水根線(小河内線)跡(氷川〜水根)第一回

              

               国土地理院発行1/50000地形図 「五日市」より                     

 東京都の鉄道の西端、青梅線の終点奥多摩駅から、都民の水がめ小河内ダムへと伸びる鉄道がかつてあった。
 JTBキャンブックス 「鉄道廃線跡を歩くV」によれば、水根貨物線(小河内線)は昭和13年に始まったダム建設の資材輸送の為、昭和25年から2年間かけて当時の国鉄によって建設されたものだという。
  総延長6.7kmに橋梁、隧道が共に23箇所存在するという高規格路線だが、これは後の旅客化転用を見込んでのものらしい。
 その後、昭和32年のダム竣工までに100万トンもの資材を輸送したという。
  使命を終えた水根線の所有者は東京都から、西武鉄道、現在の奥多摩工業と変わったが結局旅客化されること無く放置されている。
  しかし、その高規格故、現在でも遺構はしっかりと残り復活の日を待ちつづけているのである。

            

@探索開始

 この日は、「ちょっと奥多摩に廃線跡があるから覗いてみようか」ぐらいの気分できており、(メインの目的は他にあった)ので、事前の調査は殆どしておらず、起点を見つけるのにかなり手間取り、石灰石工場の脇道や山の中の作業道をさまよう結果になってしまった。

 
 


ようやく多摩川の支流、日原川に架かるコンクリート橋を見つけたが、橋を渡った所がすぐ民家の庭になっており、橋梁自体も住宅街の非常に目立つ所にあるため、落下の危険よりも付近住民に咎められる危険が感じられ渡るのは断念した。しかし、民家よりも、奥多摩駅側の斜面の中腹には藪のなかに第一氷川隧道が口を開けているのが見えており、少し考えた結果人通りが無いのを確認してから斜面を直接登り、民家の庭を通らずに隧道にアクセスすることに決めた。(この先隧道名がいくつか登場するが、この探索時には不明で後の調査によって判明したものである事をあらかじめお断りしておく。)
 斜面は結構急だったが、掴まり所が豊富で人に見られること無く廃線跡に到達した。






  


 足元にはレールは無かったが、草むらの中にコンクリート製の坑口が見えており、やや緊張した。
  隧道の間近まで接近すると、入り口にはフェンスが設置されているが、大穴が開けられ容易に入れそうである。出口の明かりははっきり確認でき、がっかりすると同時に少しほっとした。










 

隧道内部は3本のレールがしっかりと残っているが、ブロックや鉄パイプなどの資材が大量に置かれており、どうやら倉庫として使われているようである。50メートルほどの隧道の内部はしっかりとコンクリートが巻かれており、その色はかなり白っぽく一見すると真新しいようにすら見えた。






                                                                                          
 
 
 出口に近づくと、日曜日のこの日も稼動中の奥多摩工業の工場が見えてきて、レールはフェンスの向こうに続いてはいるもののここが事実上の廃線跡の起点になっているようである。
 













 

隧道を出てすぐの所には、一台のトロッコが止められており、押してみたい衝動に駆られたが、線路脇には人の気配が濃厚に感じられる詰め所のような建物もあり、やめておく。
 








 
 その後隧道を出てからは、何とか洗濯物はためく民家の軒下を通らずに橋梁の袂まで行こうと、様々なルートを試みたが、やはり不可能で一旦道路へ降り立った。鱒養魚場の脇から日原川を渡り、廃線跡が伸びていると思われる青梅街道沿いに進むと、墓地の上、かなり高い所に路盤跡を転用したと思われる道路が見え、その先には第三氷川隧道の坑口らしきものが確認できた。
  これは行かない手はないと早速人気のない墓地の石段を登り、 廃線跡に復帰した。 レールは当然撤去されているが明らかに鉄道由来と分かる道はやがて二手に分かれ、左は山奥の集落へと続いているようである。
  さらに直進すると廃線跡は何かの作業場と資材置き場の中へ進んでいるが、日曜日のためか人は居らず、先へと進む事ができた。




Aレール発見






 資材置き場を出て程なく足元を見ると、二本の錆びたレールが発見された。(このレールが小河内ダムまで続いているのである…)
 なお写真のレールを横切って先へと続いている道が、「奥多摩むかしみち」であるが、当然のことながら我々はバーを跨ぎ茂みの中へと進む。









 


 そして目の前にはこの日2つ目の第三氷川隧道が口を開けていた。控え目な立ち入り禁止の看板があるこの隧道は内部でカーブしており、出口は直接見えないものの内壁に光が反射しており長くは無さそうである。
 



 
 

隧道内には、レールと枕木がしっかり残っており、バラストに至っては最近の物のような雰囲気すらあった(この理由も後に判明するのだが)
  隧道を出ても相変わらずレールと枕木は続き、下草も薄いので実に歩きやすい道となっている。
  気分よく歩いていると、なにやら人の声が聞こえて来た。一瞬身構えたが、すぐにハイキング客だと分かりほっとした。
 ハイキングとはいっても我々のような廃キングではなく、この後廃線跡とつかず離れずを繰り返しながらダムを目指す「奥多摩むかしみち」こと青梅街道の旧道を歩く人々である。

とはいっても、廃線跡を歩くのは当然推奨されておらず、人に見られるのは余り気分のよいものではない。徐々に高度を上げていくむかしみちに対して、廃線跡は鉄道らしく平坦なまま進み、両者の距離は広がっていった。









 ハイキング客の声が聞こえなくなると、行く手には古びたガーター橋が出現した。 橋の上にはレールと等間隔の枕木が乗っており、そのままでも渡る事は不可能では無い感じだが、嬉しい事に(残念な事に?)枕木同士を渡すように、新し目の木材が取り付けられており、一応本来の枕木の上を歩く事を心掛けたものの、さほど恐怖を感じることなく渡りきる事が出来た。


 

 




 こうして線路上の移動が容易なのも、この時は分からないかったが数年前にテレビの企画でこの線路の一部分に列車を走らせた事があった為のようだ。
 2004年に日本テレビ系で放送された「廃線復活」なる番組で、先程のレールの辺りから全面的に線路の補修をおこない、最終的には2tのバッテリー機関車を走らせたということらしい。







すぐにコンクリート橋にさしかかった。長年の放置によって、橋梁上にはまるでプランターのように土が溜まり、ススキが繁り放題である。

 この場所にも、先程述べたテレビ番組も企画で、列車が走りそれなりの整備が行われたはずだが、僅か2年でこの状態である、自然の力は本当に大したものだ。










 


 




藪のおかげで殆ど橋という感じがしないコンクリート橋を渡り終えると、相変わらず道は歩きやすく、ハイキング気分で廃線跡を行く。写真の大きな切り通しを通過すると、やがて…。
 

B出会い






 早くも次の第四氷川隧道が出現した、坑口の上が道になっているのか、手すりのような意匠が施されたのこの隧道は、向こう側の明かりも見えず一見して印象的であり、多くのサイトでその姿が紹介されている。唐突にこの場所に出くわしたならともかくも、我々は廃線跡が目的で来ているので入らない理由もなく、ライトを用意して内部へと進んだ。
 










 

 やはり出口は見えないが、入り口からは秋の日差しが差し込み、しばらくは灯り無しでも内部の様子が確認できる。今まで通った二本の隧道と同じく、やけに白さを保ったコンクリートで巻き立てられているのが印象的である。












 時々壁の下半分、5メートル位が部分的に素堀りのままの所が何カ所かあり、建築費削減の為なのか、謎である。また定期的に人が一人すっぽりと 入れるサイズの退避口が設けられており、今までよりも本格的な鉄道トンネルといった感じだ。









 そろそろ入り口からの光も弱くなり、足元をライトで照らしたくなってきたころ、何と向こう側から複数の人の声が聞こえて来た。やや緊張したが、すぐに若い男女の7〜8人のグループが闇の中から現れた。一見して肝試し軍団のようには見えず、おそらく大学か何かの探検サークルの類だろう。







 
 
 
中ほどを歩いていたリーダー風の男と軽く挨拶を交わし、彼らの声も聞こえなく なったころ、出口の明かりが見えてきた。しかしあれだけ大勢の人間が向こうからやって来るということは、この先も安定した状況がしばらく続くのがほぼ確定的になったということであろう。 少しほっとする反面、探索の面白味としては大分マイナスである。












 恐らく200メートル程(「廃線復活」によると正式には153mとのこと)はあったと思われるこの隧道を抜けると、すぐに向こうがはっきり見える短い第一小留浦(ことずら)隧道に入る事になる。
 この隧道は土被りが少なく、切り通しでもよかったのではないかと、思うほどだ





 

 その先にはもう既に次の第二小留浦隧道が見えており、ここまで隧道が連発すると何だか希少価値がなくなる気もこの時はした。 (実際にはまだまだ序の口の地点なのだが)
 

C隧道連発
 


 隧道ラッシュは止まず、第三小留浦隧道と続く、これもまた短いがその分内部を良く観察できる。天井を見上げてみると入り口から出口まで、幅1メートル程の範囲が黒くシミになっている。これはかつて蒸気機関車が煙を吹き付けた跡なのであろうか。
 列車が運行された期間は10年にも満たないはずだが、その間にはかなりの高頻度での運転が行われたのであろう。











 
 
「鉄道廃線跡を歩くV」には水根線を行くC11の写真が掲載されているが、実に絵になる姿である。
 またここだけでなく、全て隧道が非常に広く作られている。これは後で分かった事なのだが、後々は電化も想定していたという事らしい。










 やや藪が深くなった線路跡を歩くと、早くも次の第四小留浦となる。坑口の上部が斜めになったデザインは今までと変わりないが、今までよりもやや長そうである。
 内部も今までそれほどと変わりない感じだが、ライトで壁を照らすと、かつては電線が取り付けられていたであろう碍子とそれを固定する金具が発見された。









 


 今までの隧道では見つけられなかったので、人為的に撤去されたのだろうか?
 またその真下には、素掘りの壁面に取って付けたような待避所があった。もともとこの隧道内部のコンクリート白っぽいのだが、ここは一際鮮やかで去年竣工したと言われても信じてしまいそうだ。






 








 ここを抜けると、比較的大きな切り通しに差しかかる。隧道ももちろん魅力的だが、両側の樹木の太さが歴史を物語るこんな古い切り通しも好きな廃線風景の一つである。
 しばしの間、ここを資材満載の貨車を牽引した蒸気機関車が通り抜ける姿を空想し、物思いにふける。









 
景色はめまぐるしく変わり、ふたたびコンクリート橋を渡る事になる。相変わらずススキが繁茂する橋梁上には子供の背丈程の木が生えている所もあり、10年後、20年後にこの場所がどうなっているのか非常に興味がある。














 
 短い区間に隧道が集中していると、名前を付けるのにも苦労するのか、次の今日早くも7本目となる隧道も「第五小留浦」である。
 どれも100mにも満たない短い隧道ばかりだが、相変わらず状態は素晴らしく、何の補修を施されなくてもすぐ列車を走らせられそうな程だ。とても廃止後半世紀を経ているとは思えない








 これが小留浦シリーズ最後となる隧道を抜けると左手に小さな沢が流れており手や顔を洗ってさっぱりとする事が出来た。視線を上に向けると水量は少ないものそれなりの落差がある滝になっており、なかなかだ。
 今となっては叶わぬ夢だが、列車からこの風景を眺めてみたかったものである。(まあ現役当時でも、貨物専用線という事で難しかったであろうか)














 小さなコンクリート橋を渡ると檜村隧道となる。土被りの少なそうなこの隧道は長さも50メートルにも満たない程度だが、第〜が付かない今日最初で最後の隧道である、しかし間には大きな落石があり、ここが安全な場所では無い事を再認識する。
 









 




次の第一境隧道までは100mも離れておらず、あっという間だ。ここは内部でカーブしているようで出口は見えない。最初は少々緊張した廃隧道にも大分慣れ、辺りをよく観察する余裕も出てきた。
 ここの特徴としては、隧道内に生えた樹木が坑口からせり出して成長し、葉を茂らしているところだ。他の廃隧道でも同じような状態の写真を見たことがあるが、この木はまだ細く今後どうなっているか気になる所だ。

 
 
 








また銘板の近くには大きな碍子を付けた電柱の残骸があり、内部にも電線が張られたままになっていた。当時この鉄道は電線の通り道にもなっていたようだ。


D撤退、そして
 

 久しぶりにライトを必要とする長さ隧道内部は相変わらず歩きやすく、やがて出口が見えてくる。壁際を照らしてみると、古びたヒューム管が発見された、これは隧道内を貫通して何かを通していたようだが、写真のように一部内部が露出している所があり、パイプの細さが意外だった。
 第一境隧道を抜けると、さすがに訪れる人も減るのか藪も少々深くなった。10月半ばの今の時期だからまだいいが真夏に訪れれば視界を遮る程に生育しているのであろう。

 





周りを見回せば、途中まで併走していたむかし道もとうになく、右も左も急斜面の杉林が広がるばかりで、地図上での推定地点は国道411号青梅街道からそれ程離れていない筈なのだが、非常に山奥に来た感じがする。
  当然次には第二境隧道?が現れ、ひょっとしたらこのまま奥多摩湖まで行けてしまうのではないかと思い始めた頃、唐突に、見るからに古びたガーター橋が目の前に出現した。






 


 

 
 


 最初に現れたガーター橋とは違い、ここは廃止後から一切手を加えられていないようで、レールは撤去され枕木は腐っており、強度は相当落ちていそうだ。
  高さは目が眩む程というわけではないが、落ちれば骨折は免れず、打ち所が悪ければ…。

 








 U氏と協議した結果無理して渡るべきでない、という結論に達し、その後は谷を下って沢を歩渉し対岸にたどり着けないかという事も考えたがこの日は既に夕方近くになっていて、残念ながら撤退となった。
  しかし、これで終わりにする気は全く無く近日中に、必ずこの先の風景をこの目に焼き付けるつもりである


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