国道42号旧道「矢の川峠」4

  静岡県の浜松と和歌山県和歌山市を結ぶ長い長い(重複区間も多いが)国道42号線のなかでもかなり南に位置する、三重県尾鷲市と三重県熊野市との間に存在する峠が矢の川峠(やのことうげ)である矢の川をやのこと読むのは、一見しただけでは想像もつかないが現道の青看のアルファベット表記も後に分かるように「Yanoko Pass」となっており正式な読み方なようである。
 ネット上の情報では旧道は特に熊野市側が荒れている様子で、有名な割には全線踏破のレポも意外に少ないが距離からして半日かければ攻略可能と判断し2008年7月18日朝紀勢本線尾鷲駅に降り立った。

今回は熊野市側を紹介する

再び出発
 

 







広々として気分の良い矢の川峠だが、いつまでも休んでいるわけにもいかない、今日の目的はあくまでも矢の川峠旧道の全線走破である。




















 この先が熊野市方面へと続く旧道の続きだが特に通行止め等の標識も無く何も知らなければ状況を知らずに入って行ってしまう車もいそうだ。
 ちなみに手持ちの10万分の一の地図では、細い線ながらしっかりと書かれていた尾鷲側に対して熊野市側は一部点線で書かれており、事実上の廃道状態が伺える。
















 しかし一歩足を踏み入れればこの状態である。
大きな落石がゴロゴロする岩盤むき出しの荒れた路面がどこまでも続いている。
 一つだけ救いなのはずっと下り坂な事で、殆どが自転車に乗車できないとは言っても登りが続くのと比べれば労力はだいぶ違う。










 
 








 5分程進むと、最初の崩落に差し掛かるがここは通行には別段支障無く進むことができる。
 路肩にはガードレール等一切見当たらず、法面も岩肌を削っただけの荒々しい状態で、尾鷲側とは大分雰囲気が違う。







熊野市側旧道へ
 







 手前に見えるコンクリート塊は駒止の一種であろうか。 これで衝突する車を受け止められるとはとても思えないし、一つしか残っていないのも不自然だが。 
 また路肩ギリギリに生えた木の太さが廃道化してからの年月を物がったている。そして行く手には再び崩落が。 






















 結構大きな崩落だがすでに風化が進み安定しており、またやはり物好きはいるようで良く観察すると先人が作ったルートがなんとなく見えてくる。
 距離は延びてもなるべく山側を通ることを心掛け、慎重にここを通過。


















 時々は、このような平場もある。ここはとくに道幅が広くなっており待避所の跡であろうか。
 まだ峠を出てから10分程しか経っていないがかなりの高低差を下った感じで、万が一この後致命的な状況が現れて引き返す事になれば、と考えると気が重い。

















前方に車が! という訳はなく当然廃車体である。
廃道にはよくある風景とはいえ、こんな所に車を放棄するのは実にけしからん輩ではある。
 しかし前後を崩落に阻まれた現在の状況では回収も容易ではなく、このまま朽ちるのを待つばかりであろう。


崩落








この車は、平成5年頃の軽自動車ダイハツ ミラであろう。現在走っていても不思議ではなく、そんなに古い車ではない。ネット上の記録を見るとその頃には既にこの先の橋も落ち、今と変わらず荒廃した状況だったというから最近急に廃道化が進んだか、もしくは普通車での無謀な突撃の結果か。
 それとこの半壊状態の車が懐かしのストUのボーナスゲームを思わせるのは私だけであろうか。



















 そして、再び崩落が現れる。今度のは今までよりも規模が大きくだいぶ困難そうな感じだ。
 しかしやはり踏み跡はしっかりしており、慎重に行けば何とかなりそうだ。


















 体だけなら楽勝な場所も自転車同伴だと苦労は何倍も増す。
ここでもし滑落すれば自分だけはなんとか這い上がれても、自転車を引き上げるのは容易では無いだろう。
























 進行方向を見ればこんな感じである。
道はギリギリ残っているというよりも、人が通ることによってルートが確保されてるといったところであろう。
 一歩足を踏み外せばただごとでは済まない所を慎重に行く。


荒れた旧道

 







 崩落を越えても荒れた路面は続く。
 日当たりのせいか藪になっていないのが救いだが、相変わらず自転車には乗車できずペースは一向に上がらない。














 






バイクなら大きな障害になりそうな倒木も、自転車でならそれほど苦労無く越えることができる。道の真ん中に生えた木は崩落によって運ばれた若木がそのまま根づいたのだろうか。


















 まるでテーブルのような形状の変わった形状の石だが、その大きさも半端でない。
 この辺りはこんな感じで剥がれるように崩れる材質の石が多いようで、落石が多発する要因になっている。























何となく穏やかな感じの場所が続いたが、前方の様子が何か変だ。
そう、矢の川峠旧道の熊野市側で最も印象的で良く知られたあの場所に、まもなく差し掛かるのだ。


落橋地点へ







 13時48分、落橋地点に到達。
 ネットで見たそのままの光景が目の前にひろがっていて感慨深い。
 対岸までの距離は15m程だと思われるが、橋梁部分だけが唐突に消失していて、まるでスーパーマリオの谷のような状況のようだ。マリオはジャンプして谷を越えるが私は当然谷底を迂回しなければならない。
 下に視線を移すと…。




















 これもネットで見た通り、見事に「道」が建築されている。
 ここも「竣工」から結構な時間がたっている筈だが、目立った崩落も見られずしっかりと現存している。



















 下に降りてみるとこんな状況だった。
倒木と石で作られた道はしっかりとしていて、こんなものを大した道具もない状況で作ってしまう情熱と技量には感服である。
 また路面がしっかりしているとはいっても勾配は半端でなく自転車を押して上がるのにも苦労するほどだ。私バイクには乗れないがここを通過するのに大変なテクニックを要するのはわかる。

















 谷底から見上げればこんな風景となる。
現役時代はかなり堅牢な造りの橋だったことが伺えるが、なぜ落ちてしまったのだろうか。
 落ちたパーツは周りの落石と同じように苔むしてあまり目立たず、落橋からの時間の経過を感じさせる。









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