日本縦断西日本編21日目【平成17年1月17日】鹿児島中央駅(鹿児島県鹿児島市)⇒枕崎駅(鹿児島県枕崎市)

今回は「日本縦断各駅停車」の最終区間で、「JR日本最南端の駅」西大山駅。「最南端の終着駅」枕崎駅。そして佐多岬の各ゴールをそれぞれ訪れるつもりだ。
 この3地点を3日で周りその日の内に自宅へ戻るには、薩摩半島と大隅半島を結ぶフェリーの利用が不可欠で、山川⇔根占間を結び便が休航中の今、相当なハードスケジュールも予想されたが、どうやら時刻表等には載っていない、指宿⇔大根占間の「小型フェリー」が予約制で運行されているようで、一気に展望が開けた。
 しかし、どう計画しても一日目には西大山駅駅経由で枕崎駅まで行きたい。加えて沿線の各駅に立ち寄り、薩摩半島最南端の長崎鼻にも寄った上、なるべく明るいうちに予定を終えたいとあっては、できるだけ早い時間に鹿児島中央駅前を出発することが必要だ。
 さてどのような手段で鹿児島へ向うべきだろうか、まず普通の人が普通に考えるであろう「朝一の飛行機で羽田を立つ」という手段は、当然のことながら所要時間は一番短く手間もかからないのだが、鹿児島空港に着くのは9時近くで、それから荷物の受け取り、約一時間のリムジンバス乗車、自転車の組立、準備と加わると出発は昼頃になってしまう。
 ならば前日の内にに鹿児島へ行きたいが仕事を終えてからではそれは不可能だ。
 そういう訳でまず仕事を終えてから最終の便で福岡空港へ飛び、それから先を考えたい。
まず一番便利「だっだ」のが「西鹿児島」行の夜行列車ドリームつばめなのだが、残念ながら九州新幹線開業で廃止されている。
 それならば運賃も安い夜行バスがあるじゃないかと言う声が聞こえてきそうだが、いままでの経験で荷室の狭い3列独立シートのバスが輪行袋の持ち込みを嫌うことが分かっており、問い合わせた所はっきり「禁止」と言われてしまった。
 これもいままでの経験からもし強行しても乗車拒否まではされない事が予想できるが、出発前からトラブるのはいやなのでやめておく。実際には俺一人が輪行袋を積んでも荷室が一杯になることなどないのだが、自転車軍団の襲来を恐れているのか、故障の際の責任を恐れているのか…。
 これで博多で一泊して翌日鹿児島へ向かうという手段が決まったが、その際は九州新幹線を使う他ないだろう。ドリームつばめを廃止に追い込んだ張本人ではあるが…。
 飛行機で博多へ→一泊→翌日九州新幹線というルートは当然とても高コストでなるべく宿泊費は抑えたい。この点は  格安の「宿泊できる」スーパー銭湯が見つかったのでなんとかなりそうだ。
やっと計画は固まったが、少しのトラブルでも破綻する、余裕なく危ういものだ、今は無事に行く事を祈るのみ‥。


 大雪の予報は見事に外れ、台風の影響で遅れに遅れた前回とは違い、今日は何事も無く福岡空港へ着く事ができた。
さて今日泊まる予定の「月の湯」はこの空港の近くにあるようなのだが、輪行袋を抱えた俺は地下鉄に乗り博多駅へ向かうつもりだ。
 なぜ直接月の湯へ行かないのかと言うと、「荷物が多すぎる」のだ、それにキャリアと泥除けの付いた自転車を組み立てたり分解したりするのは大変な手間で、それならば一度博多駅まで行き、走行と宿泊に必要ない荷物はコインロッカーに全てしまった後、軽装の自転車で月の湯まで自走しようと考えた。
既に23時近い博多駅はホームレスたちのねぐらの準備の最中だった。とてもここで夜を明かす気にはなれず、早く準備を済ませようと思う。
 出口に近い、終夜営業のロッカーに荷物を詰め込み外へ出ると小雨がパラついていた。明日からの天気が良いことは調べてあったのだが今日の雨は予想外だ。しかし距離的には30分程度で着くはずなので我慢できるだろう。
                                 出口のすぐ先で自転車を組み立てていると風俗店の大きな看板を持った男が近寄ってきた。輪行で自転車を列車や飛行機へ持ち込める事を話すと、盛んに感心していたが俺は空気入れの調子が悪くそれどころではなかった。
何とか自転車が形になったので、相変わらず小雨が降り続けるなか走りだしたが、よく考えると地図がない。当然、鹿児島の地図はあるのだが、博多の事は考えていなかったのだ。
しかし、福岡空港の近くにある事は分かっているしそこから先は簡単な地図もあるので、標識を頼りに走りだした。
日曜の夜の博多市街は車も少なく、空港までは順調に進んだが、その先がよく分からない。
 ホームページをプリントした地図はいまいち正確ではないようで、冷たい雨が降る中迷いながらの走行は、かなり悲惨だ。
日付が変わるころ、ようやくたどり着いた「月の湯」は意外に新しい建物で風呂も広い。
 ここは24時間営業だが、深夜割増料金というものは無いようで、背もたれの無い堅い椅子で朝まで我慢すれば550円で済んでしまう。しかしそこまでする必要は無いので、追加料金の1000円を支払い、営業終了後の畳敷きの食堂で毛布にくるまって寝た。

 



  5時前に目が覚めた。乗るべき「リレーつばめ31号」は博多6時発でまだ余裕もあるが、ここで乗り遅れでもすれば今後全ての予定が狂うので、早めの行動を心がけようと思う。
 早速、朝風呂を浴びようかと浴場へ向かうと、こんな時間にも関わらず既に数人の先客がいた。
 これから仕事というには早すぎる気がするし、これからここで寝る訳にもいかないだろうから、早朝の用事でもあるのだろうか。
 準備をして外に出ると相変わらず小雨が降り続いている。しかし天気はこれから回復するようなので、特に心配はしていない。
 さんざん迷った昨夜と違い、夜明け前の道を快走すると30分程で博多駅に到着。
 自転車を輪行袋に収納した後コインロッカーを開け、キャリアと泥除けを取り出した。


 

 これで、ようやく鹿児島へ向けて出発できるが、自分でも感心するほどの手間のかかりっぷりだ。ここまで面倒な手段で鹿児島へ行った奴もそうそういないだろう。
 これから乗るべきは当然在来線ホームから発車するリレーつばめ31号「鹿児島中央」行なのだが、初乗車の九州新幹線ばかり頭にあったせいか、山陽新幹線の乗り場への階段を登りかけてしまった。
 本当にここから鹿児島行の新幹線が出るのはいつになるのだろうか。
 
今日の始発のリレーつばめは空いている。このタイプの車両に乗るのは数年ぶりで、前回は今は無き「ドリームつばめ」だったが大雨の影響で大いに遅れたうえに、川内駅から先は各駅停車に格下げされ高校生が大量に乗ってきたことが思い出された。
 意外に停車駅の多いリレーつばめは夜明けが近い鹿児島本線を順調に走り、定時に熊本に到着。
一つ前の停車駅、上熊本にはとても立派な木造駅舎があったのだが、未だ正面からは見た事が無く、しかも残念な事に近いうちに建て替えの話もあるらしい。

 
 
このあたりからは九州新幹線の建設中の高架橋も時折併走するが、あまり工事は進んでいないように見える。
 狭軌と標準軌が入り乱れる新八代駅に743、到着。ここで隣のホームに停車中の正真正銘の「つばめ」に乗り換えだが、大荷物の俺は出遅れてしまい窓側の席には座れなかった。
 
つばめの車内は、木材がベースの広々とした座席が2列+2列で並び、東海道新幹線や東北新幹線の大量輸送に対応した車両とは全く違う優雅な雰囲気だ。
 車窓は当然トンネルばかりだが、時折顔をのぞかせる八代海には明るい日差しが降り注ぎ、今日の天気は良さそうだ。
起きてからなにも食べておらず空腹だったので車販でも、と思ったがどうやら営業していないようだ、「客室乗務員」は乗車していて「つばめグッツ」は販売しているようなのだが…。
 トンネルまたトンネルの線路を激走し終点、鹿児島中央駅に833、到着。なんだか充分旅を楽しんだような気もするが、まだスタート地点に立ったばかりだ。

                                                                        月曜日の朝の鹿児島中央駅前はさすがに静かで、落ち着いて準備が出来そうだ。正面階段の横のスペースで自転車を組立て、30分ほどで準備が整った。
 今日の予定は、前にも書いたように、西大山、長崎鼻経由の枕崎行で、その後は明日のフェリーの事を考え輪行で指宿へ戻りたい。
18時台の列車に乗れれば理想だが、間に合わなければその次の最終列車でも仕方ないだろう。ただしその場合は、最後は日没後の走行になり、宿に着くのが過ぎになってしまう。
今日最初の駅、郡元駅は昭和61年開業のホームだけの駅だが、周囲にはマンションや住宅が立ち並びローカル線の雰囲気は無い。すぐ先で枕崎とを結ぶ国道225号に入るが、この国道は指宿を経由しない枕崎行なので、いずれ別れる運命にある。
 南鹿児島駅はすぐ目の前に市電のホームがあり、一瞬指宿枕崎線が電化されたような錯覚を覚える。実際この辺りの市電は複線の専用軌道を走っていて、JRよりも立派な感じだ。
 この辺りから交通量は減少するが、国道も両側に商店が並ぶ片側一車線の道になり、むしろ走りづらい。
 沿線一の利用者数を誇る谷山駅には大きな白壁の駅舎があり、駅前も広い。駅舎内には「BIG KIOSK」なるコンビニが入っていた。JR東日本にはかつて「Miniコンビ」というのがあったが、これは他では見たことが無く珍しい。




 
 谷山を過ぎると、併走を続けてきた市電もいなくなり、ローカルな感じとなる。町外れには指宿36km、枕崎41km、と書かれた青看板があり、指宿までの距離は当然国道を直進した距離だが、枕崎までの距離は指宿経由ではない。この青看板に違和感を一瞬感じる俺は、やはり鉄道愛好者なのだと思う。

 
 市街地と郊外を隔てる坂道を登ると、名前の通りの坂之上駅に到着。

 国道とは反対側にあるホームに列車が到着すると、学生風の客が大勢駅から出てきた。地味な感じの駅だが、意外に利用者は多いようだ。

 線路とぴったり併走する国道を10分程行くと次の五位野駅が見えてくる。ここには交換設備があり、島式ホームになっているが駅舎は国道側でなく回り込まないと駅は利用できない。近くには「日本一のコアラの家族」が売りの動物園があるらしいが、俺が行くような所ではない。

 この先国道226号は錦江湾沿いに変り、桜島の眺めが美しい。白く塗られた木造駅舎が残る瀬々串駅は、駅前の道を行くとすぐに海にぶつかり、こんな所でぶらりと途中下車でもしてみたい気分になる駅だ。

 
 
 そんな眺めの良い道がしばらく続くが、やがて前方に巨大なタンクが林立する原油備蓄基地が見えてくる。簡易駅舎の中名駅のすぐ先で横を通るが、周辺が工業地帯という訳では無く、輸送はあくまでも海上のタンカーで行なわれているようだ。
 
 ちょうど腹も減ったので「道の駅喜入に立ち寄り昼食にする。食堂はチェーン店なようだったが角煮の入ったうどんは美味く、サービスも良かった。道路情報コーナーの前にはインターネットに接続されたパソコンが置かれていたので少しいじってみたが、カナ入力になっていて少しとまどった。

 
 
 この辺りは平坦な海岸線を国道226号と指宿枕崎線が北東にまっすぐ進んでいて、季節柄追い風が強くとてもスピードが出る。コンクリート簡易駅舎の前之浜駅、木造駅舎が残る生見駅と10分間隔ほどで快調に撮影し、指宿市に入る。最近出来た道の駅「いぶすき」は、規模は小さいものの裏手が展望台になっていて、絶景を楽しむ事ができた。
 
 漁港や海水浴場がある薩摩今和泉駅の周辺は、結構な市街地で谷山駅に似たイメージの洋風駅舎の利用者は多そうだ。

 次の宮ヶ浜駅はかつてホームぎりぎりまで海が迫っていて、駅名標にも列車と波のイラストが書かれている。しかし現在では工事の影響で、海ははるか先へ遠ざかってしまい、ホームの向こうには荒れ地が広がるばかりだ。
 

 この辺りから国道は一度海から離れ指宿の市街地に入るが、砂むし温泉もある中心部まではまだ距離がある。

 次の二月田駅には、またも先ほどの谷山駅を小型にしたような駅舎があり、同時期に建てられたのだろう。観光地らしい南国ムードの漂う街並みの中を走り、落ち着いた外観にリニューアルされた指宿駅に1350、到着。

 指宿へ来るのは初めてで、素通りするのには惜しい所だが、今日の夜には再びここへ戻ってくる予定なので、今は先を目指す。
 

 市街地を抜けると国道は海岸線ぎりぎりの崖っぷちを行く。線路はかなり高い所を併走していて、相当景色が良さそうだが、今日俺が列車で通るのは日没後で残念だ。
 「JR日本最南端の有人駅」山川駅に1412、到着。かつて根占とを結ぶフェリーが出ていた山川港や市街地は湾の反対側で、駅前は静かだ。
 駅員に頼んでスタンプを出してもらったが、絵柄は「熱帯蝶の舞う駅」で「最南端の駅」ではなかった。しかし「JR日本最南端の有人駅」があるのだから、宗谷本線の抜海駅が「日本最北端の無人駅」を名乗っても面白いと思う。

 
 
 この先指宿枕崎線は昭和30年代後半に開通した区間になり、列車の本数は非常に少なくなる。しかしローカル線の本領を発揮するのもこれからだ。
 道は海から離れ、一面に広がる畑の中を行く。この辺りでいよいよ開聞岳が視界に入るようになった。これから先延々と付いて廻るはずの風景だが、実に形の整った山だ。
 
次の大山駅は短い片面ホームに屋根付きベンチがあるだけの駅だが、周囲は広々としていてローカル色に溢れている。
さて次の駅は、いよいよ「JR日本最南端の駅」西大山だが、その前に薩摩半島最南端の長崎鼻へ寄っておきたい。
距離は片道5q程あるが、平坦路が予想されるのでそれほど時間は掛からないだろう。


 
途中には最近立てられた様子の「JR日本最南端の駅西大山駅→」と書かれた看板もあり、一瞬先に駅へ行くか迷ったが、何しろ「第一のゴール」でもあるので後にとっておく。

 やがて道は整備された観光道路風に変わったが、シーズンオフのせいか通る車も少ない。
 しかし実際長崎鼻に着いてみると、駐車場には何台も観光バスが停まっていて、岬へ続く道の両側の土産物屋もほとんどが営業していた。
 駐車場より先は車両通行止なようだが、自転車なら構わないと判断して1504、岬に到着。
 意外にもにぎやかな長崎鼻だが、青い海とそびえ立つ開聞岳は九州の果てへ来た事を実感させるのに充分だ。

 
 
ここから西大山駅へ行くには先ほどの道を戻るのが一番簡単だが、それでは面白くないし、近道もしてやろうと思い、別のルートを選んだ。しかし結果的には…。
 大きな植物園の横を抜けひたすら北上すれば、指宿枕崎線の線路にぶつかり西大山駅にも到達できるはずなのだが、どういう訳か西へ進み開聞町へ入ってしまった。
  もう一度よく地図を見て正しいと思われる道を進んだが徐々に路面は荒れ道幅は狭くなり、ついには軽トラ一台がやっと通れる程になってしまった。
  周囲は畑が広がるばかりで、かなり心細くなったが今更戻る気になどなれないので、ひたすら進む。
  やがて遠くを走る車が確認でき、その手前を走る線路と駅が見えた時にはかなりうれしかった。
 
少々手間取ってしまったが1540、遂に「JR日本最南端」の駅、西大山に到着。最北端の稚内から直線距離で約2000q、実際に走った距離は4000qを越え感慨深い。

 

 最近「本土最南端」から「JR日本最南端」に再び書き換えられた柱は真新しい感じだが、正真正銘「日本最南端の駅」だった時代に来たかったとも思う。

  俺はもちろん、沖縄が日本では無いなどとは思わないが、法律上は同じとはいえ、指宿枕崎線とモノレールは「JR」「それ以外」という分類ではなく、分けて考える事もできるのではないかと思う。

 ちなみに松浦鉄道のたびら平戸口駅は今でも日本最西端を名乗り続けているようだが…。

  さて一つ目のゴールは制覇したが、次の目的地、終着駅枕崎までは30q以上あり、すでに1600近いので予定していた18時台の列車に乗るのは難しそうだ。
  次の最終列車は大丈夫だと思うが、できるだけ完全に暗くなる前に着きたいので、寄り道を減らし走る事にする。

  すぐに次の東開聞駅が見えてきたが、畑の中の一本道の行き止まりにあるホームまでは結構距離がある。
  ガタガタ道を走り、日陰の片面ホームに到着したが逆光になる西日が強烈で、背後にそびえる開聞岳をバックにした写真は撮れなかった。 
  やがて線路沿いに民家や商店が増え、駅がありそうな雰囲気が高まったが、なかなか駅は現れない。
  開聞駅は町外れの寂しい所にあり、無人化され交換設備も無くなっている。

 

 しかしなぜこの駅はこんな不便な所にあるのだろう。線路自体は町の中心を通っているだけに不思議だ。

   途中のパーキングには、遮るもの無い海面の向こうに開聞岳が望めるポイントもあったが、ゆっくり眺めている時間は無い。  知らなければまず読めない頴娃町に入る頃には17時近く、さすがに薄暗くなってきた。しかしこの時間東京ならばほとんど日も落ちているはずで、南九州の日の長さを実感する。

 

 町の中心にある西頴娃駅は、山川以遠では唯一の有人駅かつ交換可能駅で、待合室は高校生で賑わっていた。
この先国道226号は海岸沿いになるが、意外にアップダウンが多く、ペースは上がらない。国道から少し入った所にある石垣駅も旧来からの片面ホームの無人駅で、この辺りが戦前に開業した区間と違う所だ。 
 切り通しの中にあり、薄暗い頴娃大川駅を過ぎると、知覧町に入る。しかし武家屋敷もある中心部からは、20km近く離れていて、実に南北に細長い町だ。

 

 定期便も無く、廃止して刑務所を誘致する計画があるらしい枕崎空港の前を過ぎると、既に辺りは完全に暗くなったが、枕崎の町まではあと10qを切っている。
  非常食のビスケットを食べて、気合いを入れ直した。
 
 
やや周りが開けた雰囲気に変わると枕崎の一つ前、薩摩板敷駅のホームが街灯に照らされていた。  今までと同じ、片面ホームに屋根付ベンチの駅だが、街灯のおかげでなんとか撮影できた。しかし周囲は真っ暗で辺りの様子は伺えない。
 
枕崎市街はもう目の前のはずだが、全く街の灯りは見えない。それもそのはずこの先、指宿枕崎線は小高い丘をトンネルで抜けていて国道は、その上を通っている。
  今日最後の坂道を淡々と登ると、視界に港町、枕崎の夜景が広がった。
  真っ暗な道を慎重に下ると市街に入り1845、「終着駅」枕崎に到着。
  列車にばかり乗っていた頃から、いつかは行ってみたかった所だが、まさか最初に自転車で訪れることになるとは想像もしていなかった。 

  しかし、もし列車で訪れていれば、僅かな時間で折り返していたはずで、道中の印象も今回の比ではないだろう。しかも今日は夜とはいえ、これから指宿までの汽車旅も楽しむことができる。
鹿児島交通の所有だという大きな木造駅舎は前面が白く塗られ、意外にきれいな印象だ。しかし駅舎内部は、出札口も観光案内所の窓口も板でふさがれたままになっていて、利用者の減少を感じさせる。
  さらにホーム側に出てみると、完全に旧来のままで、かなり老朽化が進んでいた。
  所要時間、運賃共にバスの比ではない現状ではこの状況も当然で、鹿児島まで列車で行くのは余程の物好きか、18キッパー位だろう。
 
 木製のがっしりしたベンチが並ぶ広々とした待合室では、数人の高校生が列車やバスを待っている様子だが、自転車を中へ入れ分解作業を開始した。
  キャリアを外し、前後の泥除けを外し、30分弱で輪行袋へ収納できたがまだ時間があるので、周囲の散策をする。
  駅前の大きなフェニックスの横には、最近建てられた様子の灯台型のモニュメントがあり、「最南端の終着駅 枕崎」というコピーと鰹、椿、波のイラストが書かれていた。
  近くのスーパーがまだ営業していたので、値引きの寿司と酒を購入して駅へ戻る。
  先ほどの高校生はまだおしゃべりを続けていて、列車に乗る様子も無い。これが最終列車なのだが…。
  かつて鹿児島交通の気動車も発着していた島式ホームの片側で、2両編成のキハ47がアイドリング音を響かせている。次に再びここを訪れるのはいつになるのだろうか。
 
 
鹿児島中央行の最終列車は、俺の他に10人程の高校生を乗せ1951、出発した。
  車窓は当然闇の中だが、今日走ってきた所だ。雰囲気は掴める。駅に停車する度に少しづつ高校生を降ろしていくが、乗る客はなく、車内はがら空きになった。
  西大山での乗降は無く、列車は指宿駅に2100、定刻通り到着。いつもながら自転車で苦労した道のりも、列車だと実にあっけない。
指宿にはユースも2件あるようで本当ならば泊まりたいのだが、こんな遅い時間ではそれも不可能だ。駅から少し離れた所にある宿を予約してある。
  自転車を再び手早く組み立て、22時前に宿に着くことができた。一階、二階がカラオケスナックになっている変わった所だった。なぜかツインの和室に通され、料金は素泊まり5000円と安くないものの快適そうな感じだ。
 明日は佐多岬。ゆっくり寝ようと思う。 

本日の走行距離約100km 走行時間約9時間30分 自宅からの走行距離2200.53km以上〔推定〕