北陸本線旧線(今庄〜敦賀) 2   


 1962(昭和37年)の北陸トンネル開通まで北陸本線は今庄〜敦賀間で、12個所ものトンネルと4個所のスイッチバック、そして美しい日本海の眺めを有する山中峠越えの杉津(すいづ)廻りのルートをとっていた。

 この明治の北陸本線開通以来のルート約25kmはそのまま車道転用され、その大部分が県道と一部国道となっているようである。
 

 日本海の眺め

  ポータルは石造りながら、内部は煉瓦巻きの芦屋隧道の先にはすぐに次の隧道が見えている。
 
 汽車であればあっという間の距離で、かつての乗客は窓を開ける間もなかったであろう。



 
 芦屋隧道敦賀側。

今庄側とほぼ同一の造りである。
  この辺りはかつての北陸本線の車窓の白眉の一つであったようで、眼下に大小の小島を浮かべた日本海の風景が広がる。

 しかし今日はこの悪天候であり、風景を楽しめる状況ではない。

 次の曲谷隧道も石造りポータルだが、植物の侵略が著しい。

 この辺りでいよいよ風雨が強くなり、カメラの濡れが気になり撮影もままならない状況になりつつあった。

 このレポートがなかなか作成されなっかたのはその辺りの理由もある。

 隧道たち 

 この隧道はポータルこそ今までとほぼ同じ造りだが

 下半分が石造りになっており、少々雰囲気が異なる。

 路面が濡れているのは、雨とは関係なく漏水のせいである。
 次の第二観音寺隧道もすぐに現れる。

 一見して長そうな雰囲気だが、信号機等は設けられていない。

 金文字の扁額が目立つが、これは後付けのものであろう。

 この一帯の隧道群は極力旧来の雰囲気を残した補修が行われているようである。
 内部はというと、先ほどと違い乾いた感じで、状態も良さそうだ。

 下部が石造りなのは同じであるが、先ほどよりも石の部分が広いようである。
 300m程の隧道の先には、既に次の隧道も見えている。

 この隧道連続地帯もそろそろひと段落する筈である。
 第二観音寺隧道敦賀側

 雨粒+ブレブレ写真でスイマセン。

 北陸道

 第二と来れば次は当然第一観音寺隧道

 ここも金文字の扁額が取り付けられている。

 少々カーブしているがすぐ先に出口が見えており、今までの中では最も短い隧道か。
 第一観音寺隧道敦賀側。

 山中隧道にあったものと同じ制限バーがあることから解るように、ここからが県道における旧線跡利用区間ということになる。

 しかし旧線跡自体はまだ続く。 
第一観音寺隧道から100m程で、旧線跡は県道と別れ敦賀方面を目指す。

 ここからしばらく旧線跡は北陸自動車道沿いのルートになる。
  
 ガード下をくぐった先は、上下線が逆転した北陸自動車道杉津トンネルの抗口前に出る。

 この少し手前にある杉津PA付近が旧杉津駅の敷地であり、この辺りの旧線跡は北陸自動車道に転用(というか飲み込まれてしまって)されている。

 葉原隧道

 次の曽路地谷隧道は北陸道の杉津トンネルと併行するように存在している。

 長さは500m近くあり、内部はややカーブしているが照明も無く、車で入るなら注意を要しそうだ。

 左上のプレートは高さ制限3.5mと書かれている。

 ポータルのオレンジ色はかつて警戒色に塗られていた痕跡であろうか。 
 曽路地谷隧道の先は50mも行かずに次の鮒ヶ谷隧道へ。

 隧道内を通りぬける電線が電化区間の架線のようである。

 ここも金文字の扁額が取り付けられている。

 
  鮒ヶ谷隧道敦賀側。
 
 ここにも高さ制限の看板が取り付けれれているのは、脇から入る道がある為であろう。
 旧線跡は北陸道の上下線に挟まれるようにして進み、北陸道にも同名かつほぼ同じ長さのトンネルがある、葉原隧道にさしかかる。

 ここは1000m程延長があり、待ち時間5分の交互通行が行われている。

 
 内部に照明はあるものの、漏水があり湿った感じになっている。

 今までの隧道全てに言える事ではあるが、他の地域の廃隧道と比べて煤汚れが非常に少ないのが印象的である。

 道路転用に際して徹底的に清掃したのであろうか。






 国道476号へ

 長大トンネルらしく、この区間特有の大きな退避抗が幾つも設けられているが、その内何か所で人が暮らした痕跡があった。
 
 大量に残されたエロ雑誌はそれ程古いものではないようで、最近まで住人がいたのかもしれない。

 それなりの頻度で車が通る上に湿っぽい廃隧道は快適だったとは思えないが。



 
 長さ1000mの隧道を自転車で抜けるのには、5分では不可能であり、どうしても反対側が青になってしまう。

 幸い対向車と出会うことはなかったが。

 大きな制限バーが示す通り、狭い旧線の隧道を抜ける区間もここで終わる。
 旧線跡は木の芽峠を越えてきた国道476号と合流する。
 道幅こそ広がったが、緩やかなカーブと築堤は充分に鉄道由来を思わせる。

 敦賀市街が近付くと、国道は稲河内トンネルに入るが、旧線跡は左の旧道経由であろうか。

 この先国道沿いには北陸トンネルの斜坑(悪天候による撮影失敗の為写真無し…)や、歩行者専用となった旧隧道(見落とし…)などの見どころもあるのだが、いよいよ強まった風雨によってそれどころではなかったのが実情である。
 先ほどのトンネルから1km程で、国道は北陸トンネルを抜けてきた現在線と並走するようになり、この区間の旧線探索も終了する。


 機会があればもっと天気の良い日に再訪したいものである。