国道260号紀勢南島トンネル旧道(棚橋隧道区間)中編 


 国道260号は三重県志摩市と三重県三重県紀北町を結ぶ路線であるが、途中には海上区間を含んでいる。

 南伊勢町と紀北町の境に位置する棚橋隧道は前後の区間を含め長く難所とされてきたが、2002年に紀勢南島トンネル(1550m)が開通。

 その後東側の区間のバイパスも開通し、難所は解消されている。

 旧道区間は一応最低限の整備はされているものの旧道化から10年近くが経ち、少々荒れた状態となっているようだ。

 棚橋隧道


 これが、棚橋隧道。

 自転車と比較してその狭さがお分かりいただけるであろうか。
 
 しかしここは、確かに21世紀に入ってからも国道260号として供されていた。 
 早速内部へ。

 車輌の行き違いができないのは言うまでも無いが、歩行者と車輌でも厳しいのではないかと思える狭さである。
 「鍵穴のような」と称される下部の窄まりは20m程続いているが、これは当然竣工時からのものとは思えず、後年の補強によるものだと思われるが、いつ頃この姿になったのであろうか。

 
 中央付近まで来ると、窄まりもなくなり一般的なコンクリート吹き付けの側壁となるが、円形に近い構造は入口付近の縦長ぶりとは対照的である。

 先には出口の明かりが見えるが、こちらは普通の縦型の抗口のようである。

 

 中央付近から来た方向を振り返る。

 入口付近の補強ぶりと狭窄ぶりが良く解る一枚だが、それだけ危うい地質だったのであろう。 

 紀北町側

 紀北町側の出口は先にも述べたように一般的?な縦長形状になっている。

 比較的地質も安定していると思われるこちら側だが、良く見れば経年による劣化は隠せない。

 素掘りにコンクリート吹き付けのみだと思っていた内壁だが、この辺りは鉄筋が使われていた。

 紀北町側坑口

 こちら側は南伊勢町側とは対照的にほぼ左右対称な整った姿を残している。

 個人的には古代中国や沖縄の墳墓の入り口を連想させたが、隧道の「隧」という文字はもともと墓の奥へと通じる通路という意味であったという。
  
 少し引いた場所から抗口付近を振り返る。

 いかにも南紀州といった感じの濃い緑が印象的である。

 錦峠 

 前述の通り、紀北町側の旧道は通行止めという訳では無く、周囲が手入れの行きとどいた杉林ということからも、それなりの往来はあるようだ。

 紀北町側の旧道は、南伊勢町側と比べてそれ程距離が短いという訳ではないが、勾配に関してはかなり穏やかであり、県道68号と合流するこの地点でも標高は200m程ある。

 この県道68号は「紀勢インター線」と名付けられているが、現状周辺にインターは無く、将来の紀勢自動車道開通を見据えてのものか。
 国道260号と県道68号が交わるこの地点は錦峠という地名が付けられており、周囲にはドライブインなどがあることからかつてはそれなりの賑わいを見せた場所のようだが、国道が旧道化した今ではひっそりとしているように見える。

 錦「峠」とはいっても、この辺りは特に急峻な地形では無く、山中で二本の道の道が交わる場所といった感じである。 
 しかしこの先のリアス式海岸と山に囲まれた錦漁港地区の住人は、国道開通前までは紀伊長島など他地区へ出るにはほぼ船しか手段が無く、ここ錦峠を通る道(徒歩道)が唯一の陸路であったという。 

 「羽下橋」
最初のコマにあった「羽下」は隧道を抜けた先の地名を掲示していたようである。

 そういえばこちら側(紀北町側)には「棚橋」とかかれていた。
 「羽下」はここでは「はげ」と読むようであるが、どんな由来があるのだろうか。
 
 通常のガードレールの上にもう一段パーツが足された形式のこのような橋の欄干は特に東海三県で現役、非現役に関わらず良く見るような気がする。
  

 再び旧道へ

 羽下橋を渡り、そのまま県道を直進すると平成7年竣工の錦望トンネルを経て紀勢南島トンネルを抜けた先の国道260号と合流する。

 延長183mの錦望トンネルだが、この時期に掘られたトンネル特有のレリーフで飾られている。

 大きなえびすと鯛がフルカラーで彩られたレリーフは今まで見た中でも屈指のものではあるが、今後はこのような派手な抗口を持つトンネルが掘られることは殆ど無いのであろう。
 では国道260号はどうなってしまったのかというと、トンネル手前の養鶏場の辺りで右方向へ分岐している。

 道は二車線ながら、ご覧の通り通行止めであるが、この先の状況やいかに。
  旧道を少し入った所には、曇ったカーブミラーと「紀勢の旅」と銘打った観光案内看板が立っている。

 現道のトンネルが書かれていないのは当然だが、良く見れば先ほどの錦望トンネルを経て錦地区へ通ずる道が「260号工事中」として示されている。

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 この区間の旧道は、錦望トンネルの開通以来通行止めが続いており、2000年代初頭には既に荒れた状態になっていたようである。

 しかしこのように薄い轍もあり、状況に変化がある可能性も考えられる。


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