日本縦断東日本編16日目【平成15年8月22日】ユースホステルそばの花〈北海道雨竜郡幌加内町〉⇒美深駅〈北海道中川郡美深町〉

朝食が終ると、既に800を過ぎている。旅に出ている間、こんな時間まで宿にいるなんて初めてだ。

部屋に戻り準備を済ませ836、見送りを受けユースを出る

 明日は仕事で今回の旅は今日が最終日だが、まだまだ走り足りない気がする。

 まず、今朝教えてもらった「日本最寒地到達証明書」を発行してもらえるという「母子里クリスタルパーク」に寄り、それから名寄へ向かう事にする。

 昨日もらった緑のホクレン旗があったのでサイドバックに立ててみた。街中なら結構恥ずかしいことだと思うがここでならば、大して気にならないというもの。

 

 朱鞠内湖沿いに走る道道はアップダウンはあるものの眺めはよく、干上がった湖底が遥か先まで続く光景は他では見る事はできない物だろう。

 途中、50m位先にキタキツネがいるのが見えたので慌てて望遠で撮影したがその後人に慣れているのか、かなり近づくまで逃げなかったので少し悔しかった。



 「母子里クリスタルパーク」は道道が湖から離れ、山に入る手前にあった。

 ここは今流行りのパークゴルフ場と隣接する公園にクリスタルピークスというモニュメントがある施設で、地元のお年寄り達がプレーに興じていた。

  肝心の「日本最寒地到達証明書」がもらえる公園事務所はまだ開館前だったが、証明書は機械に100円を入れると今の日付、時間と21.3℃と非常に快適な現在の気温が印刷されたものが自動的に発行された。

 

 ここから名寄市との境にある名母トンネルまでの道は地図では解りづらい名無し峠で、結構な登りが続く。

 少し押してなんとかトンネルの手前までたどり着き良く地図を見てみると、ここは標高400m位あり北海道内では今までの最高地点なようだ。

 名母トンネルは前後のシェルターを含めると1200m位あり結構長いが、名寄側へ抜けるまで一台の車ともすれ違わず、抜かれる事もなかった。

 眺望が良くほとんど車のいない道を一気に下ると、久しぶりに水田地帯を走るようになる。

 
 この辺りには旧深名線が通っていて、天塩弥生、西名寄の駅もあったはずだが痕跡を見つける事はできなかった。

 やがて国道40号線と合流し宗谷本線の線路が見えてくると市街地に入り宗谷本線最大の駅、名寄に1130、到着。

 名寄駅は堂々とした大型の木造駅舎があり、鉄道全盛期の雰囲気を今に伝えている。岩見沢駅が焼失した今、この駅舎はとても貴重な建築物だと思うのでぜひこれからも大切にしてほしいものだ。

 
 ここからは国道40号とは離れ、宗谷本線沿いに進む事になる。

 最初の駅、日進は板張りホームと小さな待合室だけの駅でいかにも利用者が少なそうだ、しかし昨日聞いた話では近くにユースホステルが最近出来て多少は利用者が増えているとのことだった。

 
 日進を過ぎると、天塩川沿いの細い道を行くようになる。この道は冬期には除雪されず閉鎖され、途中にある智東駅も全列車が通過してしまうのである。


 そんな智東駅は噂通りの周囲に民家が一切無い「秘境駅」だった。しかしここは昭和50代初期までは現在の貨車駅の反対側にもホームがあり、有人の木造駅舎が建っていたと
いう。

 虫だらけで入る気になれない貨車駅を観察した後、改めてホームの反対側を眺めたがそんなことは信じられないほど自然に還っていた。

 天塩川沿いの道は続き、地図によると一旦川を渡る手前辺りに次の北星駅への道があるはずだが。

 しかしその道は何度探しても見当たらず、仕方なく諦める事になった。

 後で調べてみると、北星駅へは次の智恵文駅の先から戻る道を行けば楽に到達出来たらしく非常に味のある駅なだけにかなり悔しかった。

 智恵文駅には1300、到着。ここも貨車駅だが、利用者はそれなりにいるようで何台か自転車が止まっている。

 

 
駅舎にはひまわりの絵がペイントされているが、相当錆びていて少しみすぼらしい。本などで見た写真だとつい最近のものでもひまわりのイラストはきれいで、最近急に錆びたのだろうか。

 ヒブナなどが釣れるという智恵文沼を見ながら走り、次の智北駅に1329、到着。短いホームに物置の様なプレハブ待合室がある駅で、利用者は少なそうだ。

 やがていかにも北海道らしいなだらかな丘が続く景色の中を走るようになり美深町に入ると、南美深駅に到着。

 ここはJR化と同時に駅に昇格した元仮乗降場の駅で、普通列車も多くが通過してしまう。一見板張りホームだけのようだが、少し離れた所に待合室がある。

 この待合室は窓が一切なく、床もなく中に草が生えている。入口の「南美深待合所」という看板と壁のJRのポスターがなければ、誰もが農家の物置か何かだと思うだろう。

 

 久しぶりに国道40号と合流すると、やがて美深の市街地を走るようになった。特急サロベツの発車まではまだしばらく時間があるが次の停車駅の音威子府まではとても行けないので、今回は美深で終わる事にする。

 時計台付きの立派な赤レンガ風駅舎がある美深駅に1407、到着。早速自転車を分解して輪行袋に収納した。

 荷物を含めると相当大荷物だが、これを担いで家までたどり着くのも旅の一部だろう。明日は仕事もあるし気は抜けない。

 列車の時間までは、まだ少しあるので何か食べる物を買う事にする。美深駅では駅弁などは販売されていないので、駅近くの店でたこ焼きパンなど、変わったパンをいくつか購入して駅へ戻る。

 駅の二階には「日本一の赤字線」として有名だった美幸線の資料が展示してあり頼めば見せてもらえるそうだが、時間もあまりないので諦めた。

 改札を通り袴線橋を渡ると、特急サロベツが入線するホームの反対側に旧美幸線のホーム跡があった。

 美幸線の線路の一部は観光用のトロッコ運行に活用されているようだが、ここは放置され雑草に覆われている。

 

 1611発、特急サロベツはキハ183系4両編成で指定席の一両はお座敷車両になっていた。

 自由席車はほとんど席が埋まっていたが、なんとか座ることができた。今日行き損ねた北星駅の付近では、なんとか駅を確認しようと頑張ってみたが良く分からないうちに通過してしまった。

 列車はあっという間に今日寄った名寄駅に到着し塩狩峠を越え旭川を過ぎ函館本線に入ると走りも、より特急らしいものになる。

 終点の札幌には日も暮れた1905、到着。三日前にここを出てから様々な事があったが、列車で戻ると全くあっけない感じだ。

 1927発の北斗星4号に乗り換え、B寝台下段に収まった。

 翌朝目が覚めると列車は盛岡付近を走っていたが、周囲は深い霧に覆われ徐行運転をしているようだ。

 どうも大宮着は遅れそうで仕事にも影響がありそうだが、まあどうにかなるだろう。

本日の走行距離82.22km 走行時間5.14.53 平均速度15.6km 最高時速48.5km 自宅からの走行距離1643.89km以上(推定)