2010年春、2011年夏名松線の現状(後編)



ブランド牛で全国的に有名な松阪駅と、現在は津市に属する伊勢奥津駅を結ぶJR東海屈指のローカル線「名松線」は、途中まで特急を含め列車が頻繁に往来する近鉄大阪線が並行し、その先の沿線人口は多いとは言えないという状況で利用者は伸び悩み、国鉄時代には特定地方交通線に指定されながらも、代替道路の未整備が理由で岩手県の岩泉線と共に廃止を逃れている。
 その後1982年には台風による災害によって、長期の運休を余儀なくされ廃止、バス代行化の一歩手前の状況になったこともあったが、なんとか復旧を果たし少ない本数ながら運行が続けられていた。
 しかし2009年10月8日の台風18号の被害によって、沿線の各所で災害が発生し今現在(2010年4月)でも家城〜伊勢奥津間でバス代行が続けられている。
 JRと地元自治体による復旧に向けた話し合いは現在も続けられているようだが、JR側としては、復旧には多額の経費が必要でまたこれからいつ何時同様な災害に見舞われるとも限らない。よって復旧は困難といった立場を崩しておらず、早期の復旧には厳しい状況である。

 JRのプレスリリースによると、現在バス代行が行われている家城〜伊勢奥津間17,7kmで実に38個所の災害が発生してとされ、被害甚大といった雰囲気に写真が添付されている。

 その後は大きな動きもなく、一時は廃止濃厚かとも思われた家城〜伊勢奥津間であるが、2010年11月にJR東海社長の「台風被害の復旧において沿線自治体の協力が得られ」「河川や治山工事において沿線自治体が将来に渡り責任を持ち安全な運行が確保される」という条件で復旧させるという記者会見が行われた。
 これを受けて2011年5月JR東海、津市、三重県の三者間で協定書が締結され2016年の全線復旧を目指す事となった。




伊勢鎌倉駅  三重県津市
駅全景 駅データ 
駅区分 無人駅
開業年度1935(昭和10年)
キロ程 33.8
利用者数 9
名所案内 無し
 蛇行する雲出川を隧道と橋梁でショートカットした名松線は、伊勢鎌倉駅に到着。

  シンプルな待合室だが、比較的新しい。
 
 中には「駅ノート」が置かれていた。
駅名票  並走する県道はバイパスの完成で旧道化し、また集落も離れているので静かな感じの駅である。(2011年夏)
 
                         
     ホームからの眺めが良いという評判の駅であり、狭い場所に造られた棚田状の水田風景が見事である。

 前回訪れた際は田植え前でいまいちピンとこなかったが、今回それが始めて実感できた。(2011年夏)
     駅前の廃屋の前に代行バスの乗り場。

 現実的にはもう少し先のバイパス出口辺りにバス停があれば便利そうだが。(2010年春)
     夏草に覆われる線路。

 民家から掲げられた幅5mはあろうかと思われる横断幕は天理教関係のもののようだが、列車の乗客に向けて掲示していたのであろうか。(2011年夏伊勢竹原〜伊勢鎌倉間)
     早期再開を訴える看板も風雨にさらされ、運休からの月日を感じさせる。(2011年夏伊勢竹原〜伊勢鎌倉間)
     踏切付近もこの状態。

 まさに廃線さながらである。
(2011年夏伊勢竹原〜伊勢鎌倉間)
     バイパスと合流した県道を進むと、川沿いに大きな建物群が見えてくる、これは地元の「魚九」という旅館が建設した「美杉リゾート」で、ご多分にもれずバブル期にできたもののようだ。

 大きなウオータースライダーなども見えるが、季節的な理由かひっそりとしている。(2010年春)
     この「魚九」について調べてみると、一度倒産していたり、この場所から道路を挟んだ場所にある本館が、閉鎖状態だったりと明るいニュースはあまり無いのだが、夏休み期間中でもあるこの時期は、駐車場に車も多くプールも沢山の人で賑わっていた。(2011年夏)

伊勢八知駅  三重県津市
駅全景 駅データ
駅区分 委託
開業年度 1935(昭和10年)
キロ程 36.6
利用者数 8
名所案内 無し
 再び雲出川を渡った名松線は、旧美杉村の中心駅、伊勢八知駅に到達する。

 駅舎にはグリーンハウス美杉という林業関係の研修施設が併設されており、地元産の木材が使用された立派なものである。
駅名票  このような立派な駅で簡易委託も行われていたようだが、近年の一日の乗車客数は20人にも満たないというデータもあり、公共施設や飲食店が立ち並びそれなりの賑わいを見せる周囲の様子を考えれば驚きの少なさである。 (2011年夏)
     しかし手元のデータによると1988年の「利用者数」は一日210人もいたようであり、通学生の利用に減少の理由がありそうだ。

 列車が来なくなった現在でも簡易委託は続けられているようで専任ではないようだが、女性の係員が窓口に座っていた。(2011年夏)
     家城から先、沿線には名松線の早期復旧を願う看板類が多数立てられているが、これはその中でも最大のものである。

 自分の意見をここに書けば、「鉄道愛好家」として廃線を望む気持ちなど微塵もあるわけはないが、各地で過疎地のバス路線が次々と廃止になっている現代に あって、非常に経費のかかる鉄道路線が、バスで充分な乗客しかいないにもかかわらず「鉄道」というだけで、廃止を逃れることができるという「不公平」がまかり通るとも思えないのが正直な所である。(2010年春)
     が、どうやら2016年の全線復旧に向けて動き出しそうな情勢なのは前述の通りである。(2011年夏)
     この辺りは地元産木材の集散地で、道路沿いに原木が積まれていた。

 先ほどの伊勢八知駅にも貨物ホームの跡地が残り、かつては名松線も原木輸送に使われたのであろう。(2010年春)

      旧美杉村の市街地を抜けると、県道は山間部に入り、ぐっと勾配もきつくなる。

 名松線も幾つもの鉄橋や隧道を連ねながら雲出川の渓谷沿いを進むようになり、車窓もクライマックスを迎える所だった。

 相変わらずのこの柵だが、道路に面したこちら側はともかくまともでは到達困難な反対側にまで建てるというのは意義の疑わしい所だ。(2010年春)
     名松線は次の比津駅の手前で道路も同時に跨ぐ鉄橋を架け、松坂側から見て今まで左から県道、雲出川、線路という順序だったものが、線路、県道、雲出川という順序に変わる(2010年春)

比津駅  三重県津市
駅全景 駅データ
駅区分 無人
キロ程 39.7
利用者数 9
名所案内 北畠氏館跡庭園 北畠神社境内にあり枯山水の見事な庭園 東4km 徒歩50分
霧山城跡 北畠氏の居城跡 東3.5km徒歩50分
開業年度 1935年(昭和10年)
 終点の一つ手前の比津駅。

 ひっそりとした雰囲気の駅だが周囲には集落があり、一定の利用者はいたようだ。

 待合室は真新しく改築されているが、現状ではそれが活用されることも無い。
 見ごろを迎えた梅もどこか寂しそうである。(2010年春)
 比津駅を出て最終区間に入った名松線は、再び道路と雲出川を日一跨ぎにして順番が入れ替わり、今度は雲出川、県道、線路といった順序に変わる。

 そして名松線は最後の隧道に入るが、ここにもしっかり柵が取り付けられている。

 今までいくつもの橋梁を見てきたがどれも全くの無傷で、その他の部分も大きな被害は見受けれれなかったというのが、正直な所である。(2010年春)
     隧道を抜けた名松線は道路と交差してその並び順を再び変え、奥津の集落へと入ってゆく。

ここの踏み切りも竿が取り外されている。(2010年春)
      伊勢八知駅を出て以来、付かず離れずを繰り返してきた県道と名松線だが、この辺りでやや距離を置くようになる。

 この辺りは林業が盛んで、整然と立ち並ぶ杉が見事だ。(2011年夏)
             

伊勢奥津駅  三重県津市
駅全景 駅データ
駅区分 無人駅
キロ程 43.5
利用者数 38
名所案内 無し
開業年度 1935(昭和10年)
 名松線の終着駅。

近年まで先ほど見た伊勢竹原駅舎を少し横長にしたような木造駅舎があったが、現在では公共施設と同居した建物になっている。

 代行バスはというと、この写真でいうと左側の公共施設の玄関前辺りから発着しているようである。
 
駅名票  18切符シーズンのこの時期、普段は静かなこの駅も列車の発着時には愛好者で賑わっていた筈だが今はそれも無い。(2011年夏)
      これは2010年春の様子。

 時期的なものはあるが、この時は線路の草もなく今にも列車がやって来そうな雰囲気を残していた。
     駅舎に併設されているのは、津市の出張所で、代行バスはその脇から発着する。
     この駅のシンボル的存在の給水塔も健在である。

 真っ赤に錆びてはいるが、JRもその価値を認めていたようでこれは完全な放置ではなく「保存」であるようだ。

 しかし万が一、名松線の廃止という事態になれば、この給水塔もどうなるかは解らない。(2010年春)
     代行バスの時刻表
 
 列車運行時は一日8本あった松阪行が6本に削減されてはいるが、乗客数を考えればそれなりの本数が確保されているようにも思える。
                                                             



 名松線の「名」が三重県西部の名張を表しており、当初は松阪と名張を結ぶ計画であったが、長大トンネルを連ね最短距離で名張に到達した近鉄大阪線に敗 れ、延伸を断念したというのは良く知られている所だが、現在では名張への連絡バスがこの駅から少し離れた所から発着している。

 しかしこの本数。

 かつては列車の到達と連動してもう少し本数があったようなのだが、休日は2本、平日に至っては7時台の1本のみという究極といって良いほどの少なさだ。(2010年春)
    と思っていたが、その後の時刻改定で14時台の名張行も廃止となり事実上名松線からそのままバスを乗り継いで名張に到達するのは不可能となっている。(2011年夏)
 
  ここからは、名松線が開通を目指した名張までの三交バスのルート沿線の様子をレポートします。(2010年春)                                                          

   これから三交バスのルートをたどり名張へ向かう事とする。

 バスはこの突き当りを左折して国道368号を進む。ここにも名松線の早期復旧を訴える看板が設置されているが、いままで見たものと同一のデザインである
 ちょうど伊勢奥津駅へと向かう三重交通のバスとすれ違ったが、乗客は学生が一人だけに見えた。

 時刻表を見れば、このバスが折り返して14時52分の飯垣内行きになるのであろうか。ちなみに飯垣内というのは名張との中間地点位にあり、そこまでは同一ルートを行くようだ。
 目指す名張は三重県に属するが、国道は一旦奈良県に入る。

 県境を越える路線バスという時点で比較的珍しいものだと思うが、このバスは再び三重県に入り名張を目指すのでさらに珍しいだろう。
    途中にある道の駅「御杖・姫石の湯」。
日帰り温泉やレストランのある道の駅なようだが、この日はちょうど定休日にあたるようで営業していなかった。

 道路沿いには奈良県らしく「せんとくん」のイラストがかかれたのぼりが多数立てられていた。
   
 再び奈良県と三重県の県境地帯を通る事となる

 この辺りは山間部で周囲に民家も少なく寂しい所だ。
                                                              

 再び三重県に入った国道368号はほぼ完全1車線の狭い部分が連続する区間に入る
 ここを通る車が路線バスと出会えば、離合には苦労するであろう。

 ガードレールに貼られた杉のイラストのステッカーは三重県内の国道はもとより県道でも随所に見ることができる。
 ここが、伊勢奥津からの区間運転バスの終点の飯垣内。
 見た所普通の山里の集落といった所で、バスの車庫があるといった訳でもなさそうである。
 それよりもこの「飯垣内」何と読むのであろうか。「いいがきない?」「めしかきうち?」いずれも不正解。

 正解は「はがいと」と読むらしい。真ん中の「がい」は何となく解るが、「は」飯のは?「と」は全く想像もつかないが、近くには垣内(かいと)信号場という所もかつてあったようで、このあたりにはよくある地名なのかもしれない。
    国道368号はやがて名張市に入るが、道幅は今だ1.5車線程度で、未改良なままである。

 もし名松線が名張まで開通を果たしていたならば、併行道路未整備という理由によって廃止、バス転換を逃れたのであろうか。

 しかしこの状況でも現実にバスは通っているのは今まで見てきた通りである。
   
 やがて国道は、名張川の本流を堰き止める比奈知ダムへと掛かる。

 この国道もダム建設による付け替え道路らしく、完全2車線が確保された立派な道となる。

 こんな所を走っていると、もし名張まで名松線が開通していれば、高規格な付け替え線路がダムの淵を幾つもの隧道を連ねて進み、その下には旧線がダムの底に…。

 なんて想像をしてしまう。
    ダムを過ぎると、国道は名張の市街地へ向けて一気に下る。

 ここまで来れば目的地はもうまもなくだ。
    やがて国道368号は近鉄大阪線沿いに三重県を縦断してきた国道165号に合流する。

 その先は全国チェーンの小売店が立ち並ぶ典型的な郊外の風景となる。
 
 ここまでの沿線には特に大きな町も無く、もし鉄道が開通していたとしても、現在の名松線の区間と同等かそれ以上に苦しい経営を強いられたであろう。