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  高瀬橋対岸への道 第三回 (長野県) 




 飯田線随一の「秘境駅」小和田駅の西方にある高瀬橋。
 天竜川の支流、河内川を渡り一つ先の中井侍駅方面へと続く規模の大きな吊り橋であったが、相当前に落橋し渡る事はできない。
 小和田駅周辺の大きな見所の一つであり、ネット上のレポートも数多いが、対岸の中井侍駅側の現状に関する情報は多くない。

 落橋と水路

 落橋地点を越えて。

 踏み跡は画面左の谷側から回り込むように付けられていたが、山側からよじ登るのも充分に可能だった。

 すぐ先のこの地点。

 わかりにくい画像で申し訳ないが、山側の砂防ダムから流れ出した水が水路のようになって道路を横断している。

 当然橋はなくここを渡らなくては先には進めない。
 水深はごく僅かで、靴を濡らす心配はなさそうだが問題は別にあった。

 ご覧の日当たりの良さ故か、一歩足を踏み出しただけでも苔でヌルヌルしグリップが効かないうえ、水路なので結構な角度で谷側に傾斜している。
 そしてその先は、3m程の段差を経て天竜川へ。

 まあ失敗したからといって、ウォータースライダーのように滑り落ちることはないだろうが、こんな所で転倒して濡れるのは遠慮したい所。
  それでも意を決して渡り始める。

 いきなりツルンといきそうな一歩目が怖かったが、慎重に進んでなんとか転倒せず渡り切った。

 碍子

 山側には飯田線の鉄橋が。

 この場所は良く目をこらしていれば列車からでも確認できるが、両側に道があるとは到底思えない。
 
 水路を越えても、道の様子に特段の変化は無く踏み跡と、時折見かける赤テープの誘導は続いている。

 この辺りには空き缶などのゴミも見かけるが、どれも最近のものではないようだ。
 道端に転がる碍子。

 見つけたのはこれが初めてではなく、この道と飯田線の保線作業との関連を証拠づけるものといえるか。

 しかし保線の作業員は碍子を放置したりするものなのであろうか。
 再び碍子。
 
 偶然写りこんだつま先からそのサイズが想像できるであろうか。
 
 1962‐2 と印字されており結構な年代物のようだが、特に欠けたりしている様子もなく、そのまま使用できそうだ。

 見つけた碍子はこの二つだけではなく、廃線でもない飯田線近辺でなぜこれほど落ちているのかはやはり謎である。

 到達 

 手元のGPSで確認する限り、高瀬橋までは100m程。
、クライマックスはもうまもなくだ。

 この辺りも竹が多く、かつての人々の営みが感じられる。
 14時57分 高瀬橋対岸に到達。

 渡れないことが確実なこの橋だが、ここまで来れたことは感慨深い。

 今から2年前、小和田側の対岸を訪れた時はここへ来れるとは思わなかった。

 
 力強く刻まれた「高瀬橋」

 小和田側は「たかせはし」と刻まれていたはずで、一般的な構成になっている。
 昭和32年10月竣工。

 佐久間ダムの完成より後の竣工というのは意外だが、その頃はまだ周辺に集落があったのであろうか。
 こちら側も踏み板は無く、一歩も進むことは出来ない。

 こういった橋でも、一応管理者はいるはずで「危険」「立入禁止」等の看板がありそうなものだが、ここにはトラロープ一本すらなく、自然にまかされた感じだ。

 
 ズームで撮影。

 良く見れば、中央部分には踏み板の残骸が残されているようである。

 先ほど自然にまかされていると書いたばかりではあるが、岸側の踏み板がないのは安全(無謀なチャレンジャー阻止?)のために人為的に落とされたのかもしれない。 

 そして

 これは、2009年8月撮影の小和田側の様子。

 塩沢集落への道から一軒だけ残る民家の前で分岐した先にあるが、道もそれ程荒れておらず比較的訪れやすい場所にある。

 なお。こちら側には一応柵の残骸があった。
 
 小和田側から眺めた橋の様子。

 こちら側は比較的見通しが利き、中井侍側の主塔も確認できる。

 やはり中央部分のみ踏み板が残されており、岸側の踏み板撤去が真実味を帯びてくる。
 塩沢集落へと続く道の途中から眺めた高瀬橋の全景。

 垂れ下がった木材のインパクトがなかなかだが、2年以上経過した今では、さらに荒廃が進んでいるのであろう。
 ここからは再び中井侍側になります。

 斜面に設置された4本のワイヤーを支えるアンカー。
 見た通り、高瀬橋は幅も2m以上は確実にあり、側の道の規模からも歩行者専用とは思えず郵便バイクや当時のオート三輪くらいは通ったものと思われる。
   主塔越しにみるワイヤー達。
 
 渡る人がいなくなってから相当な月日が流れたこの高瀬橋だが、今日もワイヤーはピンと張りつめて対岸との間を結んでいる。
   さて、いままで続いてきた保線の関連と思われた踏み跡はどうなったのかというと、山側の旧斜面を登っているが、25000分の1地図で確認すると点線道が天竜川林道へと通じており、単なる作業道というわけでもなさそうだが、ここへ踏みこむ時間も意義もなさそうだ。

  完