静岡県道288号(佐久間ダム側3)  
 

静岡県道288号大嵐佐久間線 廃道界ではその名は良く知られた存在であろう。ネット上を探してみると、少数の全区間踏破記録を見つける事ができるが、かなり前の記録では「登山経験必須、命の危険、必ず複数人で一日ががりで」といった感じだったのが比較的最近のものではそんな状況もやや変化しているようだ。
 しかし自分の中では完全に放棄された、禁断の廃道といったイメージが強くここは一つ自分の目で確かめて見たい。

 現在ではその全線が静岡県浜松市天竜区に属する静岡県道288号大嵐佐久間線だが、かつては北側が水窪町、南側が佐久間町と別れていた。しかしここまで市の名前とイメージが合わない場所も珍しいであろう。
 地図を見ると分かるように天竜川の対岸の愛知県豊根村(ここも数年前まで「日本一のミニ村」富山村、豊根村と別れていた)にはそれなりに整備された県道1号が通っており、沿線に分岐も集落も無い状況では県道288号が廃道化するのは致し方ないようにも思える。

 廃道は続く


 既に徒歩に切り替えてから1時間半近くが経過しており、そろそろ状況に変化が現れてもおかしくはないと思うが、ひたすらに廃道風景が続くのみである。

 一コマ前のような大人しい場面は続かずというか、むしろ少数派で相変わらず大小の崩落が続く県道288号である。
 

しかし決定的な場面はやはり現れず、ギリギリの所で徒歩でなら通過可能な状態を保っている。
 画像の場所は結構大きな崩落だが、一部分だけ木の皮が剥がれてツルツルになっているのはここを通過する人が結構いる事を示しているのであろうか。
 約30分後、比較的規模の大きな切り通しを通過する。先にも書いたがこの県道288号通行止区間には隧道は無く、廃道マニアとの勝手な想いとしてはだが少々残念である。
 
 しかし、その隧道が無いといった一点を除けば距離、荒廃度、周囲の雰囲気などどれをとっても一級品の廃道であると思う。

 路上に転がる無数の落石、倒木、崩れかけた路肩とギリギリ残る駒止、ダートの路面を侵略しつつある樹木…。 これぞ「廃道」といった風景だが、この辺りではそれがまさに撮影が億劫になるほどに延々と続く。

発見
 「水窪発電所放水口から下流150m地点」とある。
 地図を見ると、放水口と思しき地点は夏焼側大崩落地点のすぐ手前にあるようだ。クライマックスは確実に近づいている。

 遂に発見


佐久間ダム側ゲートを通過してから約3時間、徒歩に切り替えてから約2時間。それは突如として現れた。
 噂には聞いていた飯田線旧線の水没隧道である。夏焼側ゲート近くにも似たような形で現存しているようだが、前回は梅雨明け直後ということもあってか水位が高く、また樹木も茂っていたため場所の見当もつかなかったこともあり、感慨深い。

 毎度お馴染みといった感じになった崩落だが、ここは前途の雰囲気が明らかに違い、大きく場面が転換する気がする。
果たして…。

やはりそれは現れた。

 これが放水口から流れ出た水によってできた泉である。
 

この画像ではその迫力と雰囲気が伝わらないのが残念だが今まで見てきた淀んだ色のダム湖の水面とは全く違う、透きとおった泉には人工物とは思えない神秘的と言えるほどの雰囲気があった。
 
 後ろを振り向くと昨日の雨の影響か、砂防ダムから豪快に水が流れ出て滝のようになっている。
 

砂防ダムというものはその名の通り上流からの土砂を貯めておく為の建造物であるから、いつかは満タンになってしまう訳でこんな場所では浚渫も容易ではないだろうなと思ったが、実際には砂防ダムでは一般的に浚渫は行われず、上流に新たに砂防ダムを建築することが多いようだ。

 到達

 この放水口にある場所はちょっとした広場になっており、休憩した人も多いのか、年代もののゴミがいくつか見受けられた。
 

また地形図を見るとここから東へ点線表記の道が分岐しているように書かれているが、そのような道は痕跡さえも見つけることができなかった。
 画像の落石注意の標識は「いまさら」といった感じだが、それほど古びた感じもしない。この先にも前回現行型のガードレールがある事を前回確認しており、今では全線の中でも最も荒廃が進んだ夏焼集落からの約5kmの区間も実は廃道化はそれ程前のことではないのかもしれない。
 
 広場の先は再び川沿いの道となり、再び飯田線旧線の廃隧道を確認することができた。
 


位置的に先ほど見つけた隧道の反対側抗口であろうか。
 この画像を見る限りでは、なんだか斜面を下っていけそうな感じもするが時間的に押していたこともあってか、現地では全くあそこへ行ってみようという気にはなれなかった。
  
抗口へズームアップ。

 反対側はすっかり水没していて近づく術もなさそうだったが、こちら側は水位が違うのか湖底が露出している。しかし良く見れば抗口の形状は一般的な馬蹄形にはほど遠く、半分近くが堆積した泥に埋もれている様子がうかがえる。
 しかも良く目を凝らして見ると足跡?があるようにも見える。やはり隧道に到達した人はいるようだ。
 隧道発見から1分も経たない内に状況は劇的な変化を遂げた。
 そう、ここが前回夏焼側から入り、引き返した大崩落の反対側と見て間違いないであろう。
 

ここでも僅かな踏み跡が感じられるが、到底抜けられる気はしない状況だ。
 しかし好奇心には勝てず一歩二歩と慎重に進む。

 終章



 現在時刻13時14分、佐久間側ゲートを越えてから約3時間30分、徒歩に切り替えてでも約2時間20分。ここを最終到達地とする。
 

 画像を見ると「なんだ行けそうじゃないか」とも思えるが、現地では全くそういう風には思えなかった。
 ここから前回引き返した地点までは100mも離れていないと思われ、ここでリスクを犯して斜面に挑戦せずとも充分に満足である。
 引き返してから約2時間10分で無事に自転車を回収。
 復路は大幅に撮影頻度を減らしたので時間の短縮になる筈だが、途中軽い昼食を挟んだのが響いたか10分足らずしか節約できなかった。
 

さっきからなにをそんなに急いでいるのかというと鉄道マニアの血が騒ぐというか、レールパークの開館時間に間に合いたいのである。
 しかし無情にも現在時刻15時27分。16時の閉館時刻まで30分ほどしか無く到底間に合いそうにない。

 ダート区間を快走して16時11分ゲートに到達。
 
ここは往路に比べ30分近くの短縮を果たし精一杯頑張ったつもりだが、レールパークの閉館時間には結局間に合わなかった。
 行きに聞いた「怪獣の鳴き声」は未だに周囲に鳴り響いている。
 
 結局中部天竜駅に着いたのは16時32分でレールパークの閉館時間には間に合わなかったが、門は閉じておらず外に展示されている車両は見学することができた。
 

この車両は飯田線旧型国電全盛期に活躍した「流電」モハ52である。
 昭和50年代前半までの当時のことは書物などの中で見るだけだが、現在の車両は画一的でイベント列車さえ運行されない状況と比べると余りの違いようではある。

    完