金山隧道@ |
エンブレムまでの道程 |
2007年1月22日、全国でも屈指の知名度を誇る常磐線、金山隧道を訪れるべく、朝の竜田駅に降り立った。 いわきと原ノ町の間に位置するここ竜田駅は、ほとんど地元の人しか利用しないと思われるローカルな駅で大きな輪行袋を持った男には場違いな感じだ。 駅から10分ほど富岡側に進んだ所に、線路脇にまっすぐ伸びる保線用の道への入り口がある。 特に立ち入り禁止の表示はないが、あまりいい雰囲気ではない。この先に目指す隧道はあるはずだ。 四輪の轍がはっきりとついた道を軽快に進むと、あっという間に轍はなくなり、自転車で進む事は困難となる。 保線道路は終点を迎えたが、徒歩でなら線路脇を進むのもまだまだ容易そうで、通過列車に気をつけながら歩けば、やがて現在線の金山トンネルに到達できそうで、その脇にあるという金山隧道へもさほど苦労無くたどり着けそうだ。 しかし、藪を覚悟してここまで来たのだし万が一列車を止めるような事になれば大変なので、まずは左側の防風林へ入ってみる事にする。 ここはまだ植林されて日が浅いようで、細い木が等間隔に植えられている。当然下草は刈られておりとても歩きやすい。 入ってすぐの所には、立入禁止の札もありトンネル探検に来る者が定期的にいる事を感じさせる。しかし防風林の中の道はすぐに終わり、旧線の築堤かは分からないが、1メートル近くありそうな段差を登るといよいよ猛烈な藪が始まる。 真冬故、枯れた茶色の海が行く手に広がっているが、全身を使って体重を掛け絡みつく藪を引きちぎりながら進む事は可能だ。しかし時折下半身に刺すような痛みを感じる。 良く見ると、トゲのあるイバラのような植物がズボンに絡みついているではないか。 しかもこいつは冬でも完全には枯れないようで、充分にしなやかさを保っている。 しかたなく、トゲは一つ一つ慎重に解除しながら進むことになり、少し前進するのにも非常に時間がかかる。そうこうしているうちに前方に白く光る(ように見えた)エンブレムが視界に入るようにった。 既に直線距離なら100mも無いと思われるが、藪は一層激しくなり、背丈も超える程の雑草が生い茂っている。このまま前進を続けても体力を消耗するだけだと思われるので、一旦現在線の脇まで出てみる事にした。 しかし、幸いな事に線路に近づくと不思議と藪は薄くなり、僅かな踏み跡も感じられるようになった。 気付けば、現在線の坑口は目の前だった。ここからは、明らかに探索者がつけたと思われる踏み跡が鮮明に続いており、さほど苦労せずに到達する事が出来た。 写真などでは何度も見たこの金山隧道だが実際に目の前にするとその迫力に圧倒される。誰かが定期的に磨いているのではないかと思うほど白さを保った動輪のエンブレムはもちろんたが、西洋の城をイメージさせる坑口全体のデザインは、単線非電化の鉄道トンネルとは思えない程の大きな建築物に見える。 坑口上部はツタの侵攻を受けているが、100年の歴史が詰まった煉瓦には少しの欠けも感じらない。また両脇の部分には一部赤みを保った煉瓦もあるが、直上の部分は長年蒸気機関車の煙りに曝され続けた証しか黒く変色している。そんな中でのエンブレムの白さは余計に印象的だ。 左下の部分には、後年取り付けられたと思われる、ホーロー引きの白いプレートがあり、大分消えかかってはいるもののその驚くべき延長、1646mを示している。 特筆すべきはこれだけ長い廃隧道だというのに、一切立ち入り禁止などの表記が無く、廃止されたそのままの姿を留めている事だろう。まあ、間違えて子供が迷い込むような所ではないし、決して侵入が推奨されている訳では無いのだろうが、撮影には極めて好都合だ。 その2(内部編)へ |