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退避抗発見。
この隧道、結構長そうだ。
同サイズと思われる夏焼隧道の退避抗と比較すれば、1m程は泥に埋もれていると思われる。
コンクリートの色が変わっている部分はダム満水時に浸水するラインであろう。 |
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ここも閉塞。
入口から50m程で、コンクリートでガッチリ塞がれている。
前回のレポでも述べたが、夏焼側の抗口は地形が改変され現存しないようなので、本来の長さから考えてこのすぐ先が出口だった可能性が高そうだ。 |
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通風の関係か隧道内は奥へ進む程泥が生乾きに近い状態になっていて、独特のひび割れ模様を見せる入口付近と比べて、閉塞壁手前ではかつて底なし沼状態だった事を生々しく伝えている。
今でこそ普通に歩ける隧道内だが、水が引いた直後(秋位?)にはとても入れる状態ではなかったに違いない。
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はぼ中間地点から入口方向を振り返る。
廃止後60年かかってここまで積もった泥、しかしその深さは通常の満水時に近い程になり、このまま堆積が続けばいづれは通年浸水しないようになるに違いない。
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全く無表情で、扁額も無いポータル上部。
天龍川の刻んだ急峻な地形に苦しめられた上に、度重なる賃金未払いによる労働者のストライキなども重なり容易ではなかったという旧三信鉄道区間の建設。
そんな先人の苦労によって建設された鉄路の多くが、これもまた大変な難工事であったという佐久間ダムの竣工によって僅か30年足らずで放棄されるというのは全く皮肉なものである。
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降りる時は気付かなかったが、県道へ戻る途中でふと振り返ってみると、対岸とを結ぶ松沢橋梁が見えた。
ちょうど樹木の影になっているが対岸には前回入った第二難波隧道があるはずだ。
それにしてもこの水位の上昇ぶり、前回訪問時から僅か1ヶ月程しか経っていないが、軽く10mは上昇していて一見同じ場所とは思えない程だ。 (マウスオーバーで前回の状態を表示します)
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相変わらず見どころの多い、飯田線大嵐駅周辺。
今回は「宿題」を二つ片づけたが、飯田線の遺構は当然あの先も続いており、再び水位の下がる今年の冬以降再訪するつもりである。
写真は県道288ゲートすぐ脇にある滝、これも人工地形の可能性はあるが、廃モノばかり目立つこの地では心落ち着く風景である。
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