国道303号旧道八草峠旧道最終回   


 岐阜県岐阜市と福井県若狭町を結ぶ国道303号であるが、岐阜〜滋賀の県境に位置する八草峠は、2001年に3025mの八草トンネルを含むバイパスが開通するまでは断崖の狭路が続く難所として名高かったという。
 旧道化後数年はなんとか四輪でも通過出来る状態が維持されていたようだが10年近くが経過した今、各所で崩落が発生し通年通行止めの状態が続いているようである。
 

 崩落へ挑む

 さて、これから自転車と共にこの崩落地点を越えようというわけだが、その際のルートは徒歩の場合と同じく写真に示したようになるだろう。
 
 まずは黄色の土の急斜面を登り、赤の灌木帯を抜け、青の林内を通って「対岸」へと達したいが簡単には行きそうにはない。



 
 さて「第一段階」の土の斜面だが、この通りの急勾配ぶり、おまけに非常に崩れやすい土質で、自転車を肩に担いで斜面を斜めに登ってもズルズルと滑り落ちるばかりで全く埒が開かない。
 
 十数回の失敗の後、作戦の変更を決断。自転車を担ぎ上げるのではなく自分が先に登って上から寝かした自転車を引っ張り上げる方法を試みた。
 急斜面上では自分が安定して立っているだけでも楽では無く、この方法といえども簡単では無かったが、ハンドルやペダルを土にめり込ませながら少しづつ登って行き、なんとか灌木帯の手前の草の斜面に辿りつくことができた。

 この草地はそれほどいやらしい感じではなく、土の斜面よりも滑りづらいのでむしろ楽だった。

 20分以上の時間をかけ「第一段階」を攻略。しかしその先は…。
 そう、これからが一番の難関と思われる灌木帯。

 直径10p位の木の幹が林立し、そこへハンドルバーを引っかけている限り転落はないが、解除しない限りは進むことは出来ず、苦労してなんとか解除して上昇を試みれば、今度はサドルに引っかかりペダルに引っかかり…。
 
 写真は妙に縦になっていると思われるかもしれないが、これは大げさでは無くこんな急角度かつ高温多湿の場所で作業を続けるのは全くの苦行でしかなかった。

 再び峠へ 

 最後は半分力任せに木の枝を解除し、灌木帯も突破。たかが10m程の斜面を登るのに、なんと開始から45分も経過している。
 
 その上は比較的手の入った杉の植林地になっており、一息入れられそうだ。
 自転車を立ててタイヤを転がしながら進める喜び。

 林の中は比較的平坦で、今までの1m=10分のペースは一変して格段に楽に進めた。
 斜面の横断は終わり、これから着地態勢に入ろうといった所だが、この通り結構高い。

 しかも唯一の踏み跡はいやらしい事に垂直かつ路面消滅点ギリギリに付けられており、一歩間違えば自転車ごと崖下へ転落もありそうだ。
 
 先ほど徒歩で越えた際はこれを嫌いもっと先から安全に降りたのだが、この先はさらに高密度な灌木帯になっており、自転車を通すのは容易ではない(というか疲れた)
  
 ここは一か八か落とすしか無い。

ズサッ ガサガサッ



 途中フロントバッグの紐がひっかかるアクシデントはあったものの、なんとか「着地」に成功。

 既に開始から1時間が経過しているが、非常な達成感があった。
 心配された自転車の故障もなく、今度は揃って八草峠へ到着。頭の中ではドラクエ2の3人揃った時のテーマが流れていた

 立派な国道昇格記念碑とその上にはお地蔵さまの立つ八草峠。この国道のベースになった林道は戦後まもなく付近の住民が人力で築いたものだというが、今では訪れる人もごく稀な状況だ。

 岐阜県側

  反対側に立つ「八草峠周辺観光案内図」(マウスオーバーで拡大します)。

 この峠自体が観光地とは思えないが、看板自体はなかなかの力作で広範囲に渡り詳細に描かれている。

 ここから金糞岳へ至るルートも描かれているが、前回も書いたように鳥越林道全通で容易に山頂を踏めるようになった今、この登山道は非常に不明瞭な状態になっているようだ。
 早速岐阜県側への下りを開始。

 こちら側は全く工事は行われていないようで、路面は荒れ放題の状態だ。

 大きな地震でもあったのかのような地割れだが、これが進行すると先ほどのような路面消滅につながるのかもしれない。
 最近雨が降った訳でもないのに水の流れる路面。

 既に廃道同然の状態だが、滋賀県側と同じように復旧工事の手が入る事はあるのであろうか。
 前方に土砂崩れ発見!

 
 そう、最も恐れるべき事態はこの先回避不能な障害が現れ、進退極まることである。

 先ほどの路面消滅を再び越えて滋賀県側に戻る事など想像もしたくない。

 攻略完了

 ふぅ。

 幸い崩落は大したことは無く、自転車でなら特に問題無いが、まだまだ油断は出来ない。
 

 しかしこれで四輪が八草峠へ到達出来ないことが確定的となった。
 15分程下ると辺りは開け、やや道幅の広い所も現れる。左側の平地は集落か畑の跡であろうか。

 
 再び道は谷沿いへと変わる。

 かつてはこの辺りで結構大きな崩落があったようだが、現在ではきれいに撤去されている。

 しかしこのネットの状態を見ると、近いうちに再び崩れそうな気配だ。

 それが今であっては困るのだが可能性は0%ではない。ここは足早に駆け抜ける。
 30分程で岐阜県側の旧道入口へ。

 あれ程苦労した滋賀県側と比べて何とも呆気ない下りだったが、合計では10km程の道のりになんと4時間もの時間を要した。

 
 少し登った所が、滋賀県側とデザインの異なる岐阜県側の八草トンネルポータル。

 このままトンネルを抜け、歴代の道を体験するのも有りかとは思うが、せっかくなので岐阜県側へ進むこととする。

 ちなみにこの先岐阜県側もパイパス工事が完了しており、しばらくは高規格な道が続くようだ。