岐阜県道352号大西瑞浪線と五月橋 (前編)   



 岐阜県瑞浪市北部の県道65号恵那観御嵩線(旧中山道)から分岐する県道352号大西瑞浪線。地図で見ると木曽川を渡って国道418号と接する少し手前で途切れ、点線表記になっている。

 その実態はいかに。

 分岐

2009年5月29日

 岐阜県瑞浪町の県道分岐地点。

 看板には八百津町方面2.5km先車両通行不能とあるが、隣の木製案内には「深沢峡徒歩60分」とある地図を見れば深沢峡は、目指す国道418号合流地点にあるようだ。
 (マウスオーバーで表示します)
 
 そのまま2km程進むと、律義に0.4km先、車両通行不能 とある。

 その他の文面は先ほど全く同一である。

 道はやや狭くなったが、この時点では特に通行に支障は無い。
 前コマのカーブを曲がると、山にぶつかるような感じで唐突に通行止め地点が現れる。


 車両通行不能 と赤で大書きされているが理由は示されていない。

 奥のチェーンゲートの先にも轍は続いているようだが…。
 何と 意注
 
 赤字が消えてしまってこうなったわけではないようで、単純なミスなのではあろうが、これを造って立てるまで誰も気付かないものだったのであろうか。
 
 それとも気づきなながらもそのまま立てたか…。
 チェーンゲートから50m程先に再びバリケードが設置されている。

 良く見る通行止めの看板だが、品の無い落書きがなされている。

 すぐ奥にはガードレール三段重ねのバリケードがあり、これで既に3つ目の封鎖である。

 しかしこれで終わりかというと…。

 通行は出来ません 

 3つ目の封鎖の先はというと、さすがに四輪の轍は目立たなくなるが、一応舗装は続いているようだ。


 剥き出しの法面は荒々しく、既に廃道の雰囲気だ。
 さらに100m程進むと、何と第四の封鎖が。

 3つ目より少ないガードレール2段だが、ベースは大きなコンクリート塊でどっしりとしている。

 良く見れば全体的に左に寄せられているような雰囲気で事実上バイクの通れる幅?が確保されている。

 容易に動かせるような雰囲気ではないが…。

 路上で見つけた古新聞。

 
 今日は2009年5月29日 僅か3日前である。

 そう、ここはあの国道418号と接続する、(愛好者の中では)メジャー県道(廃道?未成道?)探索する人は少なくない。
 バリケードのすぐ奥に、この看板。

 「この先落石及び道路狭少の為通行は出来ません
 連絡先多治見土木事務所」と先ほどとほぼ同じ文面であるが「車両」の文字が抜かれている。自転車や歩行者もダメなの?

 こちらはさすがに「意注」ではない。

 県道の真実

 看板の周辺は笹籔に覆われているが、その先はしっか踏み跡のついた登山道レベルの道になる。

 元はもう少し道幅が広かったのであろうあが、元車道といった感じでない。

 
 これは開通記念碑の類?

 ここを探索した際は恐らく裏までしっかり観察した筈であるが、写真は残っておらず何分1年半も前の事なので何が書いてあったか記憶にない。

 申し訳ありません。


 追記 これはどうやら「深沢峡記念碑」なるもののようです。
 ふと気になって路肩へ降りて見ると、古い城跡を思わせるような積み方は荒いものの立派な石垣。

 この道、結構な歴史がありそうだ。 
 九十九折れの下に謎のコンクリート建造物が。

 あれは一体…。


 この辺り道はやや荒れているが、自転車でなら一部乗車できる所もあり、古い道らしく勾配も緩やかだ。

 いさまつ

 その正体はというと、トイレというよりも便所。
 
 思い切り道に面していて唐突な印象だが、ここにある理由は除々に解るようになる。
 「便所」の100m程先には「いさまつ」と呼ばれるその筋の間では有名な廃屋がある。

 戸は一応閉じられているが、特に固定されている訳でもなく、ちょっとお邪魔させていただく。
 ここは、正面からみると平屋だが斜面に沿って建てられており、奥は2階建のようになっている。

 室内には雑多なものが残されており、かつては茶屋の類だったようだ。

 この新聞を始め、雑誌、年賀状など平成8年頃のものが多く残されているが、どうにもそんな最近まで営業していたとは思えない。

 だれか廃業後にここで暮したのであろうか。

 テーブルの上にはカセットコンロとやかんがありそんな想像を裏付ける。 

 この「表彰状」の日付は昭和56年で、そのころは確実にここも営業していたのであろう。

 かつては、このような店が成り立つほどの人がこの地を訪れたのならば先ほどの公衆便所も理解できるというもの。



 窓の外には美しい新緑を映す木曽川と目指す五月橋が。

 かつてはここを航行する遊覧船が存在したようで、その船着場もここにあり、「いさまつ」の客も船からあの五月橋を間近で眺めたのであろう。


第二回へ