金山隧道A(内部編)

いざ内部へ
 








 内部だが当然のごとく出口などは見えず、その闇の奥からは妖気がもくもくと湧き出しているようにすら感じられる。
さっそくライトを用意し、一歩を踏み出す。入ってすぐの所は外からの光が届き、苔むした煉瓦が独特の雰囲気を生み出している。しかしそれもほんの20m程で、その先は煤煙で黒く汚れた煉瓦の世界である。
そこから50mも行かないうちに、隧道は大きくカーブしており、早くも入り口の光も見えない暗黒の世界に変わる。

















いまだ目が慣れずライトが照らす一点のみが確認出来るだけだが、足元は固く乾いており歩くのに支障はない。レールは撤去されているが、その跡は廃止後40年を経てもしっかりと残っている。路盤はコンクリートのようで、バラストが全く無く不思議だ。
やがて目も慣れ、小さなライト一本でも内部の様子が大分把握できるようになった。内壁は全て煉瓦巻きのままだが、相変わらず真っ黒で煤煙の凄さと当時の乗客の苦労を偲ばせる。



















 退避所は定期的に設置されているが、長大トンネルらしく人が2〜3人入れそうな大きなものもある。
それにしても不気味で心細い空間だ。先へと進む足跡は相変わらずあるが、入り口付近と比べれば大分減ったようだ。未だに出口も見えず、引き返したくもなるというものだろう。











 



 





入り口から200m程進んだと思う頃、突然列車の音が隧道内に響いた。現在線を通過する列車の音だとすぐに分かったが、かなりの音と振動だった。予想以上に現在線のトンネルは近い所を通っているようで、ひょっとしたらどこかでつながっているのかもしれない。













 





 事前情報で分かっていた事ではあるが、300m程進んだ所でいよいよ足下がぬかるみ始めた。側壁を見ると、煉瓦の隙間から地下水と非常に目の細かい砂が湧き出しているようで、それが長い年月をかけて堆積したようだ。
写真でみると、このようなおぞましい色の泥だが、暗い坑内では色は意外に解らずそんなには汚い感じはしなかった。

 



 


 







このぬかるみはそれ程深くは無く、靴が少々汚れる程度である。また20m程ビシャビシャと進むと、再び乾いた路面に戻る。
さすがに、ここで引き返す人も多いのか、この先足跡は非常に少なくなる。乾いた路面はしばらく続き、そろそろ半分位来たかなと思う頃、足下は再びぬかるみ始める。ここは先程とは違い、泥が一気に深くなり一歩踏み出せば、あっという間にくるぶしまで沈み込む程だ。


















 初回の訪問時はここで引き返し、富岡側の調査へ向かった。実はこの時、隧道内に自転車に乗る時ズボンの裾を留めるバンドを落としてきており、その回収も兼ね約2ヶ月後に再訪する事になった。以下はその時の画像である。ライトで辺りを照らしながら早足で坑内を進むでいると、裾留めバンドの反射材はライトの光に良く反応し、容易に発見する事ができた。
やがて間に前回引き返した地点に到達したが、今日は汚れに対する準備は万端だ。とりあえず行ける所まで行くつもりである。
















 
 しかしやはり泥は深く、一歩進む度に足首まで埋まってしまう。こんな所で転倒すれば甚大な被害は免れないので、極めて慎重に進んだ。
再びぬかるみ地帯を抜けると、路面に縦方向の細い筋が何本も付いているのを見つけた。一瞬車のタイヤ跡かとも思ったが、どうやら細いワイヤーを引きずった跡のようだった。しかし現役当時の物とは思えず、こんな所に何故あるのかは謎である。



















 時々、既に剥がれ落ちたのか煤の薄い所があり、美しく詰まれた煉瓦が見事だ。
乾いた路面は続かず、遂に遥か先に見える出口まで静かな水面が続いている光景 が広がった。出口まで行けるとは到底思えないが、とりあえず一歩踏み出してみた。










 








 無理である。先程のぬかるみ地帯よりもさらに泥が深く、うかつに踏み込めば脱出不能すらあり得る底無し沼状態だった。誰かサポートしてくれる人がいるならともかく、一人では限界だった。
 一応出口をはっきりと確認できたことには満足できたので、ここで引き返し、富岡側の探索へと向かった。






その3 富岡側抗口へ