国道304号五箇山トンネル旧道 細尾峠

  石川県金沢市と、富山県南砺市を結ぶ国道304号線の終点近くに、1984年の五箇山トンネル開通によって旧道化した峠道があり、今でも通行可能なようだ。
 それ程長い道のりではないが、峠には旧トンネルもあるようなの白川郷への道のりへの途中に立ち寄ってみた。

五箇山トンネル



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2008年9月17日
 城端の市街を出発し、結構な峠道を登り詰めると「道100選」にも選ばれたという五箇山トンネルが見えてくる。


 目指す細尾峠への旧道は青看板にも現道と同じ太さでしっかりと示されており、手持ちの2008年度版の道路地図にも特に通行止め等の表記は無い。
 しかしそれらしき分岐にはバリケード状のものがありそうだ。











 







 案の定通行止めとなっている。
 奥のウマに取り付けられた古い手書き風の看板には「旧304号危険 通行止」と書かれているが、その横には比較的新しそうな「車両通行止」の標識も取り付けられており、自転車ならOKか…。


 しかしやる気のない隙だらけの封鎖である。個人的な経験ではこういったレベルの通行止はこの先大した障害があるわけでもなく自転車はもちろん車でも通れてしまうことが多々あるようにも思うがここはどうであろうか。











 当然ながら今日は旧道を通りぬけて五箇山方面へ向かうつもりであるので、一度現道の五箇山トンネルも見ておく。
 
 合掌造りをイメージしたであろう印象的な抗口を持つ、1984年竣工の五箇山トンネルの全長は3070mとあるが、これは後述するロックシェード区間を含む距離のようである。また前にも述べたようにこのトンネルは建設省(現国土交通省)選定「日本の道100選」にも選ばれている。
 
 この100選のリストを見ると他の99選は文字通りの「道路」でトンネルとして選ばれているのは唯一の存在である。














五箇山トンネルの脇を通る旧道は、一車線ながらも路面状態は良好で車もいない快適な道で始まった。

 整然と並ぶ駒止が美しい。


A地点 旧道へ
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 と思ったのもつかの間
 路上を完全に覆い尽くす大きな崩落が行く手を塞いでいた。
 この状態では四輪は完全通過不能であろう。




















 自転車でなら容易に通過できそうにも見えるが、ここは自転車と人間が並んで通過できるだけのスペースは無く、また谷側は草木に隠されわかりづらいが相当な断崖になっていて、どうにもコンクリート製ガードの上を自転車を引いて通る気にはなれなかった。
 

 そういう訳で自転車はひとまず手前に置き、自分が先に通って前から引っ張ったが木の枝等が一々車体に引っかかり結構な苦労があった。














 崩落を抜けると一気に路面状態は悪化し、廃道の雰囲気さえも漂わせるようになる。

 前方に見える貧弱そうなロックシェードは屋根上に積もった土砂の上に草木が育っており、この道のメンテナンスはあまり行きとどいていないようだ。

















この建築物は前にも述べた五箇山トンネルのロックシェード区間である。道路地図では明かり区間のように書かれているが、実際には外との行き来は車は勿論人間だけでも不可能で、中を走る車からはトンネルの一部分のようにしか感じないであろう。
 

 画面中央の丸みを帯びた不思議な形状の部分は山肌からの沢の水を通すためのものの様である。


















 階段でロックシェードの上へ登ってみた。一面に泥が積もっているが、他には特に何もなく、何のための階段なのであろうか
 
 ここから先旧道は一旦向きを変え、元来た五箇山トンネル入り口の方向へと進む。ここから見る限りではこの先も断崖の道は続くが、路面状態は比較的良さそうだ。


峠へ

 




 しばらく行くと、谷の対岸に現道の五箇山トンネル入り口といま通ってきたばかりの旧道を見下ろす地点に出る。
 
 いかにこの旧道が急峻な崖に通されているかがご覧いただけるであろう。





















しばらくは良好な路面状態が続くが、何か所かはこのような沢が道路上を横断しているような箇所も通過した。


 しかし慎重に通れば大した障害ではなく、全く車の来ない旧道サイクリングは狭い長大トンネルで排ガスに巻かれるよりも、快適で楽しいものだ。













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 旧道に入ってから30分ほどで展望が開け、砺波平野を望む地点に出る。今日は晴天に恵まれ眺望が素晴らしい。
 この辺りは標高800m近くあり、そんなに急な勾配を登った感じはしなかったが、地味に標高を上げている。

 地図を見ると、画面左の山の中を東海北陸自動車道の城端トンネルが通っているようである。東海北陸自動車道はこの先さらに長大な袴腰トンネルを掘って、城端市街と五箇山インターとの間をほぼ直線で結んでいる。



 










 



 

旧道入りしてから1時間弱で峠に到達。
 恐らくドライブイン(というより文字通り峠の茶屋か)の跡と思われる廃屋が風雨に晒され半壊状態になっている。しかしどうにも「店」といった感じがしない。
 

 どうやらここは、元はやはり自家発電で水道も通っていないという老夫婦が経営する茶屋だったが、その後工事事務所や倉庫に転用されたようで看板の類が残っていないことにも合点がいく。


細尾峠

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長年の主役であった自動車は通らず茶屋は朽ちたが、今まで多くの旅人達を見守ってきたであろう杉の大木は今も健在だ。

















 


 


細尾トンネル 昭和13年竣工 全長103.5m
 ポータルの石垣風の装飾の他にも全体に補修が施され、オリジナルの姿は失われているが完全一車線の狭さから、元は古いトンネルだという想像は付く。
 
 しかし、拡幅工事を受けないままリニューアルされたということはこれは1984年の旧道化後の処置なのであろうか、全体的な雰囲気からもその可能性は高そうだ。














 トンネル前のバリケードには、今来た方向と反対側へ向けて旧道入口で見たものと同じ看板が取り付けられており通行止区間も終わる。
 

一コマ前の画像に少し写っているが、トンネル前からは世界遺産の菅沼合掌集落とを直線的に結ぶ袴腰林道が分岐しており、そちらは通行可能なようだ。














 




内部も完全一車線の造りで、自動車同士のすれ違いは一切出来ない構造だ。
 旧道化以前はこのトンネルも、金沢と白川郷方面を結ぶ最短ルートの一部としてかなりの交通量があり、名古屋と金沢を一般道経由で結ぶバスも通っていたようだが、どのように捌いていたのであろうか?


五箇山側へ


現在地(別ウインドウで開きます)


 五箇山側も、反対側と同じ補修が施され、一瞬新しいトンネルにも見える。
 しかし手前の石垣とコンクリート擁壁の古さから、その出自は隠せない。
 
右下の微妙な場所に銘板らしきものが取り付けられているのが確認できるが、現地では発見できず、内容は不明である。

トンネル直後は急カーブになっており、いかにも昔の線形である














画像提供 HLQ様 気まぐれな写真室 許可を得て引用

 昭
和58年当時の細尾トンネルを抜ける名鉄バスの貴重な画像を、HLQ様より頂いたので引用する。
 やはりこのトンネルはバス一台がギリギリのサイズで、この様子では内部では自転車や歩行者とのすれ違いさえ困難そうだ。
 
 今も変わらない側壁と、改修前の劣化したコンクリートポータルが観察できるが幅員に関しては現在の方が補強によって狭まっているようにも見える。












画像提供 HLQ様 気まぐれな写真室 許可を得て引用


 これも昭和58年当時の画像だが、トンネル前後の区間も今と変わらず未整備な状態だった事が伺える。

運転手はもとより乗客もスリル満点の道程だったであろう。

















 


峠を越えた直後こそ舗装の崩れた悪路が続いたが、その後は普通の旧道といった感じとなる。
 

 五箇山側旧道はかなり上の方まで集落があり、こちら側が廃道化することは無さそうだ











 旧道を快調に下りスキー場の脇を通り、20分ほどで現道との合流地点に到達。
現在は五箇山トンネルでわずか数分の道のりも、かつてはこんな苦労があった。

















 




世界遺産の相倉合掌造り集落だが、最も有名な白川郷の荻町集落と比べれば落ち着いた雰囲気で、ゆっくりと散策することが可能だ。