日本縦断東日本編13日目【平成15年8月19日】100年の森パークゴルフ場〈北海道磯谷郡蘭越町〉⇒ゆとろぎの湯<北海道札幌市>

 昨日はやはりよく眠れなかった。なんだか200位まで「ラジオ深夜便」を聴いていた気がする。しかもまだ530にもなっていないのだ。しかしさすがに夏の北海道の夜明けは早く、もう日が昇っている。早朝散歩のオバチャンも歩いていたので挨拶をしたが、いつまでもここにいる訳にはいかないので早速準備をして今日の目標の札幌を目指し605、出発。

 しかし、何故か旅先では眠れなくても体調がいい。今日も万全だ。相変わらずアップダウンの多い道をしばらく走ると左手にニセコ、右手に羊蹄山を望むポイントに着いたが残念ながら雲に隠れて山頂は見えない。

道の駅「ニセコビュープラザ」には650に到着し、スタンプを押すことにした。まだ開館前だったがトイレの脇にスタンプを押した紙が置いてあり、それを貼りつけた。駐車場には関西ナンバーの大きなキャンピングカーが止まっていて、おばさんが食器を洗っていた。自転車の旅とはだいぶ違うが、キャンピングカーでどこまでも旅をする。というのには少し憧れる。

 

国道からだいぶ下ったところにあるニセコ駅には708に到着。ニセコ駅は新しい建物だが、洋館風で良く手入れされた駅で気に入った。行きはラクラクな駅までの道だったが国道へ戻るには当然急坂を登らなくてはいけない。実際、自転車をかなり押した

 函館「山線」の主要駅の倶知安には812に到着。倶知安は大きな街で駅前には旧型客車を利用した無料宿泊施設もあったが閉鎖されていた。駅前広場には「日本一うまい水」という湧き水があり「日本一」かどうかは謎だが、とりあえずうまい水だったので、ペットボトルに汲んでおく。

倶知安の市街地を出ると、すぐに倶知安峠(標高250m)への登りにかかった。しかしこの峠も気温が上がってきて少し汗をかいたもののそれほど苦労することなく越え、共和町に入る。

 

昭和60年まで日本海に面した岩内とを結んでいた、岩内線が分岐していた小沢駅には917に到着。駅舎は小さなものに建て替えられ、無人化されてしまっていたが旧来からの袴線橋が健在で中には「小沢駅員一同」作の大きな油絵が飾ってあり、またホームにも昔の雰囲気が残っていてかつての繁栄を感じさせた。

 小沢駅を出て岩内へと通じる国道276号が分岐すると、稲穂峠(標高266m)への登りが始まった。この峠はいままでの峠と標高はたいして変わらずアプローチも長いというのに、25℃以上はあると思われる気温のせいかとてもキツく感じる。

なんとか峠にたどり着くと稲穂トンネル(約1200m)が待っていた。このトンネルは改良されておらず、内部がとても狭く路肩には砂やドロが積もっていてとても走れる状態ではなかった。仕方なく、ほとんど押してどうにかトンネルを抜ける。 



峠を軽快に下り、木造でバンガロー風の駅舎がある然別駅には1057に到着。このときとても空腹だったが周りに店などある雰囲気ではなかったので、仕方なく非常食のクラッカー(フィリピン製?、相当まずい)で空腹をまぎらわせる。

 然別を過ぎるとアップダウンは無くなり、リンゴ畑のなかを走るようになる。街の中心にある仁木駅には1145に到着。仁木駅は大きな駅舎があるが無人化され交換設備も外されていて、寂しい。

 いよいよ日本海が近づいた。追い風に乗って平坦な道を軽快に走り余市駅には1212に到着した、余市駅は仁木とは対称的で駅は「エルプラザ」という市の施設が入っていて新しく、駅前にも活気がある。

 ここで昼飯にすることにして、駅前の「彩華」という中華料理店に入る。この店は、昼飯時ということもあるのだろうがとても混んでいて相席でやっとテーブルに着くことができた。

 俺は五目焼きそば(\600)を食べたが、野菜がたっぷりと入っていてとてもうまい。また盛りもとてもよく、前の席のおばさんはラーメンを食べていたが半分くらいしか食べられないようだ。

 満腹になり「蜂発生」のため正門からは入れないというレンガづくりのニッカウヰスキーの工場の前を通り、目の錯覚と音楽で不思議な体験?ができるトイレがある、道の駅「スペース・アップルよいち」でスタンプを押した。何故余市で「スペース」なのかというと、毛利衛宇宙飛行士の出身地だからという事らしい。

 少し走ると、ついに日本海に出る。ここまで走ってきた中で始めて見た日本海だったので、少しうれしい。

 


海岸線ギリギリの景色のいい道を進み蘭島駅には1400に到着。少し登ったところにある塩谷駅には1420に到着。ここから小樽までは、函館本線も忍路半島の付け根の「オタモイ」という峠越えの区間で、C62重連 急行ニセコ号の難所だったところでもあって登り勾配の道が続く。

 しかし俺が「近道だろう」という理由で選んだ道道「小樽環状線」は予想を遥かに超えるキツイ峠道で、かなり押すことになってしまった。北照高校のグラウンドがある辺りでようやく峠を越え、小樽の街へ向けて、下り急坂を一直線に下る。

 この下り坂は、《縦断画報》(いままで、一日最高60kmしか自転車に乗ったことがないという作者が、日本3/4周を達成するホームページ) の作者の自転車のブレーキが故障し、車に側面から衝突して重傷を負ったという道なので、少し怖かったが、無事に1517に小樽駅に到着。

 小樽の街で、有名な運河などを少し見たが、俺向きの場所ではないと感じた。かつてC62の機関区があった小樽築港駅には1554に到着したが、いまはマイカル小樽の一部のようになっている。

 ここから函館本線は波打ち際を通り札幌を目指すが、国道5号はそのはるか崖上を走っていてなかなかアップダウンが多かった。朝里駅は遥か崖下だったので、撮影は遠景だけにした。

 このあたりから国道5号はますます高い所を走るようになり、景色は良かったがかなり足に応える。

 
 列車が一本も止まらない張碓駅はどこかな?と思いながら走っているうちに、道は下り坂になり海岸線沿いに走るようになった。

 次の銭函駅は木造駅舎なので寄ることにして1658に到着。駅では、持っているとお金がたまるという入場券が売っていたので購入した。

  札幌市に入る手前の辺りで民宿の親父が手を振ってくれたので、合図をして応える。1720についに札幌市に入る。すぐ近くにあるほしみ駅は普通の都市型の駅だった。札幌市に入ってからもアップダウンがある道が続きバテ始めた体にかなり応える。

1833に到着した琴似駅をすぎる頃から市内の中心部に近づいて信号が多くなり、スムーズには走れなくなった。そんな道をしばらく走り、日も暮れかけたころ札幌競馬場に到着。

 札幌競馬場では道営旭川のナイター競馬の場外発売をしていた。トイレで手と顔を洗い、さっぱりしたあとに1レースやってみたが当たらなかった。しかし夜の札幌競馬場は空気もさわやかで、なかなか気分が良かった。


すっかり日が暮れた道を走り、ついに1938に札幌駅に到着。しかし今日泊まる予定の健康センター施設「ゆとろぎの湯」まではまだ10kmくらいはあり相当腹も減ったがたどり着かなくてはいけない。

 すすきののネオンを左手に見て大通公園を横切りひたすら走ったが、ついに空腹が限界に達したので適当なラーメン屋に入りみそラーメン(\700)を食べた。

 札幌の中心部を抜け少し走りやすくなった道を最後の力を振り絞って進み、藻岩山スキー場の近くにある「ゆとろぎの湯」に2048にたどり着いた。ここは深夜割増料金込で(\3000)と安くなく設備も普通だったが、あまりに疲れていたのでそんな事はどうでも良かった。

 本日の走行距離147.66km 平均速度10.9km 最高時速51.7km 走行時間13.31.42 自宅からの走行距離1410.83km以上(推定) (全て札幌駅まで) 本日の出費\6590