ内容だった。

 その天気予報によると今日は一日中晴れで、気温も上がるとのこと。早速準備をして704、宿を出る。今日の目的地、米子までは100kmほどあり結構長距離だが激しいアップダウンが連続するリアス式海岸を走った昨日と違い、地図を見る限りでは今日は平坦な海岸線が多く快走出来そうだ。

 しかし、明日は仕事だ。なんとしても汽車の時間に遅れる訳にはいかない。再び、鳥取駅前を通り国道29号を少し走ると、山陰本線と併走する県道へ出る。

 今日最初の駅、湖山駅の写真で見た古めかしい木造駅舎は白壁にKOYAMAと書かれた洒落た建物に変わっていて、恐ろしいほどのリフォームぶりだった。

 

 この先、高校生で賑やかな鳥取大学前駅を過ぎると、線路の向こうに湖山池を見ながら走るようになる。
朝もやのかかった湖面はなかなかで、これをバックに列車を撮れば絵になる物が出来るだろう。

 ホームと待合室だけの末恒駅の先で国道9号と合流し、いよいよ日本海沿いを行くようになる。この辺りは「白兎海岸」といい神話の舞台になった所だそうで、それを示す案内板があった。



 鳥取市と気高町の境の海岸線は複雑で、国道もトンネルの連続するアップダウンのある道になっている。

 トンネルとトンネルの間には山と海に挟まれた小幌の様な所もあり、こんな所でトンネルが通行止めにでもなれば大変だ。

 気高町に入り、海岸線が穏やかな砂浜に変わると818、宝木駅到着。この駅は立派な屋根の木造駅舎があるが、写真で見た昔の物とは少し違っていた。

 山陰本線の鳥取―米子間は旧来からの木造駅舎をリニューアルして使っている所が多く気分がいい。平坦な海岸沿いの道は続き「貝殻節」で有名な浜村駅に919、到着。

 この駅も浜村温泉の下車駅にふさわしい、きれいな駅舎にリニューアルされている。駅前には温泉の足湯があり、さっばりした気分で出発することができた。

 次の青谷駅との間、山陰本線はトンネルを掘って最短距離で到達するのに比べ国道は小さな岬の付け根を越えるルートを取っていてアップダウンはあるが、いままで走った海岸線を一望できる眺めの良い道だ。


 木造駅舎の青谷駅に立ち寄り海岸線が磯辺から砂浜に変わる頃、泊村に入る。

 泊村は「グランドゴルフ発祥の地」らしく、鳥取県の恐らく全市町村にあるカントリーサインの図柄にもなっていた。
 また、国道沿いには黄金に輝くボールをクラブが突き刺しているモニュメントもありグランドゴルフファンなら一度は訪れたい所ではないかと思う。

 

 しかし、今北海道で流行している「パークゴルフ」とグランドゴルフの違いはどこにあるのだろう。なんだか名前が違うだけではない深い理由がありそうだ。

 コンクリート製の簡易駅舎がある泊駅には1030、到着。山陰本線は、ここから進路を南に変え三朝温泉の玄関口、倉吉を経由して米子へ向かうが、国道9号は海岸沿いを直進している。俺は山陰本線には付き合わず「日本のハワイ」を目指し国道を行く事にする。

 暫定開業で無料開放中の「山陰道」泊東郷インターを過ぎた辺りで、いよいよ羽合町に入る。

 すぐに「ハワイ風土記館」という看板が見つかり、自治体がこの町名を活かそうと努力している所が感じられた。



 この辺りの海岸は「ハワイビーチ」というそうだが、それを示す看板とシュロの並木と沖の小島に立つ鳥居とのバランスが絶妙だった。

 山陰道のインター近くには、「アロハセンター」もあるようだが一体どんな施設なのだろうか。

 しかし大変残念なことに、市町村合併でこの羽合町という地名は消え湯梨浜町という旧来の地名と関係の無い不動産屋が付けた様な町名になる運命にあるようだ。

 有名な羽合温泉は別にしても、その他の「ハワイ」関係の物件はどうなっていくのか気になる所だ。

 例の「ハワイビーチ」の辺りから、国道9号は平坦な海岸沿いの道が続き追い風もあって気分良く快走することができた。

 この周辺には「道の駅」が多く、この先20kmほどの間に3ヶ所もある。その内の一つ「道の駅北条公園」には1122、到着。

 地元の物産販売所と軽食レストランがあるごく普通の道の駅だが敷地内にある町営の体育館は一見、新興宗教の施設を思わせる雰囲気で少し不気味だった。

 次の「道の駅大栄」までは5km程あるが追い風に扇られ15分位で到着したので、なかなかの快速だ。

 
 この「道の駅大栄」はなんと「道の駅登録全国第一号」らしく、それを示す立派なプレートが立っている

 設備も充実していて道路情報コーナーでは山陰、中国地方の各「道の駅」周辺の状況をリアルタイムで確認することができた。

 また、物産販売所は地元の人でかなり賑わっていて、レストランにはバイキングもあるようで少し惹かれたが、時間があまり無いので諦め売店の肉まんと餃子まんで昼食にする。

 この「餃子まん」はボリューム満点で幅10cm長さ15cm位あり、具もしっかり入っていて、美味かった。

 道の駅のすぐ先で国道を離れ、久しぶりに山陰本線沿いの県道に入る。

 河口に「お台場公園」がある由良川を渡り、由良駅に1213、到着。この駅は自動販売機が設置されている以外ほとんど昔のままでJRの表記もなく、かつての雰囲気を残している。

  国道に戻り東伯町に入ると浦安駅に1235、到着。京葉線新浦安駅の本家がこんな所にあったが、ここは明治36年の開業で新浦安よりもはるかに先輩だ。

  駅舎は、旧来からの物が健在だが玄関の上に新しく三角屋根が取り付けられ大きくJR浦安駅と表記されていて、写真で見た昔の駅とは少し雰囲気が変わっている。

  同じ東伯町にある次の八橋駅までは2km程ですぐに到着。ここは町営の施設と同居した建物に改築されていて、とても駅とは思えない雰囲気だ。

 漁港が近いだけあって物産店に海産物が豊富な道の駅「ポート赤碕」に立ち寄り、線路と併走する国道を進み1310、赤碕駅到着。

 この駅も浦安駅と同じく、玄関の上に三角屋根が取付られているが駅名の横に「赤碕」だからなのか赤ラインが入っていて面白い。



 中山町に入り駅と言うより、ほとんど瓦屋根の駐輪場といった感じの中山口駅に1332、到着。国道に戻ると下市駅右折という標識がすぐにあった。

 下市駅はまだ結構先にあるはずだし、線路はずっと左側なのに右折とは何故だろう。と思い国道をそのまま進んだが、これが間違いだった。

 下市駅へはまず国道を右折して海辺の集落へ一度出て線路をくぐり、そのまま線路沿いに進まなければ到達出来ないのだった。しかたなく、築提を登り駅の遠景を撮影したがすぐ後で列車が通過したので少し怖かった。

 平坦な道は続き、山陰最古の駅舎が残るという御来屋駅に1400、到着。

 「山陰最古」とは言っても最近開業時の雰囲気に戻すリニューアルが行われたようで、とてもきれいな外観になっている。

 駅舎のかつて事務室だった部分は「みくりや市」という地元で採れた野菜などを売る店になっていた。こうして古い駅舎が活用され、大事にされているのはとてもいい事だと思う。



 この辺りで、いよいよ左手に大山を見ながら走るようになる。しかし国道9号から見えるのは主に前衛の山並みで、雪を被った中国地方最高峰の大山本体はあまり良く見えない。

  汽車の時間まであまり無いので国道から遠い大山口駅には寄らず、海岸沿いの道を進む。

 米子市に入る手前で国道から離れ伯備線との接続駅、伯耆大山駅を経由して米子駅を目指す事にする。

 やがて城崎以来の電化路線、伯備線の線路が見えてきた。踏切の警報音も聞こえてきたので、列車を撮影しようと思いカメラを構えたが列車はやって来なかった。 どうやら、結構近くを走る山陰本線の踏切の音だったようだ。

 途中、和菓子メーカーが建てたらしい立派な天守閣の前を通り、その後線路を一旦渡ってからは細い道になり通行止などもあり少し心配だったが、鉄筋コンクリート駅舎の伯耆大山駅に1528、到着。

 この先は米子の市街地になり、信号も増え思う様には走れない。

 いかにも元私鉄といった感じの境線、博労町駅に立ち寄り商店街のアーケードを抜けると驚くほど大きな米子駅が目の前にそびえ立っていた。


 この大型の駅舎は駅ビルではなく、かつては国鉄にとっての山陰地方の拠点で多数の国鉄職員が働いていたはずだが今はどうなっているのだろう。

 駅前で信号待ちをしていると突然背後から肩を揉まれた。驚いて振り向くと、酔っ払いのオッチャンに「自転車ばっかり乗ってて疲れねえか、頑張れよ」と励まされてしまった。

 しかし、さすがに「目の前の米子駅で今日は終り」とは言えなかった。

 信号を渡り米子駅に1552、到着。さてこれから自転車を畳んで今日中に家まで帰らなくてはいけない。

 以外に手早く自転車の分解は終り、1642発やくも24号まではまだ30分近く時間があった。

  柏までの乗車券と特急券を購入し列車を待っていると、鳥取行の特急スーパーおき4号が入線した。座席はほとんど一杯なようだが新型車両とはいえたった2両なのだから、盛況とはいえないだろう。

 ホームには駅弁屋があったのでかに寿司 (\1000)を購入した、一昨日から数えきれないほどかにの看板を見たが、実際に食べるのはこれが最初で最後だ。

やくも24号の自由席は、結構混んでいたが通路側の席になんとか座ることができた。

 列車は米子を発車して、伯備線に入るとすぐに雪を被った大山が見えてくる。この辺りから眺める大山はなかなか雄大で、窓側のおじさんは一生懸命携帯で写真を撮っていた。

 このやくも号は特急とは言っても停車駅は多く、途中駅では普通列車との交換待で数分停まることもあるなど周りの風景とも相まってどこかのんびりした感じだ。

 新見に近づく頃には線路際の雪もすっかりなくなり日も暮れた1856、終点の岡山に到着。

 のぞみ30号への乗り換え時間は10分位しかなく急がなくてはいけないがこの日の岡山駅はとても人が多く、新幹線の入口では改札が出来ないほどだった。

 重い自転車と荷物を担ぎどうにか新幹線ホームの自由席の位置までたどり着いたが、入ってきたのぞみ30号は通路に人が立つほどの混雑ぶりだ。

 この大荷物ではとても乗るのは無理かと思われたがなんとか荷物を押し込み、乗車する。

 次の新神戸では更に乗客が増え、通勤ラッシュなみの混雑になった。

 新大阪まではたいした距離ではなくすぐに着くはずだが、とても長く感じた。

 ようやく着いた新大阪では乗客の多くが入れ替わり、やっと席に着く事ができた。

 本日の走行距離106.8km 平均速度12.0km 最高時速40.0km 自宅からの走行距離1071.67km以上(推定)