外房線旧線(土気〜大網間)
 外房線 土気〜大網間は現在でも、しばらく続いたそれまでの郊外的車窓から突然そこそこ長いトンネルへ入り、抜けた先では谷間いに水田が広がる、民家もまばらな丘陵地帯という、インパクトのある区間である。

 この区間は元々当時の房州鉄道が明治29年(1896)に開通させたもので、20‰の急こう配と全長354mの土気隧道を擁する蒸気機関車時代の難所であった。

 戦後の昭和29年(1954)、老朽化と勾配緩和の為この土気隧道の土被りを開削し掘割化する工事が行われ(2か所はそのまま短い隧道として残された)列車は深い掘割の底を行く特異な区間となった。

 しかし昭和47年(1972)の外房線複線電化に伴う現土気トンネル(全長880m)の開通により掘割区間は放棄され、現在までに多くの部分が埋め立てられたが、一部はそのまま残っている。

 @地点 土気踏切

 
 2015年1月末

外房線土気駅

 どこにでもありそうな首都圏郊外の駅といった風体だが、この先の外房線は前述の通り山越え区間であり、旧線の遺構も残されている。

 
 駅から県道を1km程歩くと@地点の土気踏切。
(渡った地点から撮影)

 画像奥の草むら奥辺りを旧線は通っていた。

 
   現在では建築会社の資材置き場となっており、特段の痕跡は無し。

 奥に積み上げた資材は古枕木のようにも見えるが、どうもサイズ的に違うようだ。
   
   
   

 A地点 現土気トンネル 

 県道へ戻り、さらに1km程進むとA地点の現土気トンネル土気側。

 一見した所、旧線の面影も無いが…。

 
 煉瓦橋台発見!

 季節がら下草が薄く、さらに幸いな事に周辺の刈り払いが行われた直後のようで、見事な遺構が姿を現した。
 別角度から。

 しかしながら、位置的にもサイズ的にもこれがそのまま旧線の遺構という訳ではなく、掘割を渡っていた跨線橋のものであろう。

 奥にも何か煉瓦の構造物が…。
 これは、流水溝であろうか。

 刈り払いが無ければ、全く下草に埋もれていたと思われ、幸運なことである。

 これらの発見から、下に見える斜面がそのまま旧線の法面だったと言えるであろう。

 旧線は画像の階段手前辺りを通っており、反対側の法面は土気トンネル工事に伴って削られたようだ。
   錆びた古レール製の柵も旧線時代からの物であろうか。

 奥に見える車道周辺にも同様の柵が存在し、現在では下を埋められてしまったが、かつては跨線橋であったようだ。

 今見た橋台は、その旧橋にあたるものか。


 旧線はトンネル脇を掘割で進んでいた筈だが、現在では完全に埋め立てられ、広々とした造成地になっている。

 B地点  善勝寺

 
   200m程で県道と旧外房線は分かれ、いよいよ外房線きっての峠区間へと進んでゆく。

  先ほどの現トンネル土気側から始まった掘割は、この辺りで一層深くなった。

 しかしながら現在では画像の通りすっかり埋め立てられ、リハビリ施設に変わっている。
   右手に善勝寺の山門が見えてくると、左手に古びた手すり付きの道があり、旧線はその下を通っていた。

 この場所こそが、旧土気隧道を開削した地点である。
    土気隧道 画像検索

 上の画像検索でも解るように、山門は当時からのものである。
 現在では、「無用橋」と化したこの建造物だが、かつては掘割を渡る跨線橋であった。

 1996年頃撮影されたと思われる「鉄道廃線跡を歩く3」では橋の下に掘割の面影を残す若干の空間が残されていたが、現在では完全に埋め立てられている。

 この区間の埋め立てが行われたのは1991年の事で、それまでは2か所残された短い隧道を含め旧来の姿で残されていたようだ。
   

 ちょっと潜ってみると、赤いプレートガーターが確認できる。

 橋の規格等の表記もどこかにあるようだが、これ自体が鉄道橋でもなく、深追いはやめておく。
    橋の反対側から一枚

 4本の親柱には銘盤がはめ込まれていたと思われるスペースがあるが、残念ながらいずれも現存しない。
   


 土気トンネル旧線区間への挑戦

    善勝寺からは、土気城跡下の道を進むが、埋め立てられた旧線は深い竹藪の中で近づくのも容易でない。

 昼なお薄暗いこの道だが、廃道というわけではなく車も普通に通る。

   道なりに進むと、現在線を跨ぐ地点(E地点)

 奥に土気トンネル大網側が見えるが、そのすぐ先こそが、この区間の遺構のクライマックスである。

 早速線路脇の藪を可能な限り安全に進み、ついに隧道前へ…。


 しかし敗退…

 隧道脇の旧前入り口は、強烈な「枯れ竹要塞」で堅牢に守られ、手も足も出なかった。

 写真を撮る気にもなれず、来た道を戻る。
 その後は、旧線南側のエリアを彷徨うも突破口を見いだせず、結局土気城下へと戻ってきた。

 地図を見て辺りを付けた畑の中の小道から旧線への到達を目指す(C地点)


 ススキの藪を抜けると、太平洋まで見渡せる広大な造成地へ出る。
     斜面を下ると竹藪と、荒れた杉林のエリアへ。

 竹藪は比較的新しい造成地で目指す場所も目前だと思われたが、この辺りは地形も複雑でまっすぐ大網方面へ進むのも容易でない。

 そして…敗退。

 この日は予定もあり時間がかなり押していたので、残念ながら撤退を決めた。

 まあ戻るのも容易でなかったが。

 結論からいうと、この場所はかなりいい線いっており、もうあと一歩という所まで近づいていた。

      当然 続きます
 
 


 D地点 南玉不動尊 

 
 新情報を仕入れ、4日後再びこの地へ。

 今回は大網駅から徒歩で土気トンネル旧線の遺構を目指す。

 まずは土気トンネル南側の「南玉の池」なる溜池を目印に進む。

 田んぼのあぜ道よりもやや上等なといった感じの細い道が続き車であれば、なかなかの緊張を強いられそうだ。
 旧線に直接関係は無いが、これが南玉の池

 ダム状の貯水池であり、静かな水面が広がっている。
 道なりに行くと、この南玉不動尊へ到達。赤い屋根と、一面の苔とのコントラストが見事(D地点)

 ともかく参拝を済ます。

 目指す遺構は既にこの画像の中に。
 本堂奥の斜面がアクセスルート。

 一見急そうにも見えるが、手掛かり豊富な柔らかい土斜面で容易に登れる。

 しかし不動尊からは丸見えで、参拝者のいる状況では苦しいかもしれない。
 
 

 到達 

 本堂奥は、うまい具合に掘割が浅くなっており苦労無く底へ下りることが出来る。

 そして大網側へ進めばこの光景。

 高さ20mではきかなそうな掘割の底を外房線の列車は往来していた。

 千葉県隋一といえる言えるであろう廃線風景にしばし圧倒される。
 足元には落ち葉が積もっているが、少し除ければこの通りバラストが姿を現しここが線路跡だということを証明する。

 犬釘でも落ちていれば完璧なのだが、それは発見できず。
 剥き出しの岩盤と、粗く積まれた石垣。

 どちらが古い施工なのかは不明だが、この急さにも関わらず掘割は殆ど崩れることもなく旧来の姿を保っている。
 少し進むと、練り石積みの法面へと変わる。

 これは少し新しい時代の施工か。

 前方に竹林が見えてくるとこの至福の区間も終わりが近い。
   上を見上げて。

 竹藪の中に突如現れる深い掘り割に柵などある訳も無く、周囲をうろつけば大分危険そうだ。
    ここが、終着点。

 すぐ左手は先日訪れた土気トンネル大網側で、通過する列車の音が間近に聞こえるが、前述の「枯れ竹要塞」に阻まれアクセスは不可能。

 右手方向にはかつて半壊状態の保線小屋が残されたいたようだが、枯れ竹に飲み込まれたか確認できず。

 ただ、この状態になったのはそれ程前ではないようだ。(3〜4年内外のこと?)

 土気側へ 

 不動尊裏へと戻り、今度は土気側の区間を探索する。
 
 こちら側は立ち入る人もいないのか、枯れた竹に行く手を阻まれる。

 しかし何とか進めない程ではない。

 大網側程深くは無いがはないが掘割も続いている。
 掘割区間か終了すると、築堤状の平場が現れる。

 細い竹が密集し現況の把握も容易ではないが、ここも旧線跡だろう。
 足元に古煉瓦一つ。これも旧線由来のものだろうか。

 しかしこの先竹の密度は一層増し、進むのは物理的に不可能な程。

 この場所は、前回の断念地点に程近い筈だが、見ての通り直接アクセスは難しそう。

 どうしても不動尊経由以外で旧線掘割にアクセスしたいのであれば、土気城跡下の野球グランド裏辺りから藪を掻き分ければ何とか…とも思うが試していないので保障はできない。

 
 
 

 F地点 新たなる遺構へ 

 場面は変わって、F地点の圏央道と外房線がクロスする地点が次なるターゲット。

 この区間は土気駅近辺以来久しぶりに現在線の北側に旧線があり、アクセスは少々手間。

 目印としては地図でも目立つ貯水池を目指して進めば問題ないであろう。

 かなり道が細い区間もあるので、車で訪れるならば要注意である。
 貯水池から道なりに進むと圏央道の側道へ入れる。

 圏央道を潜った地点から振り返って撮影。

 この先側道上を旧外房線は横断していた。

 以前は深い藪の中で到底辿りつけなかった思われるが、側道のおかげでダイレクトにアクセスできる。
 側道を道なりに行くと左右に旧線区間が現れる。

まずは土気側へ。画像では解りずらいが掘割状の地形になっており、踏み跡も少々ある。

 20m程先からは強烈な竹藪で、これ以上進むのはか勘弁。
   足元を少し掘れば、バラストの小石が。

 此処がかつて線路であった確かな証。
 側道を挟んで大網側旧線跡。

 こちら側は、土気トンネル区間程ではないが結構な深さの掘割が残されている。
   振り返って側道側を望む。

 繁殖力旺盛な竹に侵略されつつあるが、線路跡の雰囲気を残す区間である。
    50m程進むと、やはり竹に阻まれ前進は不可能に。

 奥の明るくなっている辺りが新旧線の合流地点で、外房線はこのまま大網を目指す。