中央線旧線高蔵寺〜多治見の廃隧道群1

  中央西線高蔵寺〜多治見間には昭和41年の複線電化による線路切り替えによって、中央線開通時の煉瓦隧道が放棄され、13か所が現存している。(1か所は旧線の営業中に開削されたという)
 そのほとんどが、今から約110年前の明治33年の中央本線開通時の姿を留めており貴重なものである。名古屋からわずかな時間で訪れることが可能なこの遺構群を何回かに分けて撮影した。今回は定光寺駅の少し手前にある1号トンネルから古虎渓駅の手前の8号トンネルまでを紹介する。

1,2号トンネル
         1号トンネル(玉野第一)



名古屋側



  定光寺駅から東海自然歩道の入口を少し入り、斜面を登ったところにあり、保線用道路として現役です。

 笠石、帯石、要石、壁柱、パラペットと揃っており教科書通りの造りです。
 この先も高蔵寺駅方面へ保線用道路が続いています。



















多治見側




名古屋側と同様の造り、振り向くとすぐに第二トンネルが見えます。
















    2号トンネル(玉野第二)




名古屋側



 こちら側が東海自然歩道に面した側です。
抗門が無くアーチ部分のみレンガで巻かれており、この辺りでは珍しい造りです。
 現役時代の物かは不明ですがレールが残っているのが特筆されます。








 








多治見側
 



 こちら側は一般的な造りの抗門ですが、山側の壁柱がコンクリート擁壁に飲み込まれ大部分が失われています。
 この先は定光寺駅の構内へ続いています。


3,4号トンネル
 
     3号トンネル(玉野第三)







 名古屋側


 定光寺駅を抜けてすぐ先にあります。
 ここから先しばらくは旧国鉄トンネル群保存・再生委員会という団体によって整備、管理されています。

















 多治見側




 名古屋側とほぼ同様の造り。アーチと壁柱の下部が石造りになっていいます。
 古レール使用と思われる山側の落石除けも良い雰囲気を出しています。














    4号トンネル(玉野第四)








多治見側

 かつては相当に藪が激しかった様ですが、今ではすっかり刈り取られ、しっかりと全景を望むことが可能です。
 谷側に張り出した三角形の部分はウイングと呼ぶのでしょうか。













5,6号トンネル

    5号トンネル(陰山第一)



名古屋側




 ここにも谷川にウイングがあります。またよく見るとアーチ部分の下部が石造になっているのが解ります。
 大きなスズメバチの巣が気になる所ですが、撮影時は真冬で特に問題ありませんでした。
















多治見側



 名古屋側とほぼ同じ造りになっていますが、日当たりの関係か随分とし湿っぽい感じになっています。

















    6号トンネル(陰山第二)



名古屋側


 この6号トンネルは、全長300m以上あり現存する13のトンネルのなかでも2番目に長いものです。そのせいか壁柱上の装飾も凝っているように見えます。
 またアーチ部分がレンガ7重巻きにもなっており難工事が偲ばれます。
 
 手前に張り出したウイングの外側も綺麗に藪が刈り取られ、抗門の裏側まで良く構造を観察することが可能です。 

















多治見側


 こちら側はアーチ部分もここでは標準的な5重巻きで、装飾も普通に思えます。
 この先はすぐ庄内川の支流を渡るようになっており(橋台のみ現存)整備、管理された区間も終わります。


7,8号トンネル


       7号トンネル





名古屋側


 6号トンネルから川と道路を渡った所にあり、全長600mを越えるこの区間最長のトンネルです。
 
 見ての通り大半が土砂に埋もれており、人一人やっと入れる程度のスペースだけ開口しています。内部にも土砂が8分目まで詰め込まれており、通り抜けるのは大変ですが道路からは近く、接近だけなら一番容易なトンネルかもしれません。













多治見側





 後付けと思われるコンクリート擁壁とロックシェードによって全体を確認することが困難になっていますが、壁柱とウイングを備える今まで見てきたものと同タイプの抗門だったことが想像されます。
 
 先ほど書いたように内部は土砂が詰まっており、この写真では閉塞しているようにも見えますが、多治見側と同じくギリギリ開口しています。中央に見える太いパイプ状の物は送風装置の残骸のようですが、ボロボロに錆びており相当な年月を経ているように思えます。










 



       8号トンネル



名古屋側


 

7号トンネルから藪道をしばらく歩いた先にあります。
 訪れる人も少ないようで藪に埋もれ全体を確認するのは困難です。3〜6号トンネルもかつてはこのような感じだったのでしょうか。














 多治見側




 アーチ部分の装飾はありますが、抗門全体をコンクリートで覆われオリジナルの姿は失われています。両側に8の文字が確認できます。
 この先は古虎渓駅の構内に今は使われていない側線経由でつながっていますが。通り抜けは避けたほうが良さそうです。


 

10〜14号トンネルへ