旧佐和山隧道と佐和山遊園


  近畿と北陸を結ぶ国道8号の序盤、琵琶湖にほど近い彦根市内に大正期の煉瓦隧道が眠るという。
  それほどアクセスの難しい場所では無いようなので、2009年11月18日鈴鹿の山の帰りに立ち寄った。併せてすぐ近くにある「佐和山遊園」についてもレポートする。
 

佐和山トンネル





 彦根市内の国道8号にある佐和山トンネル。
 
 幹線国道らしく多くの車が行きかうこのトンネルだが、傍らにはひっそりと旧隧道が眠っている。





















 彦根市側から見て左側に歩行者用の小さなトンネルがあるが、これは旧隧道由来のものではなく、近年新たに掘られたもので通学の学生などで結構な利用がある。

 ポータルのデザインは現道のものを真似たのであろうか。
















 




傍らにはこの歩行者用トンネルの謂われを示す碑があり、正式名称が「佐和山自歩道トンネル」で平成6年に竣工した事やレリーフの由来などなどがわかる。

 自歩道の「自」は自転車のことのようだ。
















 さて旧隧道だが、歩道トンネルの脇の道が旧国道だが、先には空き家が一軒と閉鎖された公園があるだけで、現状通行止になっている。

 空き家の先で舗装は切れ、路面はダートに替わる。













旧道へ






 旧道は昼間でも薄暗い竹林の中を進むが、すぐに廃車が列をなす地点に出る。

 この廃車は1台や2台ではなく合計で5〜6台はありそうで、いずれもかなりの年代ものに見え陰鬱な雰囲気に拍車をかけている。


















 不気味な廃車ばかりが目につくこの辺りだが、道端に目をやればしっかりとした石垣が残っており、ここが昭和20年代まで現役だった旧国道だということを再認識させられる。

 しかし路面は天気に関わらずひどいぬかるみ状態で、この写真を撮影している間も靴がズブズフと埋まっていく有様だ。




















 旧道に入ってから5分としない内にお目当ての旧佐和山隧道に到達する。
 
 大正13年竣工という石と煉瓦で造られた立派なポータルだが、半分土砂に埋もれ一種異様な雰囲気を漂わせている。
 
 自転車を何となく連れてきているが、抜けられる見込みが無いことは確定している。
















 最後の「門」以外は自力では全く読めない扁額だが「容玄妙門」と書かれているらしい。
 
 苔の付いた煉瓦と石のポータルだが、よく見れば実に丁寧に積まれているのが分かる。











旧佐和山隧道





 さて総煉瓦巻きの内部はというと、入口から10m程入った所で完全に水没しており、先に進むことは出来ない。
 
 この先はしばらく水没が続いた後、反対側抗口の所で閉塞しているとの事。










 








 水没地点から入口方向を望む。

 大量の土砂が堆積し、水没の原因になっている事が分かる。洞内に残された空間は天井に手が届く程しかなく、水深はかなり深そうだ。

 ちなみに反対側の坑口はというと、前述の通り埋められており扁額より上の部分のみ地上に存在するという。アクセスするにはこちら側から山を越えていくしかないようだが、今日は既に日没近く時間もない。
















            以上で旧佐和山隧道のレポは終了です。 ここからは佐和山遊園のレポが始まります。
            B級スポットに興味の無い方はここまでで。













 


 国道8号の佐和山隧道の100m程手前、山の斜面に建つ数々の奇妙な建物はここを通る人なら一度は目にしていて、また気になる存在だったであろう。

 立派な看板には佐和山遊園とあるが…。

















 その最たるものがこの金閣寺?であろう。

 西日を浴びれば写真のように輝き、遠く東海道線の車窓からもその姿を確認することができる。

 是非その姿を間近で見てみたいではないか。


佐和山遊園




 

先ほど見た城への大手門は閉まっていたが、隣の門は開いていた。

 またここには写っていないが、「ご自由にお入りください」的なことも書かれており、気兼ねなく入ることができる。。
 
 この佐和山遊園は「財団法人 佐和山三成会」によって運営されているようだが、この財団法人はいまでもきちんと存続しているようだ。














 



この佐和山遊園は地元の実業家の泉氏という方が、1970年代に石田三成に関するテーマパークとして建てたものだが、正式にはオープン出来ないまま今に至り、その後も建て増しが続けられたもののようだ。

 国道に面する門を入ると城下町入口とある山門に至る。

 辺りの廃れた雰囲気と比べて真新しい雰囲気さえ漂う建物だが、それもそのはずこれは2003年頃に竣工したようだ。















 瑞岳寺 鐘楼とある。

 中は作業場になっているようだが、これも先ほどの山門と同様に21世紀になってから建てられた建築物である。

















 


 どう見ても水平状態に無い仏像群を横目に見ながら金閣寺への通路を進む。 この仏像も最近の「作品」と思われるが…。

 奥に見えるのは墓地である。












金閣寺





 

 山門から仏像通路にかけては近年整備されたエリアだが、高台にある金閣寺へ登る通路からはぐっと年月を経ており、足元も悪い。

 そしてこの金閣寺。金色の板の上に透明のアクリル板が貼り付けられた構造になっているが、遠くから見た時の輝きと比べて間近で見ればさすがに経年は隠せない所だ。














 

 金閣寺全景と言いたいところだが、手前の樹木が繁茂してなかなかいいショットが納められない。

 正面には仏像が三体納められているが、いずれも個性的なポーズをとっている。その奥には豪華な茶室が…あるかどうかは定かではないところだ。

















 金閣寺からは、奥の通路を通っていよいよ天守閣へと向かう。この辺りのコンクリート階段は全体的に手前側に傾斜しており、非常に状態が悪い。簡単な応急処置こそ見られるが、根本的な修繕が行われるとは思えず危険度は増している。
 上の通路の強度も怪しい所だ。

 階段横の函はというと、つい最近まで「石田三成公一代記絵巻」なる絵が納められていたようだが、いまではすっかり姿を消している。

















 そして天守閣に到達。

 正面から見た印象は妙に横長な感じで、まがい物のイメージは逃れられない。
 気になる内部はというと[佐和山第二美術館]という看板が掛かっていたが、しっかりと施錠されており、内部の様子をうかがい知ることは出来ない。
佐和山城と彦根城






 先ほどまがい物と書いたばかりだが、この斜めから見た感じは細部の仕上げも丁寧で結構立派なものだと思う。ただ石垣はハリボテ風だが。

 下の隙間から中をのぞき込んだが、どうにもがらんどうに見えた。ちなみにこの佐和山城は昭和50年代後半の竣工とのこと。
















 

 


天守閣から下へ降りてゆくと、最初に入れなかった大手門の裏側に出る。古めかしい回転式の扉と入場料300円の表記があるが、料金を実際徴収したことがあるのかは不明だ。
 

















 そこから入り口方面へ戻っていくと「城主」の泉氏の自宅と開かずの「佐和山美術館」に至る。
 
国道に面した側には入場料1000円や開館日を示した案内もあるのだが、実際中に入れたいう話は聞かない。
 
 ガラス越しに確認した限りではいままで見てきたような自作の個性的な作品が展示されているようだ


 バイオリンを弾く少女?はいかにも場違いな感じで不思議だ。













 

 近年まで建て増しが続けられていたこの佐和山城だが、鐘楼の完成でひと段落付いたのか、特に建築中の部分は見当たらなかった。

 しかし城主はいまだ健在なようなので、新たなる展開を見せる可能性も充分に残されていると思われる。
















 最上階から佐和山城を見ることもできる、築城400年を誇る国宝彦根城。

 国宝として最上級のメンテナンスがされている結果、ご覧のように常に白く美しい姿を保っている。
 
 しかし自分としては佐和山城の方にも惹かれるものがあることは言うまでもない。