国道158号赤怒谷トンネル旧道

 福井県福井市と長野県松本市を結ぶ国道158号には、急峻な山岳地帯を縦断する路線だけに数多くの旧道、廃道区間が存在するが、北アルプスの山々を源とする梓川の激流が刻んだ深い谷間に位置する、上高地へのアプローチルートの沢渡〜中の湯間には特に高密度で旧道、廃道区間が存在している。
 そんな中でも最も中の湯(上高地)寄りに位置する赤怒谷トンネルの旧道を今回訪れた。

赤怒谷トンネル





 国道158号と上高地を結ぶ、かの有名な釜トンネルの一つ松本側に位置する赤怒谷トンネル。

1988年竣工で長さは396m。篇額には「赤怒谷隧道」とあるが、銘板は「赤怒谷トンネル」で、こちらが正式名称か。
 
 狭い長大トンネルが連続し自転車泣かせで知られる国道158号の松本と上高地を結ぶ区間であるが、古いトンネルが多い島々から沢渡までのダム水没付け替え区間と違い1988年竣工ということで、少々狭いながらも歩道もあり、大型観光バスの列も恐れずに自転車で通過することができる。

 この辺り特有の番号の振られた白いプレートだが、赤怒谷トンネルは「18」で釜トンネルがラストナンバー「19」である(ただし現釜トンネルには無し)











 赤怒谷トンネル松本側
 
 ただ事では無いものを感じさせる「赤怒谷」。その由来は不明だが、安房トンネル工事では中の湯付近で水蒸気爆発による事故も起こっており、この辺りの地中が火山地帯に位置することは間違いないのであろう。
 
 実際ひんやりとした空気が流れているイメージのあるトンネル内だが、ここはムワッとした熱気を感じた。


 さて旧道だが、トンネル脇のチェーンゲートの道がそれで、黄色い三角形のプレートには「注意」とだけ書かれている。














 


 旧道へ足を進めると、もうもうと立ち込める湯気が見えてくる。
  
 舗装が切れ路面はダートのようになっているが、鮮明なダブルトラックが刻まれており、ここを通る車は結構いるようだ。


















 


 湯気の元はこれ。地中の蒸気を逃すため?のパイプから凄い勢いで噴出している。

 下の赤く変色した岩の転がる梓川渓谷(トンネル名の由来か)は赤怒谷の野湯として有名で、河原に自分で穴を掘るだけで温泉が湧き出るようだ。

 野湯入浴のためか下へ降りる梯子もあるようだが、ここに立っているだけで充分天然温泉ミストサウナのような状態になっている。


取入隧道








 100mも行かないうちに現れる取入隧道。
 
 「隧道」とあるが地中を貫く部分は無く実態は覆道の形をしている。
 
 昭和39年竣工というこの「隧道」だが、無骨な中にも細かい所に意匠が感じられ実に「カッコいい」
















 

 50mほどは普通の古びた覆道といった感じだが、突如状況が変わる。

 ボロボロになったコンクリート柱を補強するように鉄骨が継ぎ足されているではないか。

 こんな状況は初めて見たが、これによってただでさえ狭い道幅がされに半分近くに狭まってしまっている。
 ガードレールが取り付けられている所からして現役で使われていたころの処置だろうか。














 
補強部分を振り返って撮影。

 コンクリート部分と鉄骨部分は完全に接合されている訳ではなく、限りなく「乗っかっている」ような状態に見える。

 (トンネル完成までの)応急処置としてはこれで充分だったかもしれないが、覆道全体の老朽化がさらに進んだ現在では、いつか崩壊の日が来るのは避けられないということか。















 



鉄筋が剥き出しになったコンクリート柱

 温泉成分を含んだ風が吹きつけるこの場所で、コンクリートが特別早くに劣化したというのは充分理解できるが、一方で無傷の柱もあり特定の所だけがここまでボロボロになるというのはちょっと分からない。
















 柱の間から身を乗り出して撮影。

 目前に見える鉄筋の塊は柱の残骸であろうか、一コマ前の柱も酷い状態だったがこれは見てのとおり殆ど原型を留めておらず、こうなるメカニズムは全く想像もつかない。
 
 今通ってきた覆道の屋根上に目をやると、これ以上はないとまでに大量の土砂が堆積しているのが確認できる。
 
 今現在も相当な力がこの覆道全体にかかっている筈で、すぐに崩れてくるとは思えないがあまり長い間ここに居るのはあまりいい気分ではない。


結末




 
 
 

 さらに進むと、鉄骨による補強はさらに厳重になり「覆道内覆道」といった状態になる。
 
 これが現道時代の処置であるなら、内部での離合が不可能なことは勿論、大型バスなどは一台でもギリギリのサイズだったのではないであろうか。
















 「覆道内覆道」の先はというとどういう訳か一切の補強が無くなり、また柱も無傷でしっかりしている。

 心なしか柱の間隔も広いようなような気もするが、この景色を見ると自分は塗装される前の浦和競馬場のスタンドを思い出す。ちょうど同じ時代の建築物なのであろう。

 出口の先には何か構造物がみえるが。
















 



 コンクリートの函からいくつかのパイプと熱い蒸気が噴き出しており、これは温泉の井戸のようだ。

 この設備の管理と先ほどの野湯に訪れる人もおり、この旧道は完全な廃道化を逃れている。





















 中の湯側の篇額


 四文字それぞれ独立した金属製?のプレートが埋め込まれているが、謎の黒い液体が染み出しており、まるで自分の上に積み重なる土砂の重みに苦しむ覆道が涙を流しているようでさえある。
















 

 さて、この先はというと、ご覧のとおり完全に道が消滅しており、進むことは出来ない。

 奥に写っている橋は安房トンネルを抜けた安房峠道路で、現道の赤怒谷トンネルの中の湯側出口はすぐそこだと思われるだけに残念である。