中央西線旧線 高蔵寺〜多治見間 7号 8号トンネル(後編)


中央西線高蔵寺〜多治見間には昭和41年の複線電化による線路切り替えによって、中央線開通時の煉瓦隧道が放棄され、13か所が現存している。(1か所は旧線の営業中に開削されたという)
 そのほとんどが、今から約110年前の明治33年の中央本線開通時の姿を留めており貴重なものである。名古屋からわずかな時間で訪れることが可能なこの 遺構群を何回かに分けて撮影した。今回は定光寺〜古虎駅間に位置する7号、8号トンネルの区間を探索する。

 出口


 入洞から約20分。

 未だ出口の明かりは見えない。

 恐らく500m程は進んだと思われ、そろそろ先が見えても良い頃なのだが…。

 ここまで来て閉塞というのはあまりにも非情すぎる。
 
 天井から垂れさがる謎の鍾乳石。

 ここは言うまでも無く煉瓦隧道で、目地のセメントが溶けだしたものか。

 それはそうと、ここへきて足元の状態はいよいよ不安定さを増しており、突然深く落ち込む所もしばしばだ。

 こんな所で灯りを失えば発狂ものである。
 入洞から約25分。

 ついに出口の明かりが!

 一気に希望が持てた瞬間だが、どうにも狭そうな雰囲気。これはまだ安心できない。

 ここも天井が低く、中腰でないと頭がつかえてしまう。
 残り20m位か。

 何とか脱出できそうである。

 外の光が眩しい。 
 入洞から28分かかって、7号トンネル貫通成功。

 開口部から地面までの高さは2m程。どれだけの土砂がこの隧道に詰め込まれていたか良くお解りであろうか。

 隧道内部から突き出した金属製の太いパイプ状のものはボロボロに錆びていて、触れれば崩れそうな程である。
 これはコードとファン状のものがある所から見て通風装置の一種であったのであろうか。

 通風装置が必要な隧道に空身で入る(入った)というのは…。

 土砂の上部に土嚢が積まれている所から見て一度は完全に塞がれたものと思われる。 

 7号〜8号トンネル間 

土砂の斜面を下りて、抗門全体を眺める。

 結構な勢いで漏水する抗口の先には頑丈そうなシェードがそのまま続いている。

 向かって左側の部分は壁柱がシェードと一体化したコンクリート擁壁に飲み込まれており、オリジナルの姿は失われている。

 ここから見る限りでは、この隧道がきちんと貫通しているとはとても思えない。

 進行方向を見れば、未だバラストが残っていてここがかつて線路だったことを今に伝えている。

 育った木の太さが列車が来なくなってからの月日を感じさせる。
 季節がら籔も薄く、左手方向には庄内川を挟んで先ほど通った愛岐道路が見えている。

 あの車のドライバー達もまさかここに人がいるとは思うまい。
 とはいっても、やはり殆ど訪れる人も無いと思われるこの場所。

 だんだんと籔が濃くなってゆく。

 この先には8号トンネルがある筈なのだが先は見通せない。
 あった。
 
 7号トンネルから10分程で、籔に埋もれた8号トンネル発見。

 真冬でもこの状態。夏場などは到底近づけたものではないだろう。

 現在綺麗に整備されている3号〜6号トンネルの区間もほんの数年前まではこのような状態であったようだ。
 


  

 8号トンネル


 8号トンネルポータル。
 
 ここも堂々とした煉瓦積みの姿を保っている。

 見た所欠けは無く、草木を取り除けば見事な抗門が姿を現すであろう。
 
 早速内部へ。

 ここは7号トンネルのように埋められる事も無く、普通に通れそうだ。

 蒸機時代の乗客の苦労が偲ばれる、入っていきなりのこの煤汚れ。

 名古屋への通勤通学客も多いこの区間で列車は日常的に混雑していた筈であり、夏場などは特に大変だったことであろう。
 50m程進むと、出口の明かりが見えてくる。

 全長は200m足らずといった所か。

 普通に歩いて隧道内を進めることがこんなに楽だとは(笑)
 丁寧に造られた退避抗。

 何の変哲もないと思われるかもしれないが、この退避抗は実はちょっと普通じゃない。

 なぜかといえば、写真の明るさから解るように、出口のすぐ手前(10m程)に設置されているのである。

 退避抗のサイズや設置間隔には決まりがあったといい、こんな場所にあるのはいかにも不自然。

 そして

 

 8号トンネル多治見側ポータル。

 ここはコンクリート製抗門に変わっており、オリジナルの姿は失われている。

 両側にうっすらと8の文字が読み取れる。

 先ほどの不自然な退避抗がご覧いただけるであろうか。この状況を見ると、かつてはもっと長かった隧道が開削によって縮められた…というのが推測ではあるが正解はいかに。

  
 隧道の先には、比較的歩きやすい旧線跡が続いている。

 それなりに人が入った形跡もあるが、7号トンネル側から来た人間は僅かであろう。 

 庄内川対岸には古虎渓駅周辺の建物が見える。

 あちらからも良く見えるこの旧線跡であるが、実際来るのは容易ではない。
 足元にレールが!

 旧線時代からのものかは不明だが、もはやゴールは近いか。

 どういうわけかここへきて突然籔が濃い。
 籔をかき分けて進むと、そこは古虎渓駅構内が目の前。
 駅へと続くレールは旧線のものではないと思うが(保線用の側線?)ここを辿れば駅ホームに○○出来ることは言うまでも無い。

 しかし、この先の短い鉄橋から先は本線と完全に並走して丸見え。

 駅は無人だが、朝の通勤電車が頻繁に行きかう時間帯でもあり…。

 さあ戻ろう、あの隧道へ 帰りは写真も撮らず、7号隧道も18分で抜けたが、靴もザックもウインドブレーカーも煤で汚れ洗濯が大変だったこといったら。 完