金山隧道(富岡側)

 竜田側の探索は水没地点まで到達し、出口も確認できたものの、底なし沼にも思える深い泥に阻まれそれ以上進む事ができなかった。
 エンブレムが輝く竜田側抗口に比べて情報も少ない富岡側抗口だが、地図を見る限り道路からそれほど離れてはいないところにあるはずである。


いざ富岡側へ



 抗口前で軽く泥を落とし、来た道を戻って自転車を回収した後、国道6号へと出た。ご覧のとおり金山隧道がその下を貫いている国道の勾配は非常に緩やかで、山というよりはちょっとした「丘」といった感じだ。
 いくら勾配に弱い蒸気機関車を通さなければいけなかったとはいえ、当時としては日本有数の長さを誇る隧道を穿つほどの場所には思えない、しかし電化された現在線もその隣をさらに長い隧道で貫いているのであるが。




 



 廃業したセブンイレブンに入居した選挙事務所の前を過ぎると道は下りに転じ、あっという間に抗口があると思われる場所の真上に到達する。
 しかしそこから線路際に降りる道など存在せず、相当先まで進まないと現在線の線路に接近する事はできない。





最初こそ四輪の轍のついた畑のあぜ道を思わせる保線用の道を自転車に乗って進む事が出来たが、すぐにそれも途切れ、徒歩でしか進めない際どい道に変わる。
 写真の場所などは、まだ法面の下に余裕があり線路際を通らずとも進む事が可能だが、この先斜面がそのまま水路に落ち込んでいる所も通らなければならず、列車が来ないか非常にヒヤヒヤする。


 







5分程で現在線の金山トンネルの抗口へと到達する。
竜田側と同じく、先代とは対照的な平凡のその姿だが、内部へと引き込まれる多数の信号ケーブルがここが現役だと言う事を強く感じさせる。
 ご覧の通り今も単線の現在線だが、昭和40年代の電化当時には常磐線経由の特急列車も多く線路容量も逼迫していたはずで、旧線の隧道を改修しての複線化の計画はなかったのだろうかと思う。










 さて肝心の金山隧道だが、現在線のトンネルとの距離の差が示すとおり、少し奥まったところにあるはずである。
 写真の場所がおそらく旧線の路盤で、ご覧のように此処までは法面の枝が刈り払われるなどして道筋もはっきりしているが、その先は一面の藪に埋もれ、抗口は全く見えない。
 果たして行けるのか。



 




 
 真冬とは思えない激しい藪だが、本当に僅かな踏み跡は感じられる。
と言うよりも、そこを辿らない限り全く前へ進めないほどの密度である。
 竜田側の抗口前にはあれほど鮮明ないわゆる「マニア道」が出来ていたと言うのに、こちら側はこの状態である。よほど訪れる人も少ないのであろう。
 体に絡みつく草木を解除し時に引きちぎりながら一歩一歩進む




 



何か見えるぞ。
おお…。あれは…。
 しかしこの先にもまだ関門が。









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