日本縦断西日本編18日目【平成16年10月21日】佐伯駅(大分県佐伯市)→亀屋旅館(宮崎県児湯群都農町)
仕事を終え急いで羽田空港へ向かった。こんな天気では飛行機が飛ぶかは全く予想できず欠航でも仕方ない状況だが、幸い台風は既に九州を通り過ぎていて、まだ関東には来ておらず、何とかなるような気がする。
強い雨が降り続ける中、山手線もモノレールも無事に走り、出航40分前に空港に到着した。
案内板を見ると一本前の飛行機は欠航だったが、乗る予定の便は予定通り出る。運がいいな‥と思ったら搭乗5分前になってから「福岡行1741便は使用する予定の飛行機が落雷を受けたため代わりの飛行機を準備します」という案内があって出航が一時間近く遅れた。
そうしている間にも雨がどんどん激しくなって、やっと時間になり座席に着くと「天候の影響で相当揺れる可能性があります」というアナウンスが‥。
動き出した飛行機は風の影響でなかなか離陸できず、なんとか飛び立った後も予告通り揺れた。
一時間位遅れて福岡空港に着いたものの博多駅から乗る予定のドリームにちりんの発車時刻はとっくに過ぎていて、というか多分運休だろうな。と思いながらも終電の地下鉄に急いで乗って一応博多駅へ向かった。
着いてみるとダイヤは乱れているものの今日の列車はすべて運転するつもりらしく、乗る予定の宮崎行のドリームにちりんは大分までの区間は運転するという張り紙があった。しかし駅員に聞いてみると今の段階ではいつ何番線から発車するかも分からず案内放送を待ってくれとの答えだった。
午前1時近くになってようやく放送があり、列車に乗り込んだ。しかしほとんど客はおらず俺の車両も3人しか乗っていないうえに、すぐに小倉で降りてしまい一人になってしまう。
貸し切り列車は順調に走って午前3時過ぎに大分駅に到着。ここで朝まで過ごし始発で佐伯まで行こうと思い、待合室のベンチに座った。
なかなか眠れないでいると、変なおじさんが、「ニイチャンどこまで行くんや」と話しかけてきた。「佐伯まで」と答えると、変なおじさんは俺の隣にいた人に「佐伯なんてすごい田舎だ。人口が2万人しかいない」とか言っていた。
しばらく隣の人は黙って聞いていたけどやがてポツリと「ワシは佐伯の人間だ」と。
とたんに変なおじさんは、「佐伯は海がきれいだ」やら「魚がうまい所だ」とか‥。
さすがに九州の夜明は遅く午前5時を過ぎてもまだ真っ暗だ。
日豊本線の始発まではまだ時間があるが、朝食を買っておきたいので大分に着いて以来初めて外に出た。
駅前には街路樹の木の葉や折れた枝が散らばっていて、昨日の台風の凄さが感じられたが、既に風も収まっていて昨日はとても天気が良さそうだ。
コンビニでおにぎりなどを買い、待合室に戻ったが例の変なおじさんがまだうろうろしていて、話しかけられると面倒なので改札を通りホームへ向かう。
列車は始発ではなく、まだ当分やって来ないのでホーム上にある昔ながらの洗面台で顔を洗い、朝食にした。
やがて時間になり、入ってきた列車は元急行型の3両編成でなんだか得した気分になった。
座席の多い国鉄型車両はゆうゆうと座れて気分がいい。列車は晴天の中を各駅ごとに高校生を拾いながら走り、2時間足らずで佐伯駅に到着。
早速駅前で自転車を組立て、宮崎方面へ向けて走りだした。
駅前通りは一見、普段と変わらないような雰囲気を取り戻しているようにも見えるが、屋根瓦が落ちている家なども見受けられた。
富永「イチロー」ロードなる通りをしばらく行くとやがて市街地を抜け、国道10号に合流する。
今日最初の駅、上岡駅は少し入った住宅地にあり、古い木造駅舎は元事務室の部分が公民館として活用されているようだったが、中の様子を伺うことは出来なかった。
大分以来久しぶりに国道10号に合流すると、いよいよ山が迫る。ホームだけの直見駅を過ぎると勾配は急になり、民家の見あたらない峠道をゆっくりと進む。
やがて景色が開け道が平坦に変わると直川駅に到着した。ここは直川村の中心に近いはずだが、駅舎のないホームだけの駅で寂しい雰囲気だ。
再び登りが始まったがそれほど急ではなく押すことはなかった。しかし路面は濡れていて木の葉や枝が散らばっている所もあったので慎重に行く。
見事な杉の植林が広がる峠道を登り詰めると重岡駅に到着した。趣のある木造駅舎には有人時代の写真やかつて「花いっぱいの駅」として表彰された事を知らせる新聞などが掲示されていた。
無人化されて久しい今では花壇も荒れているが、駅舎内外やホームには昔の雰囲気が残り印象的な峠の駅だった。
すぐに道は下りに変わり、鐙川の渓谷沿いになる。次の宗太郎駅までは大した距離ではないはずなので、通り過ぎる事の無いように交通量の少ない道を慎重に進む。
主要国道にはめずらしいと思う照明の無いトンネルを抜け、日豊本線の鉄橋をくぐると景色がやや開け、駅への道を示す標識が見つかった。
宗太郎駅は一日2往復しか列車が停車しない駅だが、思っていたほど山奥といった感じではなく民家もすぐ近くに数件あった。
畑のなかの細い坂道を登り、古びたホームに立つと、ちょうど宮崎空港行きのにちりん号が交換待ちの停車中だった。
2往復しか列車が停まらないこの駅だが、にちりん号は一時間に一本の割合で運行されていて、特急の通過や交換は数多い。しかし寂しい無人駅のホームに佇む男は乗客の目にはどう映ったろうか。
ホームにある駅ノートを見て、「さすがに徒歩で来た人はいないな」と思っていると「ハイパーサルーン」車両の別府行きにちりん号が通過していったので大分県内最後のこの駅を後にした。
しばらく下ると、大分、宮崎の県境にたどり着いた。周りには杉林が広がるばかりで家一軒すらなくいかにも「県境」らしい所だ。思ったよりもかなり時間がかかった大分県を抜け、宮崎県に入る。
まだまだ下りは続き見通しも悪くないが、増水した沢の水が道路上を川のように横切っている所が何ヶ所もあり、泥除けのついたこの自転車だからいいがそうでなければ大変だっただろうと思いながら走った。
北川の川幅がひろがり、勾配もゆるやかになると次の市棚駅に到着する。
元は駅舎があったと思われる場所にはとても立派なトイレが新築されていた。
JR北海道を初めとして、鉄道利用者以外が使用するのを嫌い多くの無人駅のトイレが撤去さている今、これははたしてJR九州が建てたものなのだろうか。
道がほぼ平坦になると川幅はさらに広がり、堤防一杯に濁った水が流れている。川沿いの民家も増えるがこの辺りは台風の被害が激しかった所で、住民は後片付けに追われており心が痛む。
国道も土砂崩れで片側通行になっている所があり、懸命な復旧作業が続けられていた。
ここもホームのみの北川駅に立ち寄った後、「道の駅北川ゆはま」で昼食にする。駐車場には関東のナンバーの原付が停まっていたが、昨日の台風の間はどうやってすごしたのだろうか。
立派なエビフライの付いた定食は料理は量、味とも充分だ。道の駅のレストランはどこも充実している。
この先も北川沿いを国道10号は進むが、交通量も増え延岡の街が近い事を感じさせる。しかし辺りの風景は刈り入れの終わった水田が広がるばかりだ。
次の駅、北延岡駅も国道沿いにホームがあるだけの所だ。宮崎県に入ってからは興味を引くような駅がなくどうも張り合いがない。
やがて市街地を進むようになり、宮崎北部の中心都市延岡駅に1441、到着。
駅舎は国道側には無く、地下道も遠そうなので自転車を置き何本もの側線を横断する跨線橋を渡った。
以外に小さい駅舎を撮影し、戻ると駐車場のような所で地元の兄ちゃん達がBMXの練習をしていた。同じ自転車趣味でも、彼らと俺ではずいぶん違う。
延岡の中心を抜けると国道10号は海沿いを行くが、交通量は多いが信号は少なく以外に走りやすい。
JR化後にできた旭ヶ丘駅はログハウス風の簡易駅舎がある片面ホームの駅だがたくさんの自転車が停められていて、利用者は多そうだ。
次の土々呂駅も国道とは反対側に駅舎があり、少々手間取る。個性的な駅名だが、周りにはととろの杜という施設がある位で、延岡市内にあるせいかあまり駅名をアピールする気はないようだ。
一旦市街地を抜け国道は防風林沿いの道になったが、すぐに門川の街に入る。門川駅は最近新築された町の施設との合築駅舎で、とても立派だ。
単線の日豊本線とぴったり併走する国道10号は再び海と離れ、夏みかんで有名な日向市の市街地を走る。国道沿いの民家の庭には昔の地下鉄の赤い車両が置かれていた。車両自体はタダ同然かもしれないが、こんな所まで輸送するのには相当な費用がかかりそうだ。
観光案内所が同居している日向市の駅前は意外に静かな雰囲気だが、既に1600を過ぎており、約40km先の泊まる所に苦労しそうにない高鍋の街まで、明るいうちに行くのは難しそうだ。しかし明日以降の事を考えると、ここで泊まる訳にはいかない。
途中の都農で泊まれるかもしれないし、とにかく行くことにした。
公民館の中に吸収されたような南日向駅を過ぎると日向灘沿いの道に変わる。この辺りの海岸線は以外にアップダウンが多く少し疲れた体に応える。
道の駅「日向」で急いでスタンプを押し線路を跨いだ後、耳川に架かる長い橋を渡ると美々津駅に到着。木造駅舎は無く瓦屋根の待合室が新築されていた。
ここから先は日豊本線と併走する道は無く、夕暮れの中かなり内陸に入った国道10号を行く。次の東都農駅はかつてのリニア実験線に隣接していて、見学設備が荒れ放題に放置されているらしく興味を引くが、寄ればナイトランは必至で残念ながら諦めた。
都農駅へ続く県道へ入り、少し行くと古い商店が並ぶ都農の街に出た。しかし泊まれそうな所は無く、海に近い町外れにある駅の周辺に宿がある事に期待して暮れかかった道を進む。
なかなか個性的な駅舎がある都農駅にほとんど日も落ちた1815、到着。駅前には運良く旅館があり、看板を見てすぐに電話を入れると食事は出せないが泊まるとの答えでほっとした。
この「亀屋旅館」は工事関係者風の人でなかなか賑わっていた。部屋には珍しい事に最初から布団が敷かれておらず、まさか自分で敷く?とも思ったが食事から戻るとちゃんと敷いてあった。
日本シリーズでも見ようと、懐かしいダイヤル式テレビをつけたが2局しかない宮崎の民放のうち、UHF側の局はテレビの調子が悪いのか映らず諦めてラジオを聞いてすごした。しかし後で調べるともとから宮崎では日本シリーズは放送されてはいないようだった。
宿の玄関先には大量の荷物を積んだ、昭和50年代に流行ったような、ギアボックスが四角い少年用スポーツ自転車が停められていて、「日本7周しています」というような事が書かれた布が張り付けてあった。どうも風呂で一緒になったおじいさんのもののようだったが、その後は会わず話しができなかったのは残念だった。
本日の走行距離116.05km 走行時間9.28.33 平均時速12.2km 最高速度46.8km
自宅からの走行距離1905.45km以上〔推定〕