飯田線旧線(中井侍〜平岡)1 |
愛知県の豊橋駅と長野県の辰野駅間約200kmを結ぶ長大なローカル線飯田線。その南側は天竜川沿いの断崖に沿って進む険しく風光明媚な区間を通過することになるが、そこのはダム建設による線路付け替え等で多くの旧線区間がある。JTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩くT]」にはその中でも中井侍〜伊那小沢 平岡〜為栗間については記述があるが、昭和57年に切り替えられたその中間の鶯巣〜平岡間については他と比べてあまり年月を経ていない為か全く述べられていない。
しかし少し調べてみると、この区間にも隧道、橋梁を含む多くの遺構が残存している模様である。他の区間と比べれば歴史は浅いとはいえ、約30年の時を経た現地の状況は気になる所ではある。
小和田駅対岸 |
表題の通り中井侍〜平岡間が今回の探索のメインであるが、この周辺にはその他にも多くの見どころがある。それについてもいずれ公開する予定である。 そんなわけで今回のレポは飯田線随一の「秘境駅」小和田駅の対岸から始まる。 このように飯田線の対岸を行く県道1号から意外にはっきりと捉えられる小和田駅だが、逆に小和田駅からは県道の様子は確認できず、時折かすかに車の音が聞こえるだけで秘境感に満ちた場所である。 長野、静岡両県を通じての県道トップナンバーであり飯田線とも並行する県道1号だが通行止めになる事も多くその交通量は多くない。 しかし路面状態は良好で平坦な道は快走が可能だ。 。 小和田駅と中井侍駅の中間地点にこの平神橋はあり、これを渡り中井侍の集落に到達することができる。 しかしこの橋の立派さはどうだろう。消えかかった標識にはこの先は狭路が続くことが示されてはいるが現時点では想像できない。 やはり橋の立派さ惑わされて迷い込む車もいるようで、「この先本当に」と手書きで追加されたもあり、本当に狭路になるようだ。 |
中井侍駅への道 |
やがて道は予告通り、逃げ場のない崖っぷちの狭路に変わる。頑丈そうなフェンスは頼もしいが車と自転車のすれ違えさえ厳しそうな狭さだ。 古びた石垣の上には急傾斜の段々畑がどこまでも続いている。 小和田駅の周辺もそうだが、このような山深い傾斜地での生活は自分には全く想像もつかない。 少し行くと崖下にようやくトンネルから顔を出した線路を見ることができる。 付け替え区間は終わってもこの辺りの地形は険しく、飯田線は多くのトンネルと橋梁で構成されている。 線路との高低差を詰めるべく下り坂をしばらく行くと中井侍駅に到達。 すぐ裏に民家はあるが、飯田線の他の駅にも負けず険しい立地である。 |
第二中井侍隧道 |
駅舎は無く、簡易な屋根付きのベンチがあるだけの中井侍駅だが訪れる愛好者は少なくないようでこの手の駅ではよく見かける「駅ノート」もあった。 少し書き込みを覗いてみると、ありがちな「18きっぷで何時間かけてやってきました。自然が素晴らしいですねまた来たいです」のような内容がほとんどだった。 「鉄道廃線跡を歩く」によればこの先の中井侍〜伊那小沢間は昭和50年に新線に切り替えられており、いくつかの遺構が今も残るという。 まずは中井侍駅のすぐ先には旧観音山トンネルの入り口があるとのことだったがこれは見つからなかった。 少し行くと情報通り第二中井侍隧道を道路脇に見つけることが出来た。写真の通り人為的なものか半分土砂に埋もれている。 道路脇の斜面をよじ登り、抗口の前に立ってみると全長は上の写真にある通り48mと短くしっかりと貫通している。出口側は埋められることもなくフラットなようで通り抜けられそうだ。 2m程の斜面を滑り降りると、バラストが残る路盤には謎の木の根のような植物が一面に繁茂していて少々気持ち悪い。 アーチ状のコンクリートによる補強が目を引くが、「鉄道廃線跡を歩く」によれば見つけられなかった観音山トンネルは内部の変状が激しく危険な状態になっていたとあり、ここも同じような理由で補強がなされたのであろう。 |
伊那小沢駅 |
最初の写真にも写ってはいるが、抗門付近はコンクリート補強とは別に金属製の保支工もありかなり物々しい雰囲気となっている。 一度は通りすぎてしまった中井侍側の抗口は同じように道路脇に口を開けてはいるが、ご覧のように草木に覆われており少々見つけずらい。 そうこうしている内に次の伊那小沢駅に到着。 以前の小和田駅と同様に交換駅ながら無人化されており、ホーム上に簡易な屋根付きベンチがあるのみである。しかし小和田駅や中井侍駅とは異なり周囲には集落が形成されてる。 線路沿いの細い道をなお進むと、やがてこの手前で木曽川を渡った国道418号に合流する。 そう、あの国道418号である。有名な丸山ダム区間を抜けた国道はそれにも負けない険しい道のりを経てここからは天竜川沿いの道となる。 |
旧線へ |
鶯巣駅(どういう訳か写真なし)を過ぎると結構高い鉄橋が2本並んだこの地点に出る。 飯田線は当然単線であり、手前の古びた方こそ求めていた旧線の遺構ということになる。 しかしあそこへ行くのは…。 この日はフェーン現象が発生し佐久間ではなんと最高気温36.7℃を記録したような猛暑日だった。 当然こんな藪斜面を登るには極めて適しておらず、自転車に乗るような薄着では尚更…。 がむしゃらに斜面をよじ登ると、そこはまさに国道から見上げた第一北沢橋梁の袂であった。 この先現在線は長い藤沢トンネル(1370m)に入り、平岡駅の手前まで出てこないようだ。 この場所は眺めは良いが、落下の危険より国道と飯田線の両方から丸見えで落ち着かない。 現在線は地中に消えてしまったが、旧線は山肌を巻くように斜面の中腹をそのまま進んでいる。 レールがそのまま残っていることが特筆されるが、外側の三本目のレールは何であろうか。 すぐに再び短い橋梁にかかる。幅の広い渡り板は比較的新しく見えるが、線路切り替え後に取り付けられたものであろうか。 その2へ |