飯田線旧線 夏焼隧道の横穴と
第三難波隧道(解明編)
   
 


 昭和30年の佐久間ダム完成による線路付け替えが行われた飯田線、中部天竜〜大嵐間。その大部分は湖底に沈んでいる。
 そんな中で、大嵐駅手前に位置する水没を逃れた夏焼隧道は道路に転用され、その長さと雰囲気から廃線界隈では非常に有名な存在である。
 その先にも当然旧線跡は続いており、数多くの廃隧道もあるはずだが、アプローチルートの県道288号が強烈な廃道の上に、ダムの渇水期しか顔を出さないとあって情報は少ないのが現実だ。

 2010年2月の探索では、夏焼隧道の掘り直しの実態と、第二難波隧道を調査することができたが、夏焼隧道の横穴と、手前の第三難波隧道の内部については時間的な制約もあり調べることができなかった。

 今回2010年3月の訪問はその二つの解明を目指す。

 再び夏焼隧道



 前回の宿題二つ「夏焼隧道の横穴の奥」と「第二難波隧道の内部」を片づけるため前回訪問時から約1カ月後の2010年3月中旬再び大嵐駅へとやってきた。

 今日は諸事情により自転車無しにつき、徒歩ですたすたと夏焼隧道へと向かう。



 既に通いなれた道と化しつつある夏焼隧道を進み、大嵐側から見て右側、235m地点にある横穴に到達。

 早速装備を整え、内部へ向かう。

 この先にあるのは一体…。


 ここまでは前回も来た所だが、既に述べた通り入口付近は非常に天井が低く、ザックを背負っている身ではほとんど四つん這いにならないと進むことは出来ない。

 最初からこのような構造で掘られたとは思えないので、これは後に埋めようとして土砂を盛ったものが、時間が経つにつれ下がってこのような状態になったと想像するが、果たして…。

 10mも進めば写真のように天井は高くなり普通に歩いて進めるようになる。足元にはレールや雑多な木材が散乱しているが、これは確実に昭和初期の夏焼トンネル掘削作業に由来するものと見ていいだろう。

 
 周囲に散乱する木材が見当たらなくなると、序々に水没が始まる。
 前回はここで引き返したが、今日は臆せずザブザブ行く。

 入口付近に沢山転がっていた、最近の物と思われるペットボトルなどのゴミもすっかり無くなりここまで来る人間はさすがに少ないようだ。

 周囲にはカビ臭い空気が停滞しており、この先の明るくない未来を暗示している。

 横穴へ



 まだ横穴に入ってから3分程しか経っていないが、既に振り返っても入口の明かりは見えない。

 水深は踝よりも少し上といった程度で大したことは無いが、3月といってトンネル地底湖の水はまだまだ冷たく、時々深く積もった泥に足を取られるところもあり楽でない。


 行く手はやや左にカーブしているがこの先は果たして…。

  
閉塞

 
予想通りというか、謎の横穴は入ってから50m程の所で閉塞していた。

 
妙に生々しい色の木材は支保工の残骸か。



 閉塞部分へズームアップ。
 
 ゴツゴツした岩石とその間を埋める細かい砂が隙間なく天井との間を埋めており、向こう側がどうなっているのかは全く窺い知ることは出来ない。

 状況を見る限り人工的な埋め戻しだとは思うが、自然崩落の可能性もあり、断言はできない。


 閉塞地点から入口方向を振り返る。

 暗闇の地底湖には天井からしたたり落ちる地下水滴の音
だけがこだましている。

 宿題一つ目終わり、さあ戻ろう。

 5分程で戻った夏焼隧道本坑はカビ臭い狭い横穴と比べてなんと快適なことか。

 濡れたウオーターシューズをペタペタいわせながら、次の宿題、第三難波隧道へ向かう。

 第三難波隧道




 さて、この穴がどこへ通じていて、なんの目的で掘られたのかということだが、地図を見る限り大嵐側235m付近からまっすぐ西側へ進めば天龍川へ注ぐ沢が刻んだ谷へと到達し、僅かな距離で外へ出られそうである。

 「鳳来町史」によれば、この昭和初期に三信鉄道が建設した区間では隧道を短期間で完成させる為に、両側からの他に中間地点からも横抗を掘って本坑の掘削を行い貫通を急いだという記述があり、これもそんな横抗かとも思うが、いかんせん入口に近すぎて工期短縮にはあまり役立ちそうも無い。

 それならば水抜きの為の横穴かとも思うが真相は果たして…。

 なお天龍川側の入り口の調査は行っていないが、埋もれている可能性が大だとは思うところである。

 ここも既になじみの場所になりつつある、県道288号通行止め地点だが、何度来ても「絵になる」場所だと思う。

 この日は日曜日ということもあるだろうが、昨今の廃道ブーム?を反映してか、ゲートのすぐ手前に地元ナンバーで無い車が停まっていた。

 またここで犬の散歩をしている夏焼集落の住人と思われる年配の女性に話を聞くことができたが、それによると
  
最近はこんな何も無い所なのに良く人が来る、昨日も4人来た。アンタは何しに来たの?(笑)
 あの白神(しらなみ)駅付近の大崩落だが、発生したのは2〜3年前でそれまでは一応佐久間側へ抜けられた。
 それからも山肌を巻いてチャレンジする人は多いが成功者は少ない。
 ダム完成以前は旧飯田線を使って通学しており、線路沿いに夏焼集落まで道があった
 今では滅多にないが、昭和35年頃にダムの水位上昇で夏焼隧道が水没したことがある。


 
以上のような情報が得られた


 しっかりと踏み跡付いた横長看板の下をくぐり、前回よりも確実春の気配が近づきつつある廃道を5分程歩いて、再びこの場所、第三難波隧道へ。

 これは前回の写真だが、この下は垂直に近い練石積みの擁壁になっており、やはりここから直接降りるのは無理がありそうだ。




 というわけで、隧道の真上まで移動。前回よりも相当に水位が上がっており、ちょっと怖い。

 ここから左側の斜面を斜めに降り、途中で方向転換して抗口に達したいが、ここも相当な急斜面。

 しかし落ち葉が落ち葉が厚く積もった上に手ごろな樹木も多く何とかなりそうだ。

 内部



 数分間の格闘の末、なんとか下降に成功。

 県道は遥か上だ。

 でも登り返せるの?



 振り返れば隧道は目の前。

 コンクリートの飾りっ気のない抗口は今まで通りだが、廃止後60年経ても特に損傷は見られず、現役でも通用しそうな状態だ。

 天井から下がった一本の紐が否応なしに目立ち、あまりいい感じではないが、掛けられているのはとても普通には手の届く場所ではなく、何かの調査の為と思いたい所だ。

 下を見下ろせば、ダムの水面は既に間近に迫っている。

 前回(2月上旬)に来た時よりも確実に水位が上がっており、夏までには隧道内も浸水するのであろう。

 水面に反射する西日が眩しい。


 早速内部へ。
  
 コンクリートの隙間から発生した染みが不気味だ。

 厚く泥の積もった地面に恐る恐る足を乗せてみたが、幸い殆ど乾いているようで普通に歩くことができる。

 出口の明かりは見えず、はとんど風の流れも感じられないが…。
 

 その結末



退避抗発見。

 この隧道、結構長そうだ。

 同サイズと思われる夏焼隧道の退避抗と比較すれば、1m程は泥に埋もれていると思われる。

 コンクリートの色が変わっている部分はダム満水時に浸水するラインであろう。


 ここも閉塞。



 入口から50m程で、コンクリートでガッチリ塞がれている。
 前回のレポでも述べたが、夏焼側の抗口は地形が改変され現存しないようなので、本来の長さから考えてこのすぐ先が出口だった可能性が高そうだ。


 通風の関係か隧道内は奥へ進む程泥が生乾きに近い状態になっていて、独特のひび割れ模様を見せる入口付近と比べて、閉塞壁手前ではかつて底なし沼状態だった事を生々しく伝えている。

 今でこそ普通に歩ける隧道内だが、水が引いた直後(秋位?)にはとても入れる状態ではなかったに違いない。



はぼ中間地点から入口方向を振り返る。

 廃止後60年かかってここまで積もった泥、しかしその深さは通常の満水時に近い程になり、このまま堆積が続けばいづれは通年浸水しないようになるに違いない。



全く無表情で、扁額も無いポータル上部。

 天龍川の刻んだ急峻な地形に苦しめられた上に、度重なる賃金未払いによる労働者のストライキなども重なり容易ではなかったという旧三信鉄道区間の建設。

 そんな先人の苦労によって建設された鉄路の多くが、これもまた大変な難工事であったという佐久間ダムの竣工によって僅か30年足らずで放棄されるというのは全く皮肉なものである。

 降りる時は気付かなかったが、県道へ戻る途中でふと振り返ってみると、対岸とを結ぶ松沢橋梁が見えた。

 ちょうど樹木の影になっているが対岸には前回入った第二難波隧道があるはずだ。

 それにしてもこの水位の上昇ぶり、前回訪問時から僅か1ヶ月程しか経っていないが、軽く10mは上昇していて一見同じ場所とは思えない程だ。 (マウスオーバーで前回の状態を表示します)


 相変わらず見どころの多い、飯田線大嵐駅周辺。

 今回は「宿題」を二つ片づけたが、飯田線の遺構は当然あの先も続いており、再び水位の下がる今年の冬以降再訪するつもりである。


 写真は県道288ゲートすぐ脇にある滝、これも人工地形の可能性はあるが、廃モノばかり目立つこの地では心落ち着く風景である。