日本縦断西日本編14日目【平成16年5月11日】朝日屋旅館(山口県長門市)⇒バーデンハウス北九州健康センター(福岡県北九州市小倉北区)

  やはり蒲団はベッドと違い良く眠れる。今日は体調万全だ。安くて快適な「駅前旅館」は旅に最適だが、いつでも泊まれる訳ではないのが難しい所だ。

  700近くになったので出発することにする。今日は引き続き山陰本線沿いに進み、関門人道トンネルを抜け九州に上陸を果たし、小倉まで行く予定だが見所も多く日暮れまでには着けそうにない。

  格安の¥3675を払い愛想の良い主人の見送りを受け、朝日屋旅館を後にする。

  今日はまず山陰本線の一駅だけの支線の終点、仙崎駅に立ち寄りその後、橋で渡る事ができる青海島を少し見てから先を目指そうと思う。

  朝の長門の市街地を走り漁港が近づくと、あっという間に仙崎駅に到着。 ここには数年前に列車で来たことがあるが、駅の雰囲気は変わっていなかった。しかし当時走っていたキハ23のトップナンバーは消え、列車も1日6往復に減少しており少し寂しい。


 みすゞ
通りという童話作家にゆかりがあるらしい道を進むと、青海島へ渡る橋が見えてくる。橋の島側はかなり高い所にあり、結構登りがきつい。しかし地元の中学生はこの橋を渡って通学しているようで、行きは楽だが帰りはとても乗っては行けないだろう。

  青海島には夏みかんの原木や断崖が続く「海上アルプス」などの見所もあるのだが、どこも峠を越えた先にあり少々の時間で回れる所では無さそうなので諦め、少し走り島の雰囲気を見るだけにしておく。

  島には木造校舎の小学校もあり、長門の市街地と橋で結ばれているとはいえ独特のひなびた雰囲気がある。


 
ようやく国道191号に戻り、九州を目指し走り始める。この辺りの青看板に下関までの距離が書かれているのは当然だが、なぜかどれも二番目に難読駅で名高い特牛(こっとい)までの距離が書かれている。確か特牛と名のついた信号はあるようなのだが、市街地にある訳でもなく不思議だ。

  今日最初の駅、黄波戸は海沿いに進む県道から高台に登った所にあった。この駅は片面ホームにコンクリート製の簡易駅舎があるだけだが、地元のお年寄りが数人列車を待っていた。また、すぐ近くの雑貨屋で切符が売られているようだ。

  この先道は結構な峠道になり、少し押してしまう。県道が国道191号に合流する手前に次の長門古市駅はあった。駅舎は最近流行りの地域の施設との合築だが、駅としてのスペースは小さな待合室だけなようだ。

  平坦な水田地帯を進む国道を快走し油谷町に入る。そういえば今日よった仙崎駅には地元の出身らしい、アテネオリンピック男子マラソン代表の油谷繁選手を応援する横断幕が張られていたがここは(ゆや)と読むらしい。

 
 次の人丸駅は木造駅舎が健在で外壁はリニューアルされているものの、入り口上の看板が白地に青で書かれた旧来からのもので、この辺りでは珍しい。


 国道は豊北町に入ると再び海沿いを進むようになり、山陰本線も併走する。油谷湾を望む景色の良い道を進み長門粟野駅に1036、到着。無人化されてかなり経つようだが実に複雑な形の木造駅舎が健在で、壁の色が手直しされた時期の違いか三色になっていて面白い。

 粟野川を渡ると、国道は登坂車線のある峠道になる。この区間、地図で見ると海沿いに
走る山陰本線の少し内側を国道が通っているように見えるが、実際は遥かに高い所を通っていて峠の展望台からは豆粒のような列車を眺める事ができる。


 峠を下り、線路を一度跨ぐと海水浴場に近い阿川駅に到着する。味のある古い木造駅舎はよく手入れされて気分が良い。地図によると、次の特牛駅まで線路沿いに道が通じているようなので行ってみる。

  予想通り道は細く、ダートでは無いものの車では決して通りたくない状況だ。途中には地図に無い分岐が結構あり併走しているはずの線路も崖上を通っているのか途中から見えなくなり、かなり不安になったが無事に特牛駅にたどり着く。

  交換設備が無くなり片面になったホームよりも一段低い所にある木造駅舎には、「鉄道名所」らしく駅ノートがたくさん置かれていた。無人駅には珍しいと思うスタンプを押し特牛駅を後にする。


 この先山陰線は「くの字」に折れ曲がり、内陸にある滝部を経由してから再び海沿いに出るルートを取っているがこれは昔、地元の代議士が強権を発動したためだという。

  そんな滝部だが街は結構大きい。ちょうど腹も減ってきたので、県道沿いの食堂で昼飯にする。牛丼を頼むと出てきたのは「牛肉の卵とじ丼」だったがつゆだくでうまく、20枚集めると一回食事が出来るというサービス券も渡された。

  滝部駅は鉄筋コンクリートの大きめの駅舎があるが、無人化されていて寂しい。次の長門二見駅は、県道が国道に合流する手前にあり、崖にへばり付くように建つ島式ホームへはトンネルと階段で登るようになっている。

  久しぶりに国道191号に戻り、海沿いの景色の良い所を進む。しかし、この辺りまで来ると浜田の辺りとは海の色が少し違う気がする。

 横道を入った所にある宇賀本郷駅は片面ホームに屋根付きのベンチがあるだけの静かな所だが、遠くに海が見えて雰囲気が良い。

  地図を見ると、次の湯玉駅は国道に接しているようにも見えるが俺の勘ではどうも一本奥の旧道に面している気がする。案の定、湯玉駅は旧道に面していて背後を走る国道191号からは直接アクセス出来ない駅だった。

  この辺りは既に下関や北九州への通勤圏に入りかけていて、かなりの市街地だが湯玉駅には有人駅時代の面影を残す古い木造駅舎が健在だ。

  次の小串駅は、益田方面からの列車の多くがこの駅止まりになる所で、この先列車本数は倍増する。数年前までは、益田方面からのキハ40、47から下関行のキハ58系に乗り換える駅だったが、既にキハ58系は姿を消したようだ。
 国道の交通量も増え、下関や北九州が近い事を感じさせる。山陰本線も駅間距離が短くなり、今までのローカルな雰囲気は薄くなる。

  「村」にあるわけではない黒井村駅も、名前のイメージとは違う都市型の駅で鉄筋コンクリート製の駅舎の前ではタクシーが何台も客待ちをしていた。

  次の梅ヶ峠駅は名前の通り峠の頂上に簡易駅舎がある駅で、すぐ先に下関市との堺がある。峠といってもそれほどのものではなく、列車はもちろん国道を車で走っても気づかない程度のものだが、自転車なら充分に意識する登りだ。

  駅前に放置されていた自転車の前カゴにはランドナーに似合いそうな自転車用のフロントバッグが入って(捨てて?)いて、どこにでもある物では無いだけに不思議だった。

  峠を下り下関市に入って最初の駅、吉見はコンクリートの改築駅舎があり、海に近い駅だ。この先、国道は響灘を望む景色の良いコースだが、空には厚い雲が立ち込め天気が心配だ。

  いよいよ山陰本線も終りが近づいた。無人駅の福江を過ぎると下関の市街地に入る。住宅地の中の綾羅木駅に立ち寄り山陽本線との合流駅、幡生駅に1628、到着。


 構内には架線が張られ、JR九州の車両が停車している。各駅停車で丸一日かけても乗り通せない山陰本線沿線を、京都を出てから8日間もかけて走破したわけで感慨深い。広い構内と比べて、こじんまりとした木造駅舎は高校生で賑わっていた。

  高いビルが立ち並ぶ近代的な街並みを走り抜け本州の西端、下関駅に1700、到着。駅前にある国道9号と191号の終点を見た後、海沿いの道を関門橋と九州を横目に見ながら進む。


 歩行者、自転車、原付が九州へ渡る事ができる関門「人道」トンネルは市街地の外れの、関門橋をくぐった先にあった。歩行者はかなり前に無料になったようだが、自転車は片道20円徴収される。

  大きなエレベーターで地底へ下り、約700mの海底トンネルをゆっくりと進む。噂通り、すれ違うのはここをランニングコースにしている人ばかりだ。

  途中でボロMTBに乗ったおじさんに話しかけられた。俺が今日は小倉の先の城野まで行くと話すと、ワシも城野の方まで帰る途中だと言っていた。まだ20km近くあり、本当に行くのだろうか。

  トンネルの中間には山口、福岡県境の表示があり、感慨深い。

  エレベーターを上がり1758、いよいよ九州に上陸。門司側のトンネル入口は下関側と違い無人で、ホームレスのオッサンが寝泊まりしているようだ。

 
 今度は本州を眺めながら、殆ど使われている様子が無い引き込み線沿いに走ると広々とした門司港駅の構内が見えてきた。最近できた「九州鉄道記念館」は残念ながら閉館後だったが、有名な白壁の駅舎はさすがに堂々としている。

  鹿児島本線沿いに進み、小森江駅の手前で線路を渡り国道3号線に入る。国道に面した門司駅は最近改築されたようでショッピングセンターのような建物になっている。


 新幹線の高架をくぐり小倉駅に着いた時には1930近くになっており、日が長い九州とはいってもさすがに暗くなってきた。京都以来の大都市は人や車で溢れている。

  モノレールの下を進み、国道10号に入るとやがて日豊本線沿いになる。今日泊まる予定の「バーデンハウス北九州健康センター」は城野駅の近くにあるものだと思っていたが、以外に距離があった。

 1900以降入館だと、深夜割増料金込で¥1500と格安なこの健康ランドは設備も整っていてなかなか良い所だ。

本日の走行距離133.95km 走行時間12.58.15 平均速度10.3km 最高時速45.0km 自宅からの走行距離1537.19km以上(推定)