国道42号旧道「矢の川峠」1

  静岡県の浜松と和歌山県和歌山市を結ぶ長い長い(重複区間も多いが)国道42号線のなかでもかなり南に位置する、三重県尾鷲市と三重県熊野市との間に存在する峠が矢の川峠(やのことうげ)である矢の川をやのこと読むのは、一見しただけでは想像もつかないが現道の青看のアルファベット表記も後に分かるように「Yanoko Pass」となっており正式な読み方なようである。
 ネット上の情報では旧道は特に熊野市側が荒れている様子で、有名な割には全線踏破のレポも意外に少ないが距離からして半日かければ攻略可能と判断し2008年7月18日朝紀勢本線尾鷲駅に降り立った。

出発
 
 




           
 尾鷲の市街地を抜けると、国道の行く手には山が聳え立ちいやでも峠の存在を予感させる。
 最初にも書いたように国道42号線の起点は浜松であるが、地図を見ると浜松市からしばらく続く国道1号との重複区間をようやく抜けるとまっすぐに渥美半島の伊良湖岬を目指している。そのあとはスッパリと地図上から消えてしまい、次に現れるのは三重県の松阪市付近である。その間はどうしているのかと言うと、少し調べたところ伊良湖岬から三重県鳥羽市までは海上区間、その先は国道23号との重複区間なようである。事情を知らなければとても1本の国道とは思えないであろう。
 
この212kmという距離はどうやらしっかりと海上区間経由の距離を示しているようでフェリーを使えば可能とはいえ自走できない距離が示されているのは(趣味的には)面白い。






 







 5分ほど走ると辺りはすっかり山の雰囲気になり次第に道の勾配も増してくる。

 梅雨明け前のこの日は、雨具を着込む程ではないが出発した時から細かい雨が降り続いている。この位の雨量であれば国道が通行止めになるような事は無いのだろうが、予報では時々強く降ることもあるようでやや心配ではある。














 熊野尾鷲道路は、現在の国道42号のバイパスでJR紀勢本線に近いルートで熊野市と尾鷲市を結ぶ自動車専用道路のようである。
 
地図にはないが既に賀田湾に近い三木里までは開通しており全線開通すれば現道の交通量も大分減るのであろう。


















 緩やかな勾配の峠道を時々追い抜かれる大型車にヒヤヒヤしながらも淡々と進むと、霧雨程度だった雨が次第に強くなりレンズに付いた水滴のおかげでこんな写真になってしまった

 こんな時は普段は路肩が狭く圧迫感があって好きになれない覆道の中も少しの間とはいえ雨にぬれない屋根付きコースに変わる。
















矢の川峠 である。尾鷲駅を出てからまだ1時間と経っておらず、いかにもあっけない。

 しかし地図を見るとここから現道の矢の川トンネルまではまだ結構な距離があり、この橋の袂に矢の川峠の標識が立っている理由は正直わからない。








 







 さて、現道の方は早くも峠宣言されてしまったが、旧道探索はまだ始まってもいない。

 上の画像にも小さく写っているが、峠の標識の斜め向かいが旧道の入口だ。先程は理由が解らないと書いてしまった標識だが、旧道への良い目印にはなっている。


旧道へ
 






 現在地の標高 約250mに対して矢の川峠の標高は800m以上あり550mもの標高差がある。また峠までのは直線距離2km程しかないなかで、550mもの標高差を攻略するのである。昭和初期の低性能な自動車を通した勾配を考えれば相当な屈曲ぶりが予想される。

 いよいよ旧道に足を踏み入れると、路面はやや荒れたダートでお決まりの不法投棄禁止の看板が立っているが、残念ながら古タイヤや雑多なものが放置されている。

 こうしたダートの旧道や林道は経験上入口付近の路面が荒れていて、その後やや進むと回復を見せる事が多いような気がするが何故だろうか?











 5分と行かないうちに最初の橋梁、 懐古橋に差し掛かる。画像はフラッシュが発光してしまい非常に見にくいが「かいこはし」と彫られているのがご覧いただけるだろうか。

 短い橋だが、旧道に入ってからの始めに出会う遺構で印象に残る。ちなみに前の画像にあった棒状のコンクリート柱は現在のガードレールにあたる物らしい。歯抜けになってしまった今では全くその用を成さないが、他では見かけないものだ。


















 懐古橋にはご覧の通り直径1mはあろうかという巨大な落石が転がっている。見た目には新しそうな石だが、場所的に崖から自然に転がって来たとは思えないところにあり不思議である。





















 相変わらず路面はガレているが、時々このような広場になっている所もある。
どうやらこの辺りは崖下を走る現道の工事の法面工事に関連して工事用の車両が入ることがあるようである。


















 最低限の整備はなされている矢の川峠旧道だが、断崖の狭路にもかかわらず、ガードレールすら無い区間も多く四輪での走行には気をつかうであろう。



















 そして第二の橋梁、紅葉橋である。ここの欄干は見事に折れ鉄骨がむき出しになっており傷みが目立つ。

 現在この辺りは鬱蒼とした雑木林だが、かつては紅葉が美しいような所だったのあろうか。





















 路肩が特に崩れやすそうな所には、こういったガードレール付きの補強もみられるが、明らかに旧道化してからの処置であろう。

 この事からも現在でもこの道の通行需要は僅かながら存在するといえるだろう。











遺構連発









 第三の橋梁、瀧見橋である。旧道入りしてから1時間と経っていないが次々と遺構が現れ、飽きる事が無い。

 ここの欄干も痛みが目立ち、橋全体の強度も心配になってくる。





















 親柱には、はっきりとした楷書体で瀧見橋と彫られている。
  
 欄干の間の白いパイプは補強のために後で設置されたようである。





















 橋の名前の由来になった滝は、すぐ山側に見つけることができる。

 今日は水量も僅かなかわいい滝だが、状況によっては違った表情を見せるのかもしれない。




















 まだ現道を離れて20分程だが、こんなにも離れてしまった。
 
地図を見るとこの先旧道は大きく東側に進路を変え現道に近づき矢の川トンネルの上を通過したあと、180°ターンするような形で再び西に進路を変えもう一度矢の川トンネルの真上を通って峠を目指すという極めてスケールの大きい九十九折れのようなルート取りになっている。





















 これは一見すると橋梁の欄干の様でもあるが、設置されているのは谷側のみであり崩れ易い路肩の保護と転落防止柵を兼ねた構造物のようだ













 






先ほどは橋梁ではないと書いたが、どうやら道の下には空間が存在しているようで水抜き用?と思われる直径15pほどの穴を見つけた試しに小石を落としてみたところ少し間を置いたあとポチャーンという音が聞こえ、下は暗渠のようになっているのかもしれない。


















この構造物は、ごらんの通り今までの橋の欄干と違って丸石が多数練りこまれたような歴史を感じさせるコンクリートででできている。

 しかし不思議な事に破損が多発し鉄骨がむき出しになっていた欄干に対してこちらは少しの欠けも感じられず、苔むしたその姿には頼もしさすら感じるほどの安定感がある。










南谷大橋

 







 書いてあることは至極当然のことだが、誰が設置した看板であろうか?

この先の広場のようになっている場所で鹿の群れを見たのでハンターが入る事はあるのだろう。



















先ほどの欄干から5分と経っていないが次なる橋梁に差し掛かる
 
ここは今までよりもやや立派な作りになっていて、長さもそこそこある。

















 




 その名も南谷大橋。
  
 親柱の上部に付けられた円錐形の意匠が印象的だ。これはそのままこの橋の重要性を表していると言えるだろう。















 




 南谷大橋を渡ると、いよいよ矢の川旧道はその険しさを増す。

 このような急勾配の場所では砂利が流され岩盤むき出しのガレた路面になっている。

 またここでも、草木に埋もれ見ずらいが転落防止用のコンクリート柱が確認できる。















 南谷大橋から約20分、初の隧道が現れる。

 完全に素掘りの荒々しい隧道だがそこはかつての主要国道、房総の林道トンネルなどとは違い、大型トラックも通れそうな巨大な断面をもっている。


隧道へ
 

 




 長さは100m足らずで、内部は緩やかにカーブしているもののはっきりと出口も見える。

 路面は簡易なコンクリート舗装になっているが、これは後年の補修によるものだろう。




















 熊野側はすぐに急カーブになっており、上り勾配もきつい。
 
 この日はしばらく小降りになっていた雨が再びこの辺りで強くなりカメラのレンズの滴を取るのも一苦労だ。




















 ご覧のようにこの辺りのコンクート舗装は新しい。
 
 一見放置されているようにも見える矢の川旧道だが、現在でも少しずつは補修の手は入っているようだ。








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