東海道本線旧線(根府川〜真鶴間)中編
 東海道本線根府川〜真鶴間。
 東京を出た東海道本線がそれまでの平穏な都市と郊外の風景から一変して断崖と一面の太平洋の景色に変わる印象深いこの区間だが、1972年にルートの変更が行われ3本の隧道を含む旧線区間が山中に眠るという。

 長坂山隧道

長坂山隧道正面


まっすぐ先に出口の明かりが見えるが、脱出が叶わないのは見てきた通り。

 さてこの隧道なかなかの曰くつきであり、数年前に
 白骨死体が発見される事件があったという。

 よくある真偽不明の噂ではなくしっかりと報道された事実として。

 心理的な抵抗は当然あるが、ここまで来て入らないという選択もない。  
 複線断面の広々とした内部は、並みの道路隧道でもないほどの大空間に感じられ、逆に恐怖感を増幅する。

  隧道内は資材置き場として使われているようで枕木などが置かれている。

 また路面が車両の通行に適した状態に整備されているのは幸いである。
 枕木ゾーンを過ぎると洞内のスぺースを半分近く占有するほどの大きなブロックが連続で置かれており、通常ならば、どのような用途のものか観察したいところだが、心理的な抵抗感がそれを許さず、ただただ前へと進む。
   やがてブロックはなくなり、その基礎?だけが転々と続くようになる。

 フラッシュを使用せず撮影した画像だが、実際の感覚はさらに暗いもの。

 その内部 

 上の場所フラッシュ撮影するとこのような感じ。

 架線吊りは入口から等間隔にそのまま残されている。
 入洞から12分でようやく出口が近づく。

 普段ならホッとするところだが、脱出不能が確定している状況では、まだ折り返し地点が近づいたところに過ぎない。
 数時間前に見た、小田原側出口の光。
 外から見られるのも良いものではなくすぐに外界に背を向けUターンして復路に挑む。
 復路は撮影もせず一目散に出口を目指し、10分足らずで脱出。

 歴史ある貴重な廃隧道であるが、このような曰くつきの状況では、探索を楽しむという気には到底なれなかった。
 

 緑の廃線跡

   ここから先は、やはり終点での折り返しが確定しているとはいえ、若干気も楽。

 長坂山隧道に背を向け、国府津側へと進む。


 一見すると廃線跡には見えない竹林の中の道だが、しっかりと複線分の路盤が今も残る。
   竹林に呑み込まれつつある架線柱。

 レールは当然として、倒壊の危険もありそうな架線柱は撤去の対象となりそうなものだが、このように残されているのは不思議である。
  程なくして次の八本松隧道へ。

 土かぶりの少なそうな小隧道だが、長坂山隧道と同じく石積みのアーチが見事。
     50m程の洞内は資材もなくすっきりとしている。

 ようやく心理的な余裕も出来、往年の名列車たちが昼夜駆け抜けた歴史に思いを馳せることが出来た。
 
 


 八本松隧道

    国府津側出口付近は、今までと若干雰囲気が違い、コンクリートブロック積みではなく、矢板の跡もくっきりと残る覆工がなされている。
    国府津側ポータルは、内部の様子からも予想されたとおり、石積みでは無く一般的なコンクリート坑門はなっている。

 これは関東大震災で崩れた坑門を再生したもののようで、補修を受けた区間がこの画像でもくっきりと解る。

 
   八本松隧道を抜けると、いよいよ東海道本線でも屈指を誇ると言われた区間に入るが、日当たりの関係か藪も深い。

 クライマックスはもうまもなくだ。


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