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これは、2009年8月撮影の小和田側の様子。
塩沢集落への道から一軒だけ残る民家の前で分岐した先にあるが、道もそれ程荒れておらず比較的訪れやすい場所にある。
なお。こちら側には一応柵の残骸があった。
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小和田側から眺めた橋の様子。
こちら側は比較的見通しが利き、中井侍側の主塔も確認できる。
やはり中央部分のみ踏み板が残されており、岸側の踏み板撤去が真実味を帯びてくる。 |
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塩沢集落へと続く道の途中から眺めた高瀬橋の全景。
垂れ下がった木材のインパクトがなかなかだが、2年以上経過した今では、さらに荒廃が進んでいるのであろう。 |
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ここからは再び中井侍側になります。
斜面に設置された4本のワイヤーを支えるアンカー。
見た通り、高瀬橋は幅も2m以上は確実にあり、側の道の規模からも歩行者専用とは思えず郵便バイクや当時のオート三輪くらいは通ったものと思われる。 |
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主塔越しにみるワイヤー達。
渡る人がいなくなってから相当な月日が流れたこの高瀬橋だが、今日もワイヤーはピンと張りつめて対岸との間を結んでいる。 |
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さて、いままで続いてきた保線の関連と思われた踏み跡はどうなったのかというと、山側の旧斜面を登っているが、25000分の1地図で確認すると点線道が天竜川林道へと通じており、単なる作業道というわけでもなさそうだが、ここへ踏みこむ時間も意義もなさそうだ。
完
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