国道42号旧道「矢の川峠」2

静岡県の浜松と和歌山県和歌山市を結ぶ長い長い(重複区間も多いが)国道42号線のなかでもかなり南に位置する、三重県尾鷲市と三重県熊野市との間に存在する峠が矢の川峠(やのことうげ)である矢の川をやのこと読むのは、一見しただけでは想像もつかないが現道の青看のアルファベット表記も後に分かるように「Yanoko Pass」となっており正式な読み方なようである。
 ネット上の情報では旧道は特に熊野市側が荒れている様子で、有名な割には全線踏破のレポも意外に少ないが距離からして半日かければ攻略可能と判断し2008年7月18日朝紀勢本線尾鷲駅に降り立った。
 今回は尾鷲側の後半を紹介する。

矢の川旧道、現在の通行者
 








 こ
の辺りは特に人が入った形跡が在り、現在進行形で工事がおこなわれている様である。
この日は平日にもかかわらず作業は行われていなかったが、日によっては工事用の車両と出会う状況も考えられ四輪で訪れる方は特に注意が必要であろう。















 このような電線も時折道路と交差しつつ峠を登っており、矢の川旧道は電気の通り道としても
現役なようである。

















 



 時折見え隠れする現道との高低差は徐々に開いており、またこの辺りではトンネルの排煙装置のものと思われる音が谷底から響いてくる。
 地図上では旧道は現道の矢の川トンネルの真上を通過するように書かれていて、両者が交差する地点は近そうだ。
 ご覧のようにこの場所の路肩からはるか下までガチガチに固められているが、谷を隔てた現道の法面はロックシェードに守られているとはいえ余り手を加えられておらず、見るからに危険な感じで、この施工は旧道の路肩を守るだけのものではなさそうだ。









 


 このようなソフトボール大の石がゴロゴロする荒れ放題な箇所も時折ある。
 そうかと思えば、その先はきっちり舗装されていたりして路面状態も変化に富んでおり、次々に現れる構造物と共に飽きることがない。

















二号隧道








 
そして2番目の隧道に差し掛かる。ここは「山形の廃道」様の全国隧道リストによれば名称は、「第二号矢の川隧道」、延長は20mとある。先ほどとは違いがっちりとコンクリートで巻きたてられている。恐らく後年の補修の結果と思われ、昭和11年の竣工当時は素彫であったのであろうか。


















 長さはわずか20mだが、路面はダートのままなようである。コンクリートトンネルとダートの組み合わせは個人的には珍しく、目の粗いバラストが鉄道の廃線トンネルのようでもある。





















 このコンクリートブロックを積み上げた構造物はなんであろうか?
国道418号の通行不能区間でも似たようなものを見たような気がするが井戸にしては大きすぎるし、露天風呂なワケはないし、謎である。


三号隧道








 そして次の「三号隧道」延長35m。今までの二本よりもやや長く、 中央部ではライトが欲しくなりそうだ。
 「全国隧道リスト」では素彫なのは当然としても、路面は舗装済みとあり、一見ダートに見える路面も下にはコンクリート舗装が埋まっているのかもしれない。


















 内部は荒々しい素彫りのままで竣工当時の姿を今に伝え、やや左にカーブしている。
 かつてはここを通ったという路線バスの姿を想像するとなんだかワクワクしてくる。 



















 次の傳唐大橋もすぐに現れる。「傳唐」とはなんであろうか、地名では無さそうなので少し調べてみた所「宋傳唐茶」という着物の色はあるようだがそれ以上は解らなかった。
 ここも紅葉橋などと同じタイプの欄干にも見えるが昭和37年の竣工とあり、経年、強度とも違うのだろう。破損もなくしっかりしている。

















 ここの特徴は何といっても橋梁自体が左に折れ曲がるようにカーブしている事である。真っ直ぐに橋を架けた後に道をカーブさせてもよさそうな気もするというもので、印象に残る。
 冷蔵庫に入れてしまったバナナの如く恐ろしく変色したガードレールは現役当時に設置されたものであろうか。


四号隧道、そして

 








 やや勾配がきつくなった道を進むと「四号隧道」がみえてくる、見ての通りの短さで延長はわずか16mである。
 しかし手前にはコンクリート柵も現存しており、現道時代とさほど変わらないと思われるその景色は実に味わい深い。


















 熊野市側も実に荒々しい造りで、抗口直上部の石などは特に危なっかしい感じがするがこの姿のままで半世紀以上を過ごしきたのは確かである。
 昔の道らしく隧道を抜けたあとはすぐ急に右に進路を変えている。




















 そして次の橋梁、長さこそそれほどでもないが親柱には装飾が施され、重厚なイメージがある。
 でも一体なんて書いてあるの?
















 欄干も凝った意匠が施され、深い山中の峠道にある橋梁とは思えないほどだ。
 親柱の文字はやはり読めないが、当て字ではあろうが先ほどと同じ名前が書かれているとは思えない雰囲気だ。


















 「や乃OO」やのこ?
矢の川旧道の橋梁の親柱には当て字が多用されているようだが、他では見た記憶がなくここだけの特徴なのであろうか。













矢の川最大の遺構
 







 古ぼけた標識が倒れていたが、おそらく現道時代に設置されたものであろう。
 他に当時の標識類は発見できなかったが、かつてはいわゆる「おにぎり」等も立っていたのであろうか、想像すると楽しい風景が広がってくる。




















 ご覧の通り現道との高低差は増している。方角から察するにこの地点は一度現道の矢の川トンネルの上を越え東側に出た辺りだと思われる、つまり現道は画面の左側へ進むのが熊野市方面(トンネル入り口)今立っている旧道は画面の右側が峠方面へ続く道ということである。
 現道はまもなく峠のトンネルへと吸い込まれていくが、この旧道は東に進路を変え、相当な迂回をしてからようやく峠に到達する。まだまだ先は長い。

















 IDO携帯電話 通信可能箇所とある。現在使用している携帯電話はauのものだが、その末裔であるauの携帯もしっかりと電波が入り独りニヤリとした。
 ちなみ他の場所では圏外か入ってもアンテナ一本程度で、ここの中継設備?は確実に生きている。





















 写真では妙に明るく写っているが、一旦小降りになっていた雨がこの辺りで再び強くなり始めた。
 こんな時は大きな木の下に入ると驚くほど雨粒をしのぐことができる。昼食用の菓子パンを早くも食べながらしばし休憩。
















 緩やかな登りを10分程行くと矢の川旧道最大の遺構、五号隧道に到達する。
 今までの簡素な素堀隧道とは一線を画す堂々としたその姿には圧倒される。









 次回、峠へ到達