日本縦断西日本編11日目【平成16年4月12日】米子駅〈鳥取県米子市〉⇒プラザホテルさんべ〈島根県大田市〉

 放送によると、このサンライズ出雲は「三河安城駅付近での踏切事故」の影響で50分ほど遅れているらしい。


今大阪駅を通過(運転停車)した所だが、全く遅れには気づかなかった。

 この先の姫路で新幹線に乗換え、岡山でやくも1号に乗り継げば30分弱の遅れで米子に到着し、申し出れば料金もかからないようだ。

 しかし大荷物での2回の乗換えを考えるとそうする気にはなれず多少遅くても、このまま乗っている事にする。

 列車が姫路に到着すると、もともと自分を含めて4人しかいないノビノビ座席の乗客のうち2人は降りてしまい、毛布を被って眠り続ける兄ちゃんと2人だけになってしまった。

 この先の山陽本線は朝の通勤通学時間帯で列車が多くスムーズには走れない。岡山には約50分遅れで到着し、伯備線に入る。

 単線の伯備線内では遅れの回復は望めないと思っていたが、以外に順調に走り新見では前を行く各駅停車を追い抜いた。

 しかし新見⇒米子間は比較的列車の少ない区間にも関わらず、上り特急との交換で何度も待たされ遅れが増大し、結局米子には75分遅れの1025に到着。

 新緑が美しい伯備線の車窓は充分に堪能出来たが、明るい内に目的地の大田に着けるか微妙なところだ。

 前回分解したのと同じ場所でローレル号を組み立て30分ほどで準備が整う。駅前広場には、ボタンを押すと音楽が流れる装置があったので試してみた。こういった類の物は大概壊れている印象があるがここは生きており、結構な音量で流れる谷村新司の歌う「いい日旅立ち」に送られ1112、出発。


 次の安来駅は既に島根県にあり、駅間距離は8.8kmと比較的長い。しかし実際の鳥取、島根県境はかなり市街地にあり、こんな町中の県境は全国でも珍しいと思う。

 特急停車駅の安来駅に1146、到着。ここは「安来ハガネ」で有名な工業が盛んな街だが、「安木節」の発祥の地でもあり駅は観光客も意識した造りになっていた。

 安来を過ぎても市街地は続き、交通量も多い。併走する山陰本線も複線電化されていてこの辺りが最も幹線らしい区間だろう。

 こじんまりとした木造駅舎がある揖屋駅の辺りで国道と離れ、山陰本線と併走する県道を行く。やがて線路が幾つもに枝分かれして広大なヤードが広がると、その先に東松江駅はあった。


 駅舎は線路の向こうにあるのだが、踏切や袴線橋は無さそうなのでホーム側だけの観察で済ませた。
しかし良く見るとヤードには一両の貨車も無く、線路も錆びていてしばらく前から使われていないようだ。

 国道9号と再び合流し川沿いの道を進むと松江の市街地に入る。高架の松江駅周辺には新しい建物も多く明るい感じがした。

 更に国道を西へ走ると宍道湖畔に出る。特に水が澄んでいる訳ではないが、追い風に乗って湖畔を行くのは気分がいい。



 温泉への下車駅、玉造温泉駅は国道から少し入った所にあった。ここはその名も「玉湯町」に属しているが、市町村合併によってこの町名も消えてしまうようだ。

 駅の近くには景気の良いころに作ったと思われる巨大な球体のモニュメントがあったが少々くたびれているようだった。

 湖畔の道は続き、次の来待駅に1434、到着。

 駅舎は最近建て直されたようで真新しいログハウス風の物になっていた。

 入り口の横にはこの辺りで切り出されたらしい石で出来た、立派なモノをつけたタヌキの置物があり、駅員風の制服にJRのバッジが付いていて面白かった。

 
 それにしても来待とはいい駅名だと思うがどんな由来があるのだろうか。

 国道9号が宍道湖から離れる辺りで、ここも合併で町名が変わる宍道町に入る。

 相変わらず追い風は強く、平坦な道を軽快に進みJR西日本屈指のローカル線、木次線が分岐する宍道駅に1453、到着。

 ここは何年か前に来たことがあり、列車に乗り遅れたりと色々とあって印象に残っているが、木造駅舎と古い建物が多い駅前の雰囲気は変わっていなかった。

 宍道駅はホームが3面もあり、松江よりも多いのが自慢だったらしいが今では2面のみ使われているようだ。

 次の庄原駅のすぐ近くには道の駅「湯の川」があり、足湯などがあるということで期待していたが残念ながら定休日だった。

 この辺りは既に出雲市の近郊で、開発が進んでいるようで次の直江駅も、出雲市への通勤利用客が多いのだろう。

 またここは元の木造駅舎が現在「集会場」になり、施錠されていて入れないという変わった所だ。

 川を渡り出雲市に入ると「出雲」「やくも」の終点、出雲市駅はすぐだった。

 
 一畑電鉄と一緒に高架された駅舎には、出雲大社をイメージした巨大な屋根が取付られていた。

 山陰本線は出雲市を過ぎると一気にローカルさが増し、車窓も美しい日本海を存分に楽しめる。

 かつて出雲の終点だったこともあるという電化の西端、西出雲を過ぎると市街地は終わる。ここで国道と離れ水田地帯を走る線路沿いの県道を行く。

 本当の電化の終点、車両基地は道路沿いにあったので袴線橋から観察する。

 広々としたヤードには、サンライズと24系出雲の編成が停まっていたが隣にポツンとキハ120が一両停めてあり、小さな車体がなおさら小さく見えた。



 一時期、出雲大社口駅を名乗ったことがある出雲神西駅を過ぎると、単線非電化となった山陰本線沿いの県道も心配になるほど細くなったが、追い風に乗り軽快に進む。

 いちじくが名産だという多伎町に入り、小さな丘を越えると久しぶりの日本海に出る。

 立派な洋館風の建物がある道の駅「キララ多伎」に立ち寄りスタンプを押し、夕暮れ迫る日本海沿いの国道9号を進む。



 多伎町の中心駅、小田駅は少し内陸に入った所にあったが、昔ながらの木造駅舎か夕日に照らされ印象的だった。

 次の田儀駅はホームから国道を挟んで日本海を望み、駅舎も白い横板張りが美しい。



 この先山陰本線は海岸沿いを直進するが、国道は一旦内陸に入り峠越えをする。

 既に日は暮れかけており、少し気合いを入れて緩やかな登りの道を急ぐ。


 大田市に入り、暫く進むと峠を越え海岸の波根の集落まで一気に下る

 下校の高校生で賑わう波根駅は、古さを未塵も感じさせない良く手入れされた駅舎があり気分が良かった。

  薄暗い海岸沿いの県道を進み、次の久手駅に着いた時にはほとんど日が暮れていて、波根駅と同じく手入れの行き届いた駅舎をスローシャッターで撮影したが、後で出来た写真は残念ながらブレていた。

 大田の市街地はもう目の前のはずだが、県道沿いに家は少なく道は暗い。この辺りでの無灯火はさすがに危ないらしく、すれ違う自転車は皆ちゃんとライトを灯けていた。

 結構複雑な大田の市街地を抜け、とうに日が暮れた1942、ようやく大田市駅に到着。

 これから宿探しだがいきなり2件続けて断られ、祈るような気持ちで電話した所が「ツインの部屋なら空いている」との事でなんとか泊まれたのだった。

 本日の走行距離110.96km 走行時間8.29.51 平均速度13.0km 自宅からの走行距離1182.67km以上(推定)