|
1140m地点?で見つけたコンクリートの継ぎ目。
確証はもてないが、手前側が旧飯田線時代のコンクリート、奥側が道路転用後のかさ上げに際しての巻きなおしによるものと思われる。
人為的なものと思われる穴はコンクリートの状態調査用であろうか。
|
|
先に目をやれば、出口はもう目の前だ。
入口の抗口の形状とは明らかに異なっており、天井の低いきわめて一般的な道路隧道になっている。
この辺りでは既にオリジナルの夏焼隧道としては失われ、内壁はすべて道路転用後のものだとと思われる。
|
|
夏焼隧道(夏焼第二隧道)今までに述べたように、この抗口は飯田線由来のものではなく、道路転用後に造り直された物である。
手前のコンクリート塊が旧夏焼隧道の抗門の一部とされているが、ここから現抗口までの距離が、夏焼隧道1238mと夏焼第二隧道1233mとの差5mに当たるということか。 |
|
が旧夏焼隧道のポータルの一部であるならば、正面から見て右上とそれを支える擁壁の部分と思われ、この下には残りの部分が埋まっているはずだ。
横には荒く積まれた石垣が見えるが、このかつて三信鉄道が建設した区間には、現地で調達できる材料を使用して築いたこのような石垣も用いられているようなので、これも旧飯田線に関連したものと見てよいだろう。
正面に天竜川のほとんど動きのない水面を見て、右へ登ってゆけば夏焼集落である。
いまでこそ夏焼隧道を越えて容易に大嵐駅や、旧富山村の中心部へ到達できるこの場所だが、ダム完成前の旧飯田線時代は相当に下界から隔絶された場所だったに違いない。 |
|
掘り直しの状況を簡単に図にするとこんな感じか。
赤線と黒線の長さの差が新旧夏焼隧道の延長の差にあたる筈である。
|
|
そして左へ進むとこの場所に出る。
既に過去何度も訪れた事のある場所だが、荒廃した県道288号の廃道がバリケードの向こうに延々と続いている風景のインパクトは薄れない。
今日は既に夕暮れも近いが、時間の許す限り県道下にある筈の旧飯田線の遺構を見てゆくつもりだ。
追記
後日ここを再訪した際に夏焼集落に住む年配の女性に話を聞くことができた。
それによれば昭和30年の佐久間ダム完成前の旧飯田線時代には、この先の白神「しらなみ」駅から集落へと続く道があり、そこを通って通学したという。
今では湖底の泥の中に埋もれた駅からの道程は相当な距離と高低差があり、大変な苦労があったであろう。
|
|
飯田線旧線レポートへ
|
|
県道288号レポートへ
|