国道336号「黄金道路」旧道群2007 中編
 黄金道路とは、日高襟裳国定公園を通過する、太平洋の怒涛と風化の激しい岸壁をさらした急崖に挟まれた、国道336号えりも町庶野〜広尾町広尾橋までの約30kmの区間の愛称である。

 この区間の開削は寛政10年に始まり、以降明治政府よる整備を経て昭和2年にはそれまでの山道から海岸ルートとして改良工事が行われ、昭和9年に完成した。
その後、断崖絶壁からの落石や雪崩によってたびたび通行止めとなるため、昭和42年から本格的な改築工事に着手し、昭和56年」に一次改築が完了した。

この区間は昔から難工事の連続で、黄金を敷き詰めるくらい多額の費用を要したという意味から、「黄金道路」と呼ばれている。  …北海道開発局「北へクリエート40」より

 現在でも改良工事は続いており、当然旧道遺構の宝庫でもある

 旧旧道

   前回の最終コマは重蔵隧道から続くルベシベツ第一覆道を出た先の旧旧道を望むといったものだが、まずは封鎖の先が気になるというもの。

 厳重な?封鎖の先はというと、ほんの僅かの距離で第一ルベシベツトンネルとなるがこの通りの封印。さすがに手が出ない。
 旧道はこれ以上進めないので、覆道外の旧旧道を行く。

 今立っている場所はまさに旧旧道があった場所だが、波による浸食で完全に路盤が消滅している。

 足元が削られて宙づり状態になっている建造物は先ほど見た第一ルベシベツトンネルの坑口延長部分だが、旧道落ちから2年しか経っていない2007年でこの状態。

 現在はどうなっているのだろうか。

 路肩のコンクリートの内側の練り石積み施工にも注目である。

 旧旧道を行く

 この部分は波と旧道覆道によって完全に道が消滅しているが、幸い海は穏やかで波打ち際を歩ける。

 前方には路盤が復活している様子がうかがえる。 
   削られた旧旧道から見上げて。 

 路盤は完全に消えているが、波打ち際には路肩の擁壁の残骸が天然のゴロタ石に混じって見受けられる。

 
 上陸

 ここは幸い大岩が天然の防波堤となり旧旧道路盤が健在。

 しかし浸食は現在進行形で進んでいる。

 初代黄金道路と思われる旧旧道の路盤は舗装された様子もなくダート路であったようだ。

 
   旧旧道の先には素掘り隧道。

 引いた画が無いのが惜しいが、旧旧道の路肩には見事な練り石積みの施工と駒止が健在である。

 さすがにこの先進む術はないので、自転車を置いた重蔵トンネル前まで戻る。
    来た道を振り返って。

 これが通行可能な旧旧道区間のすべてである。

 余談ではあるが、この高低差を行き来した際膝を痛めてしまい、その時は若干の違和感を感じた程度だったが、この先襟裳岬を廻った辺りから結構な痛みを感じるようになり、温泉や湿布の治療も功を奏さず、苫小牧までの200km近い道程をほぼ片足でペダルを回し進む事になったのである。
 
 しかも最終日には後輪の変速が不能となる自転車の故障も発生し(21段変速が3段変速に…)、景色と天気は素晴らしいもののなかなか辛い道程であった。

 このレポが8年も作成されなかったのはその辺りの事情もある。

 タニイソトンネル 

 現道のタニイソトンネルまで戻ってきた。

 タニイソとは日本語風の響きだが、アイヌ語由来の「タンネソ」という地名から来ているようだ。

 2005年竣工 全長2020mという長大トンネルである。
 
 内部は湿っぽい。

 前回も書いたが、交通量は少ない

 2000mを越える長大トンネルなど自転車ツーリングにとっては通常恐怖の対象でしかないが、ここまで空いていれば内部の観察をしながら全く快適に走れる。
 タニイソトンネルを抜けて振り返ると、すぐ海側に旧道が続いている。

 その名も「黄金トンネル」

 覆道状の建造物だが、奥の小さな岬を抜ける部分がトンネルとなっている。

 通行止めの表記もあるが、奥には番屋のような建物も見えゲートは開いている。
 
 位置関係としては先ほど前進を断念した旧道の第一ルベシベツトンネルまでの区間を逆から目指す形となる。
 黄金トンネルを抜けた所で振り返って。

 「黄金トンネル」とは、いうまでも無く黄金道路が由来だが、そういった知識も無ければ相当なインパクトのあるネーミングであり、現道に引き継がれなかったのは残念である。

 トンネル内の軽トラには高いウインチが積載されているが名産の昆布漁に使用するものらしい。
 

 ルベシベツ覆道

   その先はルベシベツ覆道。

 しかしこの通りの猫一匹通さないといった隙のない封鎖。

 もはやこれまでか…。
   
   しかも…
    上のコマの詳細は置いていて自転車とともに先へ。

 路上の堆積物は波によって海から運ばれたものか。
  こちらも旧道落ち後2年とあって路面はきれい。
    ルベシベツ覆道北側を振り返って。

 封鎖されていた南側と随分雰囲気が異なるが、それもそのはず、このルベシベツ覆道は1964年の初代の竣工から延長を重ね現在の姿となったようでこちら側は若干年期の入った感じ。
 間髪入れずに「ほしば覆道」

 「ほしば」とは昆布干場のことか。

 黄金トンネルに続いてアイヌ語由来の地名から離れた名称が逆に新鮮である。
   
 
 


 ほしば覆道

    ほしば覆道も比較的新しそうな内装だが、すでに路面には結構な陥没が。

 現役時代からのものかは不明だが、メンテナンスも行われない現在では状態も悪化していることであろう。
   500mを越えるほしば覆道の終点は、ほしばトンネル。

 おなじみの完全封鎖。 

 先ほど見たルベシベツ第一トンネルの反対側でないのは残念だが、この先を攻める術はない。

 この先には到達難易度が相当高そうな第二ルベシベツ覆道、そしてルベシベツ第一トンネル南側に至る200m程の区間が眠っている。
 覆道の外に目をやれば、波打ち際に小さな素掘り隧道発見。

 調べた所、これは明治時代に五郎右ェ門という人物が掘り抜いた初代海岸道路のものらしい。

 当然ながら近づく術は無し。

 五郎右ェ門氏関連の隧道は後にまた出てきます。
     記念撮影(笑)

 重いツーリング自転車をここまで連れてきた意味は運搬の手間を思えばほぼ無いに等しいが、トンネルのスケール感は感じていただけるであろうか。
    戻ります。

 波の音だけが響き渡る覆道内



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