水根線(小河内線)跡(氷川〜水根)最終回


M発見



 レールは途切れてしまっているが、当然ここが終点なはずは無く、冷静に考えれば架かっていた橋が何らかの理由で消滅したということだろう。
山側へ少し移動してみると、どうやら谷へ降りられそうだ。それほどの高低差はないが、慎重に下ると意外な事に谷底は両側に石垣が築かれ、足下には石が敷き詰められていた。















先に目をやると、青梅街道を走る車がはっきりと確認出来そのときは山から下ってきた登山道にでも出だのだろうと思った。
しかし様子が変だ。勾配が尋常でないのである。立っているのがやっとという状態で、いくら登山道でもおかしい。









 よく確認すると、道(?)は途中で途切れており、青梅街道に出る事は出来ないようだ。更に山側を見ると先はゴツゴツした岩が転がる沢のような状態で、どうやらここは水路の一種なようだ。

最近の小雨が影響してか、今日は全く 乾いた状態だが、時によっては水が流れている日もあるのだろう。そう考えれば運がいい。












 そういえば、最初にここへ降りた地点には丸太が渡してあったが、よく考えればあれはただの倒木ではなく、誰かが設置した橋なのかもしれない。まあ見るからに不安定な感じで渡る気にはなれないが。
さてこれからどうしようかと、ふと上を見上げると…。あった!ありました。斜面の中腹に隧道の坑口が。周りには草木が繁っており、それで対岸からは発見出来なかったようだ。


Nその先へ




 早くあそこへ行きたいが、ここの石垣は結構高く、直線で登るのも大変そうなので、とりあえず最初の地点まで戻り回りこむ事にする。
丸太橋の所から坑口を見上げると高低差はそれほどでもなく、斜めに移動すれば、そんなには急な斜面と言うわけでもなさそうだが、掴まり所になる草木が無さそうなのが心配だった。












 案の定登り始めると、一歩進む度に足下の石がガラガラと落下する状態だ。
複数人でここへ来るなら、間を開けて登らないと危険そうだ。
 そんなに高い所にいるわけではないので、滑落への恐怖はそれほどでもないが、何しろ不安定な斜面でショックを与えたせいで、斜面全体の土砂崩れを誘発するのではないかと気が気ではなかった。

















 慎重に、やさしくを心がけながら、全身を使って一歩一歩登り、ついに隧道前に到達した。今までと変わらないコンクリート製の坑口だが、この状況は事前の調査でも分からなかっただけに、感慨深い。












 しかし 何故ここだけ橋梁が消滅しているのだろうか。今まで見てきたコンクリート橋やガーター橋の頑丈な雰囲気からして、自然に崩壊したとは考えずらい。 あるとすれば人為的な撤去だが、この場所だけお金をかけて、というのはいまいい理解しずらい所だ。
坑口前にはほとんどスペースが無く、引いた写真が撮れないのが残念だが、銘板には清水 施工 鹿島建設 昭和27年と彫られている。









 入ってすぐの所には、お馴染みの木製柵が内側に倒れていたが、柵があろうと無かろうとここへ来る人は少ないだろう。この柵が設置された当時には橋梁も現存したのだろうか。
 清水トンネルというとなんだか立派なイメージだが、出口はすぐそこである。反対側の柵は跡形もなく消えているが、出てすぐの所には「入ってはいけません」の看板のかけらが落ちていて、かつては柵があった事を偲ばせる。


O脱出








 20番目の第一桃ヶ澤隧道はすぐそこである。今までの隧道は坑口付近が土砂崩れで荒れた所が多かったが、ここは両側のしっかりした石垣に守られ非常に状態が良く、今にも列車が来そうな雰囲気だ。
 内部はカーブしており、出口は見えない。また長さも100m程度はありそうだ。









 
出口に近づくと柵が原型を留めたまま、内側に倒れている。そこには、先ほど第二境隧道で見た、「高電圧注意」をさらに具体的にした「6KV送電中」と書かれた看板が取り付けられていた。6000Vではなく6KVというあたりがどことなく本気っぽくて怖い感じだ。













 またまたコンクリート橋だが、中央付近のレールの間に高さ2メートルはあろうかという立派な木が生えているのが目を引く。
確かに橋梁上に土は溜まっているのだが、どうやって根を張っているのか不思議だ。また、こういう植物の侵食は確実に橋梁の強度を下げていると思われる。














 
 いよいよ残り3本となった第二桃ヶ澤隧道は、入り口の柵がしっかりと現存している。
 しかしマス目を埋めていたはずの鉄条網はきれいになくなり、通行に支障は無い。
 














短い隧道を抜ると、コンクリート橋を渡る。かなり青梅街道との距離も近づいており、いよいよ終点近しを感じさせる。
今までになく開けた場所に出た。しかし日当たりの関係か藪が深背丈程のススキが繁っている。両手で藪をかき分けて進むと、何か見えてきた。






 







 金属製の柵のようだが、もしやと思った予感が的中した。事前に情報を得ていた青梅街道の旧道「奥多摩むかしみち」との合流地点に出たのだ。話しによれば、少し前この辺りで結構大規模な土砂崩れが発生し、「むかしみち」が通行不能になった関係で暫定的な処置として、隧道を含む廃線跡の一部が迂回路として利用されているらしいのだ。












 
この先通行止め ←奥多摩駅方面 奥多摩むかし道 と書かれた看板のついた柵を跨ぐと藪はきれいに無くなり、すぐ目の前には次の隧道も見えている。



P通行許可隧道




 晴れて、立入禁止の廃線跡から、堂々と歩ける遊歩道に昇格した水根線だが、とりあえず下草は無くなったものの、レールもそのままで特に変わりはない状況だ。
21番目の隧道も遊歩道の一部として使われていて、唯一の公式に通れる隧道だ。しかしここも銘板は土砂に埋もれ、名称は確認出来ない。













 

 事前情報では、内部に照明が設置されているとのことだったが、そんな様子は全く無く、一条のレールが暗黒の隧道内に続いているだけである。内部は直線らしく、既に出口の明かりが見えているが針先程の大きさでしかなく、相当長そうだ。
レールと枕木が残る内部の様子も今までと特に変わりなく、遊歩道という感じは全くしない。













 入ってすぐの所には、トンネル内の照明は午後7時に消灯しますのでご注意ください。という貼り紙があったが、照明が点灯していないどころか、照明自体が設置されていた形跡すらない。情報によれば少なくとも去年の春頃までは灯りがあった筈で、その後何らかの理由で無灯に戻ってしまったようだ。
しかし、元々ライトも持っているし、今までの隧道を抜けてきて、暗さが怖いという事もなくなってきたので、俺としては特に問題はない












バラストを踏みしめながら、暗い隧道内を淡々と歩くと何か音が聞こえてきた。気になりながら中央付近まで進むと、どうやら天井から出水しているようだ。ライトで照らしてみるとコンクリートの隙間からシャワーのように水が降り注いでいるのが確認できた。
 今までの隧道では一度も無かった事で、名目上とはいえここが唯一遊歩道を名乗っている事を考えると皮肉なものだ。












 しかし長い隧道だ。進んでも進んでも、なかなか出口は大きくならない。結局通過には10分程度を要しており、写真撮影で何度となく立ち止まったとはいえ、第三境隧道と並んで、最長の部類に入るだろう。
これだけの長さの無灯隧道はハイキングにはハード過ぎる気がするが、オバチャンハイカー軍団は意外と平気で通ってしまうものなのだろうか。
 確認はしていないが、崩落が発生したという「むかしみち」のルートも険しいのだろう。それ故のこの長さだと思われる。















 長い隧道をようやく抜けると、遊歩道の区間は終わり、先程と同じような金属製のパイプを組み合わせた柵を跨ぐと、再び藪の中である。すぐ先は短いコンクリート橋になっているが、相変わらず橋とは思えなほど藪は深くまた、踏み跡もほとんどなく歩きずらい。既に終点は目前の筈だが、小河内ダム側から探索する人は少ないのだろうか。
すぐ下は青梅街道だが、この状況ではそう簡単には発見されまい。


Q終章




そして23番目、最後の隧道である。銘板には水根 施工 間組 昭和27年 とあり、トリを飾るのに相応しい名前だ。しかし、長さは短くすぐ先に出口が見えている。中には丸太や赤いコーンなどが雑然と置かれ、倉庫のようになっており最初の第一氷川隧道と似た感じだ












 

 ここを抜けると、最後の関門が待ち受ける。事前情報で分かっていた事だが唯一の青梅街道を跨ぐガーター橋があり、長さは大した事ないのだが、高さは車高ぎりぎりしかなく非常に目立つようだ。
実際行ってみると、二車線の道路を跨ぐだけの長さではあるが、レールが撤去された橋梁のすぐ下を車が通っていてかなりの圧迫感がある















 ここの枕木も老朽化が著しくスカスカで、どうにも上を歩く気にはなれない。しかし良く状況を観察すると、水道管等を通していたと思われる太い金属製のパイプが橋梁に平行して取り付けられており、どうやら上を歩けそうだ。同じ事を考える人も多いのか、上部がベコベコに凹んでおり、より歩きやすくなっている。









 

 写真は帰りのバスの中から撮影したものだが、ご覧の通りガーター橋の上には草木も無く、下から丸見えなので、速やかに渡りきらなければならない、又万一足を踏み外せば下は固いアスファルトの路面である。そこへ車が通りがかれば…。











慎重に、素早くを心がけ無事対岸に到達し、再び背丈程もある藪を掻き分けると、広大な更地に出た
そう、左側にガソリンスタンドが見えるこの場所がかつて終点の水根駅があった場所である。「鉄道廃線跡を歩く」によれば少し前までは資材置場のようになっていたらしいが、現在では何もなく新しめの砂利が一面にひかれているだけだ














 当時の写真を見ると、幾条にも分かれたレールに沢山の貨車が止まっており、またコンクリート製の大きな建築物も見える。いままでの隧道や橋梁の残存具合を考えると、ここにレール一本残っていないのは少々寂しい気もするが、この広さだけでも充分に当時を思わせる。











ここから直接小河内ダムを見る事は出来ないが、国道を5分も歩けば巨大なコンクリート製の壁と緑色の水面を見ることができる。