日本縦断西日本編8日目【平成16年2月18日】綾部駅〈京都府綾部市〉⇒西村屋旅館〈兵庫県豊岡市〉

 2210東京発寝台特急出雲号は、下段がさらりと埋まる程度で、やはり空いている。

 俺の向かいの寝台も、発車3分前時点で誰も来ず、「今日は1ボックス貸切りか?」と思っていると、若い男1人と女2人のグループがやって来た。

 囲まれたらたまらんなと思っていると、どうやら女二人は男の見送りに来たようで、車外へ出ていった。窓の外から写真を撮りあったりしていた見送りの女達は客車らしくゆっくりと列車が動き出すと、一緒に走り出ししばらく手を振っていた。

  3人がどういう関係か知る余地もないが、こんな今風の兄ちゃんが一人で寝台特急に乗る事自体珍しく滅多に無い光景だろう。

 車内は騒ぐ客もなく静かだが、暖房が暑い位に効いているせいか何度も目が覚め京都の機関車付け替えを確認した後はほとんど眠れなかった。

 列車は定刻508に到着した。車内とは対象的に、夜明け前の綾部駅はとても冷え込んでいる。

 改札を出て明りのある適当な場所を見つけ、ローレル号を組み立てながら日が昇るのを待った。

 ブレーキの調節などで少し手間取り、1時間近くかかってようやく走り出せる準備が整った。しかし外は夜明けを迎えて、一層気温が下がって来たようだ。

 じっとしているのは辛いので、霜が降りたベンチでおにぎりを手早く食べいよいよ出発。まずは国道27号を北上して、港町西舞鶴を目指す。

 走り出してもスピードメーターが全く動かず、今日の寒さが証明された。いままで寒さでメーターの反応が悪い事は何度もあったが、全く反応しないのは初めてだ。

 このあたりの道は、学校や駅の近く以外には歩道がほとんど無く路肩も狭いので余り快適ではないが風は弱く、日本海へ抜ける道だというにアップダウンが余り無いので救われる。

 渕垣、梅迫、真倉など舞鶴線の無人駅に立ち寄り、短いトンネルを抜けると、西舞鶴に818、到着。

 宮津へ向け走り出す前に漁港に寄ってみたが落ち着いた雰囲気と日本海へ続く湾らしく、きれいな水が印象的だった。

 
 ここからは、由良川にそって国道178号を北上し丹後半島の付け根にある、宮津、天橋立へ向け進む。

 しかし東雲、丹後神崎の北近畿タンゴ鉄道の2駅は由良川の対岸にあり列車は河口に長い橋を架けて宮津へ向かうが道路に橋は無く、もしこの2駅に立ち寄ろうとすると大変な迂回になるので今回は諦めることにした。

 そんなことを地図で確認していると、軽トラックのオッチャンに「ニイチャン、どこまで行くんや?」と声をかけられた。「豊岡まで」と答えると「ほなら、ここ左に曲たらええ」と言われたのであまり考えずにその通りにした。

 少し進んで何か様子が変だなと思いよく地図を確認してみると、この道は国道9号に出て今日出発した綾部のすぐ西にある福知山経由で豊岡へ向かう道だった。

 オッチャンは俺が綾部から来て北近畿タンゴ鉄道宮津線沿いに丹後半島を横断して、豊岡を目指す事など知らないので最短距離の一般ルートを教えるのは当然で、よく確認しない俺が悪いのだが今日はこの後も何度も道を間違え苦労する事になる。

 仕方なくもと来た道を戻り由良川沿いの道を快走して初めて宮津線の駅、丹後由良に957到着。


 駅舎は、洒落た感じの三角屋根の建物になっていて、委託?の駅員がいた。これから先の駅も第三セクターになった時に転換交付金で建て直したと思われる駅舎が多く、また小さな駅にたいがい駅員がいた。

 ここからはいよいよ日本海沿いに走るようになるが、付近の景色は松島を思わせなかなかだ。

 難読駅の栗田(くんだ)に寄り小さな峠を超えると、宮津市に入る。峠を一気に下り宮津駅に1048到着。国鉄時代には大きな木造駅舎があったらしいが今はガラスを多用した小さめの駅舎になっている。

 海沿いの平坦な道を進み日本三景天橋立への最寄り駅、天橋立駅には1115、到着。ここも宮津と同じく観光案内所を併設した今風の建物になっている。

 天橋立は有名観光地らしく、平日だというのに沢山の観光客で賑わっていた。

 観光船やケーブルカーに乗ってもしょうがないので、砂洲の中を貫く道(歩行車、自転車、原付用)を通り抜け、ぐるりと湾を回ってから先へ進む事にする。

 砂洲の道は当然舗装されていないが、多少の凸凹はあるものの以外と走りやすい道だ。

 
 傘松公園のある対岸に到着し、波打ち際を通るサイクリングロードを見つけたので今走ってきた砂洲を眺めながらそこを走った。

国道に戻る手前にスーパーがあったので、腹も減っているし昼食にした。カキフライ丼 (\390)はできたてで温かくうまかった。

 名前の通り岩滝町の端にある岩滝口駅を過ぎると、国道号と宮津線は丹後半島を横断するルートを進むようになる。

 道端に雪が残る峠道を進み大宮町に入りしばらく線路と併走した先に、丹後大宮駅はあった。

 この駅は、竜宮城風というか中華料理店風というのか赤い柱がインパクトのある駅舎だが、俺はあまり好きにはなれない感じだ。

 この先宮津線は国道と離れ網野、木津など海沿いの街を経由して豊岡を目指すが俺は峰山駅へ向かう途中で道を間違え丹後ちりめんの織機をイメージしたという駅舎に到着した時には既に1405になっていた。

 地図を見ると、駅から国道に戻らなくても線路沿いの細い道を行けば網野方面へ抜けられるようだったので少し心配だが、その道を行く。

 しかしこの選択は見事に失敗で、かなり進んでから間違いに気づき戻る事になり途中で「少しは近道だろう」と選んだ道もその名も「王国の道」という峠越えの道でかなり体力を使った。

 
 ようやく丹後半島を横断し、海が近い網野駅には1450に到着。

 ここもいままでの駅と同じく、駅舎は個性的で宇宙船のような銀色のドーム型の建物だった。しかも良く見ると、骨組みは木造の様で更に驚く。

 そんな洒落た駅舎だが中では昔学校で見たようなストーブが焚かれていて、またトイレのドアには「くさいから閉めて!」なんていう貼り紙があったりして建物との対比が面白かった。

 外には「カニにはアミノ酸がたっぷり」という予想通りの看板があったがサントリーの自販機が有るにも関わらず、アミノ式は入っておらず、残念だった。

 そんな網野駅だったが、かなり走ってから写真を撮り忘れた事に気づき悔しかったが戻る気にはなれない。

 海沿いの道を少し行くと丹後木津改め木津温泉駅に1520到着。その名の通り温泉が近く、複雑な形をした和風の駅舎がある。

 駅前には旅館の迎えの車が何台も止まっていて撮影しずらったが、宮津線にこういう観光の需要が有るのはいい事だろう。

 別荘風の駅舎がある丹後神野駅を過ぎると国道178号はカキの養殖が盛んだという、細い砂洲で日本海と隔てられた久美浜湾に沿って走る様になる。しかし、同じ様な感じのサロマ湖は「湖」でここは「湾」なのは不思議だ。

 
 海岸ギリギリの景色が良い所を進む国道が久美浜湾と別れ、少し山に入った所に甲山駅はある。

 ここは、駅舎はなく片面ホームが有るだけの寂しい駅だが下校の高校生で賑わっていた。

 しかし、この辺りの国道178号は狭い道でセンターラインの無い1.5車線位の所もあるほどだ。そんな道をしばらく走り平地に出て景色が開けた所に、大きな寺のような建物が見えてきた。

 
 それが久美浜駅で、駅舎はどこかの県庁を模して建てたそうだがとにかく立派な建物で中に町の施設が入っているとはいえそれほど利用者の多くないこの駅にこんな駅舎を建てるとは、今までの駅も含めて北近畿タンゴ鉄道の駅舎へのこだわりには相当なものがあるようだ。

 今日の目的地、豊岡まではあと20kmもなく目前だが京都−兵庫の県境には河梨峠があり、標高はそれほどでも無さそうだが夕暮れも迫っているので先を急ぐ。

 進むごとに道端の残雪が多くなる峠道を登りトンネルを抜け、1715、兵庫県に入った。峠の下りはほとんどカーブの無い道だったので、あまりブレーキを使わずに一気に下った。
 兵庫県に入って最初の駅、但馬三江は豊岡の市街に入る手前の静かな所にあった。ここはいままでの駅とは違い国鉄時代からの古い木造駅舎があり、正面にある大きな木と相まってなかなかの雰囲気だ。

 
 いままでの駅舎はすべて改築されていたのに、ここだけは旧来のままなのは単に利用者が少ないからという理由だけでなく、北近畿タンゴ鉄道の経営主体が京都府だという事とも関係がありそうだ。

 夕日を眺めながら円山川を渡り、市街地に入ると豊岡駅には日没前の1750に到着。

 
 ここには4年前の夏に列車で来たことがあるが、青い屋根の木造駅舎はほとんど変わっていなかった。

 4年前も到着したのは夕方で乗り換えて鳥取まで行き泊まったが、今回鳥取に着くのは明日の夜の予定だ。18切符の旅も急がない旅だが、自転車と比べれば恐ろしいほどのハイペースだ。

 豊岡には泊まる所が沢山あり少し迷ったが、駅からは離れているが安そうな「西村屋旅館」にした。

 夕食は「かき舟」という店内に阪神グッズが大量に置いてある店でカキフライを食べ、今日通った久美浜湾のカキかなと思ったが良く見ると「本場広島産カキ使用」というポスターが貼ってあるのだった。        
    
本日の走行距離138km(メーター不調により推定) 最高時速46.0km 走行時間11.03.30 自宅からの走行距離860.03km以上(推定)