|
堂々とした銘盤
昭和28年(1953)
千葉懸建造
内示(昭和14年)二等橋
制作 ●●橋梁製作所 (判別できず)
この二等橋というのは9tまで通行可能な府県道橋という区分になるようだが、この道路は今でも林道である。
|
|
さて、これが奥米隧道。
立派な坑門と扁額を有するその造りは、素掘りが一般的な房総の林道隧道とは一線を画するもの。
坑門付近は覆工がなされているが、中央部分は素掘りのようだ。
長さは目算で100m程か。
しかしながら、これだけではなぜこの隧道が有名なのか知ることはできない。 |
|
扁額のアップ。
頭文字が欠落しているが、ここは「奥米隧道」で間違い無い。
「隧」の字が現在の一般的な表記と異なるが、よほど最近の扁額以外は殆どがこの字となっており間違いでは無い模様。 |
|
右に見えるにが今出てきた奥米隧道、では左は表題にもある奥米台隧道かというとそうではなく、こちらも奥米隧道である。
??な方もいるかもしれないが、左右の隧道は元々一本だったものが昭和40年台に崩れ、2本に分ける工事が行われ、現在に至るというのが真相なようだ。
確かに良く見れば君津側の立派な坑門に対して右の坑口はいかにも歪な形であるし、右の坑門も薄っぺらで取ってつけたようにも見え、さらに隧道高さだけの法面も違和感ありあり。
|
|
さて奥米隧道が本領?を発揮するのはこれから向かう鴨川側の方であり、長さもこちらの方が倍程ある上途中にはある特異点も…。
後付けのポータルを見ながらいよいよ内部へ。
|
|
奥米隧道第二ラウンド。
こちらも入ってすぐの所は覆工が為されているが、程なくして素掘りとなる。
途中でカーブしており出口は見渡せない。 |
|
100m足らずで左側に横穴が!
この画像ではスケール感が伝わらないが、高さは1m程しかなく這いつくばらないと奥を確認することは出来ない。
|
|
覗きこんでみると。
左側の外には三島湖がある筈で、水抜きの横穴とも思うが、現在ではゴミ混じりの泥で埋まっており、詳細は不明。
汚れてもいい服、手袋 ヘルメットがあればとも思うが…
ここは勘弁してください…。 |