|
やはり見落としていていた。
第二難波隧道から100m程戻った地点で隧道発見。
これが第三難波隧道であろう。旧線はこの先現在道路に転用されている「夏焼隧道」「栃ヶ岳隧道」をへて大嵐駅に至るルートをとっていた。
しかしここから直接降りるのはちょっと自分の実力では無理そうだ。
|
|
。
廃道入口のゲートの100m程先にある小屋の裏手に踏み跡があり、ここが先ほど第三難波隧道から見た松沢橋梁の橋脚の辺りに続いているようだ。
斜面は相当急だが、なんとか降りてみる。
|
|
。
下に見えるのは淀んだ色の水面で結構怖い場面だが、斜面に生える木に掴まりながら、最後は残されていた怪しげなトラロープの助けも借りてゆっくり降りてゆく。
こんな所でも来る人はやはりいるようだ。
|
|
なんとか旧線と同レベルまで降りて見えたのがこの風景。
松沢橋梁を挟んで先ほど顔を出した第三難波隧道の夏焼側抗口が見える。
それにしてもこの水位の下がり方。斜面が白くなっている所がダムの満水位だとすれば、今日は軽く20mは低くなっているように思える。
|
|
抗口へズームアップ。
ほんの15分前にいた場所だが、一歩も外に出ることの出来ないクリティカルさがお解りいただけるであろう。
存在したはずのコンクリートポータルは全く失われているが、右下の四角いコンクリート塊はその一部であろうか。
さて、振り返れば第三難波隧道は目の前のはず…。
2010年3月 第三難波隧道 探索しました
|
|
だったのだが、ここからさらに急斜面をトラバースしなければ到達できない場所へ降りたようだ。
写真無しで申し訳ないが、ちょっと実力以上な感じだったので無理しなかった。
いづれ再訪して別ルートを探すかは検討中である。
なお、第三難波隧道の夏焼側抗口は崩落で埋もれ現存しないようだ。
写真は廃道入口から見える、飯田線の旧線時代から現在に至るまでこの場所を見下ろしてきた夏焼集落。
このような山深い地でも人々の暮らしはしっかりと営まれている。
|