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伊賀側へ。
こちら側もそれ程の違いは無い
先ほどの画像には写っていないが
3.8mの制限バーは美里村側にも存在する。
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先ほども見た「道路開鑿紀念碑」
場所的に隧道完成を機に建てられたと思われ、美里村側のものよりずいぶんと立派なものである。
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さて、肝心の明治隧道だが、それらしき分岐はここの他になく、鳥居の先へGO
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ありまし…た。
赤い橋のすぐ先に9割方が埋もれた坑口を発見。
抜き取られた篇額は先ほど見たうちのどちらかの筈。
思わせぶりな開口具合だが、愛好者へのサービスの訳は無く、完全に埋めたものが自然に開いてしまったのであろう。
それとも誰かが掘り出したか。
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当然のように覗き込むと、これはダメそうである。
3m程で大量の土砂で閉塞している模様。 |
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あきらめきれずに狭い隙間に身をねじ込むとこの結末。
一見すると石の覆工が破れて土砂が流入しているように見えるが、自然にこのようになったのかは不明。 |
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冒頭に4代の道と書いたが、明治隧道以前の峰越えの道もハイキングコース程度には整備されているようで現在も通行可能の模様である。
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