日本縦断東日本編17日目【平成15年10月22日】美深駅〈北海道中川郡美深町〉⇒幌延駅〈北海道天塩郡幌延町〉
ANA574便は新千歳空港へ向け、無事羽田を離陸した。

 今日は新千歳から札幌まで列車で行き、利尻に乗り換え前回の中断地点、美深駅に着く予定になっている。

 特急利尻の美深到着は午前4時前で、どうにも早すぎるが朝羽田を出たのでは美深着は昼過ぎで、たとえ札幌で泊まり朝一で出発しても11時過ぎになってしまう事を考えると、この選択も仕方がない。

 しかし、飛行機輪行は快適だ。自転車をちゃんと荷物として扱かってくれて、列車や夜行バスのように邪魔がられる事もない。

 また羽田空港では輪行袋に入れた自転車を1日600円で預かってもらえ、とても便利だ。

 新千歳空港駅は、空港の到着ロビーからホームまで以外にあり大荷物での移動は結構しんどい。

  快速エアポートに乗車し、列車が地下区間を抜け外の風景が見えてくると初めて北海道にいる実感が湧いてきた。

 列車は空いていたが前の席の兄ちゃんが大音量で音楽を聞いていて、漏れ出た音が車内に響いている。

 また、横の女子高生は携帯電話にスリッパのような大きなカバーを付けていたが、これはこの辺りでの流行なのだろうか。

 札幌での乗り換え時間はわずかで、急いで利尻のホームへ向かう。

 列車は既に入線していて、寝台車のデッキに荷物を置こうと思ったがどうにもスペースがなく上手く置けない。しかし寝台車と隣の普通車自由席を行き来する客などいないだろうからそのままにしておいた。

 寝台に向かおうとすると、車掌に「邪魔だからここに置いてはいけない。指定席車に荷物置き場があるからそこに置け。」というような事を言われた。

 仕方なく荷物を移動 したが、発車まで何分もなくかなり焦った。

 特急利尻は定刻通り 発車し岩見沢、滝川、深川と順に停車したがどうにも眠れない。

 うつらうつらしていると、既に名寄の手前でもう眠る訳にはいかない。ほとんど一睡もしないまま313、美深着。

 美深駅には年配の駅員が一人いた。俺がベンチに座っていると、近寄ってきて、「ここには泊まれん事になっとる」と追い出そうとする。

 「外は寒いので夜明けまで居させてほしい」と頼むと何も言わず事務室に引っ込んだが、その後も何度か近寄ってきて文句を言われた。

 500を過ぎ夜明けが近づいたので一応礼を言い外に出て、前回分解したのと同じ駅前の場所で自転車を組み立てる事にする。

 しばらくすると、例の駅員は駅から出てきて俺の作業の様子を眺めているようだ。

 自転車がだいたい形になると、駅員は興味をもったのか側まで来てあれこれ質問してきた。

 出発するときには、「気を付けて」と見送ってもらい、色々とあったが気分よくスタートできたので良かった。

   

 今回は三日間で宗谷岬まで行き、稚内空港から昼の飛行機で帰ってくる予定だ。今日はまず幌延まで行こうと思うが、手前には泊まれそうな所も無いのでなんとしてもたどり着かなくてはいけない。


 この辺りの国道40号は、交通量はあるものの北海道の道らしく路肩が広く走り易い。

 
 追い風にのって気分よく走っていると最初の駅、初野を通過してしまったがホームだけの駅でそれほど悔しくない。

 しかし今日の天気はパッとしない。厚い雲がたれこめ予報では雨だという。

 周りに民家が見当たらない紋穂内駅に立ち寄った後、雲のすきまから差す朝日を浴びながら走り「道の駅びふか」に710、到着。

 腹が減ったので、缶入りのスープと手持ちの食料で昼食にしたがどこにもゴミ箱がない。

 北海道の「道の駅」では最近「ゴミは持ち帰る」という方針になったらしく、ゴミ箱は撤去されたようだ。

 車ならゴミを積んで走っても大して問題ではないだろうが、俺のような家に帰らない自転車人はゴミをどう処理すれば良いのだろうか。

 次の恩根内駅は、真新しいプレハブの駅舎があった。もとは貨車駅だったはずで、建て直したようだ。

 道が少し登り勾配になり徐々に山が近づいてくると、天塩川温泉を示す看板が見つかった。

 天塩温泉駅は国道から離れた所にあり、周囲には畑が広がっている。駅舎は板張りホームの上に2〜3人サイズの待合室があるだけで通過する普通列車も多いので、温泉客がどれだけ利用するのかは解らない。

 「天塩川温泉住民保養センター」は線路を渡り、少し登った所にあった。



 まだ824で、日帰り入浴の時間にはなっていなかったが入っても良いようなので\500払って温泉に浸かる。その名の通り、悠然と流れる天塩川が一望できて眺めがよく、昨日以来の疲れが取れた気がした。



 国道に戻り、コンクリート製の待合室がポツンとある咲来駅に立ち寄り、紅葉が見事な山々を眺めながら走るとやがて音威子府村に入る。

宗谷本線の主要駅、音威子府駅に950、到着。

 駅舎は木材を多用した洒落た建物に改築されていて、中には平成元年に廃止された天北線の記念館がある。

 音威子府駅といえば駅そばが有名だが、この日は定休日で食べることはできなかった。

 それならばと、すぐ近くにある「道の駅森と匠の里おといねっぷ」へ向かったが、ここも「本日研修のため」とかで営業していない。

 結構腹も減っているが周りに店は無さそうだ。しかもこの先20kmほどは民家の無い天塩川の渓谷沿いの道が続き、補給出来そうにない。

 仕方なく空腹のまま走り出し次の筬島駅に1020、到着。ここは貨車駅でかつては有人駅だったはずだが、周りには農家が数件あるだけだった。

 この先国道は天塩川沿いに進むようになるが宗谷本線は対岸を走っていて、次の佐久駅との間にかつては神路駅があったが洪水で橋が流され無住地になり廃止されたという。

 そのため現在、筬島⇔佐久間は約18kmと非常に長くなっている。そんな神路渓谷だが、山々の紅葉が天塩川の水面に映えて実に景色が良い。


 景色は良いが腹は減る。非常食のチーズを少しづつ食べ走るが、どうにも力が入らない。


 渓谷が終り川幅が少し広くなった辺りで一度国道と離れ、橋を渡り対岸の道道に入る。

1139、ようやく到着した佐久駅は「佐久ふるさと伝承館」と同居していて、昔の農耕具や生活用品が展示されている。

 駅の周りには何か食べられそうな店はなかったが、自動販売機はあったので缶コーヒーで空腹を紛わせた。

 次の天塩中川駅との間にも平成4年までは琴平駅があった関係で駅間距離が長くなっている

 駅に寄るよりもまず食事にしたいので、対岸の国道沿いにある「道の駅なかがわ」へ向かった。

  ここで道の駅スタンプが9個になり、この先道の駅は無いのでスタンプラリーに応募する。完全制覇には程遠い一番下の賞だが、何か当たれば良いと思う。

 レストランは昼飯時で結構混んでいたが、トンカツの入った弁当は美味く満足することができた。

 外に出ると小雨がパラついていたが何とか我慢出来る程度で、これ以上降らないで欲しい。

 天塩中川駅は特急停車駅で、委託の職員が切符を売っている。木造駅舎の入口部分にはプレハブの雪切室があるが、いかにも後から付けたという感じでバランスが悪い。

 ここから宗谷本線は国道と離れ、小さな峠を越えるコースを取っているが、まだ時間はありそうなので、俺も線路沿いの道道を行く。

 貨車駅の歌内に立ち寄った後、幌延町との境の峠にかかったが、車の居ない道で走りやすい。しかし2車線の立派な道で長時間車と出会わないというのは少し寂しい気分になる。



 峠を下り国道に戻る手前に問寒別駅はあった。このいかにも北海道らしい名前の駅は、今は貨車駅になっているが周りには集落があり利用者は多そうだ。

 再び国道40号に戻り長めのトンネルを抜けると、雄信内(おのっぷない)駅へ向かう道へ入る。

 両側に廃屋が立ち並ぶ道の先に、古びた木造駅舎があった。この駅の周りは全て廃屋で一人も住んでいないが天塩川の対岸にはなんとも紛らわしい、雄信内(おのぶない)という集落がありそこの住民が利用するようだ。


 丁度稚内行のキハ54が交換待ちの停車中で、おばさんが2人乗車した後札幌行の特急サロベツが通過して行った。

 この辺りからは酪農地帯を走るようになったが廃業したと思われる牧場も多く、なかなか厳しそうだ。

 道道沿いにある安牛、南幌延、上幌延の各駅はいずれも周りに民家は少ない寂しい駅だった。

 特に南幌延駅はかつて有人駅だったというのが信じられない雰囲気だった。

 幌延の街は目の前で線路沿いに真っ直ぐ行けば良いのだが、どういう訳だか道に迷ってしまい少し手間取ってしまう。


 なんとか正しい道に戻り、夕日に照らされた真っ直ぐな道を進むと途中には北緯45°を示す看板があり、遠くまで来たことを実感する。

 日没直前の1640、幌延駅に到着。今日泊まる「ビジネス旅館光栄荘」はすぐ近くにあったがあまり入りやすい雰囲気ではなく、もし予約していなかったら泊まらなかったかもしれない。

 宿は木造の味のある建物で、宿泊客は長期滞在の工事関係者ばかりなようだ。

 明日はいよいよ稚内だ。予報はいまいちだが、なんとか降らないで欲しい。

 本日の走行距離135km(推定)走行時間10.55.00(推定)自宅からの走行距離1778.89km以上(推定)