小和田駅脱出計画(後編)
ようやく小和田駅へやってきた私は、途中の分岐で未知のダートを進み車道がつながる「外界」へ一応出ることができた。
しかし自転車を置いてきておりその先には進めない。再び来た道を戻り塩沢集落への坂道を登りはじめる。
それにしてもさっきの道は何だったのだろう、崩落はあるものの勾配も少なく景色も変化に富んでいる。
これから始まるひたすら登りの道と比べても快適だと思われ、なぜ情報が少ないのか不思議だ。とりあえず外界を目指すならばお勧めのルートだと思う。
しばらく登るとこのような分岐に到達する。情報によると左を行くと景色が良いようなので行く。
写真では平坦だがすぐに急勾配が再開し、足を滑らせればただではすまない道を慎重に一歩一歩進む。
5分程で、数件の民家が見えてくる。これは塩沢集落ではなく、山肌に張り付くように建つ独立した集落のようだ。
この先民家の軒先のような所を通ることになり、自転車同伴の身にはやや居心地のよくない所を進まなくてはならない。
急斜面の段々畑を登り、後ろを振り返ると眺望が広がった。
天竜川の水面ははるかに下で、ここまで登ってきたことが少し報われた感じがした。
農業用のモノレールを跨いだ先を進むとこんな場所に出てしまった。
どう考えても間違いだが、引き返すのも悔しいのでこのとても道とは言えない幅50センチくらいの場所を自転車を抱えて進む。
そして…。
下は水の枯れた沢で、その下には何処までも斜面が続いていていて落ちればタダでは済まない。また左側の一本の木は明らかに腐っている。
残念ながら道(と言うより椎茸栽培地)は途絶えていてつながっていない。下に見える舗装された歩道へはこの斜面を降りるしかない。
降りるというより滑り落ちるようにこの斜面をクリアした。
再び急勾配の登りが始まった。濡れたコンクリート舗装はとても滑りやすく、一見自転車に適していそうな坂道よりもむしろ石段のほうが安心して進める。
自転車は全く役に立たず、ここでは完全にお荷物である。
遥か頭上には林道のガードレールがかすかに見え、時々車の音も聞こえる。
しかしなかなかたどり着かず少々くたびれてきた頃、ようやく出口が見えてきた。
ここが天竜川林道への出口である。
しかし情報とは違う場所で、やはり道を誤ったのだろう。
ここからは自転車のフィールドである。ここまでの遅れも一気に取り戻せる。
塩沢集落の沿いの道を進むと、よく知られている方の出口(入り口)が見えてきた。
ここのほうが目印もあって確かにわかりやすい。この道もいずれ探索してみたいものだ。
天竜川林道は道幅も広く、完全に舗装されていて一見立派だ。しかし一歩集落を離れると、崩落と落石の連続でとてもまともな状態ではないことが分かる。
この分岐を曲がると、大嵐駅へ続く西山林道へ入ることが出来る。
しかしこの標識は何だろう。「水窪市街」は良いとしても、「愛知県」「長野県」とは、この辺りには地名が無いのだろうか。
「西山林道」もこのような状態の道で、最近の道らしくアップダウンもきつく少々堪える。
しかしこの辺りには「落石注意」の標識を見かけない。「そんなあたりまえの事言わなくても分かってるだろう」ということなのだろうか。
下りに変わった道を行くと飯田線の線路が見えてきた。
ここまで線路と道路のルートがかけ離れた区間も珍しいのではないかと思う。大嵐駅はもうすこしだ。
寄り道を含めて3時間以上の時間を掛け、遂に大嵐駅に到着。この駅は静岡県水窪町が所在地だが、実際の利用者はほとんどが天竜川対岸の「日本一のミニ村」愛知県富山村の住民である。
したがって駅の周りにはほとんど何も無い。
ちなみに小和田⇔大嵐間は電車なら5分である。
駅のすぐ近くには、飯田線旧線由来の「夏焼隧道」がある、地図には「通行止」とあるが内部には照明もあり、通れそうだ。
しかしトンネルを抜けると道はすぐにゲートに阻まれ、廃道化した道が続いている。
道は一面の藪に変わっていて、通れなくなってから相当な月日が流れた感じだ。
追記 2008年この先を探索しました
オカルト話もあるらしいこのトンネルだが俺はそのような事は一切信じないので、怖くは無い。写真でも分かるように、内部は下は素堀り、上はコンクリという構造で興味深い。
その後は、天竜川沿いの県道を進み、佐久間ダムの近くにある中部天竜駅で自転車を解体した。