飯田線旧線(中井侍〜平岡)2

  愛知県の豊橋駅と長野県の辰野駅間約200kmを結ぶ長大なローカル線飯田線。その南側は天竜川沿いの断崖に沿って進む険しく風光明媚な区間を通過することになるが、そこのはダム建設による線路付け替え等で多くの旧線区間がある。JTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩くT]」にはその中でも中井侍〜伊那小沢 平岡〜為栗間については記述があるが、昭和57年に切り替えられたその中間の鶯巣〜平岡間については他と比べてあまり年月を経ていない為か全く述べられていない。
 しかし少し調べてみると、この区間にも隧道、橋梁を含む多くの遺構が残存している模様である。他の区間と比べれば歴史は浅いとはいえ、約30年の時を経た現地の状況は気になる所ではある。

焼山隧道







 鶯巣駅を出て第一北沢橋梁を渡り、現在線と別れた旧線はいよいよ隧道多発地帯に入る。情報によればこの鶯巣〜平岡間には天竜川沿いに7個所の隧道が現存しているようだ。概略は図の通りである。
 しかしその険しさ故の落石の危険性から廃止された区間だけに、いずれもそう容易に接近できるかは未知数である。


















 短い橋梁を渡っても、すぐに隧道に入るわけではなく線路は崖っぷちをそのまま進んでいる。
 日当たりのせいかそれほど藪にはなっていないが生えている木は結構太く、列車が来なくなってからの月日を感じさせる。
 本来のレールのほかにもレールらしきものが散乱しているのが見受けられるが半分土に埋もれており、管理されている感じではない。橋梁部分の取り外されたレールであろうか?

















 先ほど渡った橋梁を振り返ると、見ての通り日当たり良好で大変な藪に覆われている。
 この状態を見たならばこちらからはどうにも渡る気にはなれなかったかもしれない。



















 これが1番目の隧道、焼山隧道である。
 それほど長そうな雰囲気は無く、正面に生えた木が印象的だ。
 樹木と重なり見ずらいが出口が見えており、漏水しているのかこの暑い日でも内部は湿っているように見える。









 









 内部はバラストと敷かれたままのレールが残り、一見きれいな状態を保っているようにも見えるが、よく見ると内壁には多数のヒビが入り剥がれかかった所も見受けられ、かなり強度は落ちているようだ。
 長さはそれほどでもないが、中央部ではライトがないと足元が不安だ。


音無沢橋梁
 


 





 平岡側へ抜けて見ると、鶯巣側以上に樹木が茂っており、隧道にピントの合った写真が撮れない程だ。
 こちら側はプレートが残っていて、焼山ずい道 延長42? と書かれているのが現地では読み取れた。
 またこの画像では確認できないがプレートの上の黄枠に白色がペンキで塗られた部分には92と書かれている。
















 焼山隧道の先は切通しが続いており昼間でも薄暗い状態だ。お陰で下草も生えないようだが、上の画像にもある杉?の木はまるでこの場所に植林されたかのように見事に真っ直ぐ育っている。
 他にも数本の樹木が見受けられるがいずれも結構太く、しっかりとしたレールやバラストとの対比がアンバランスで不思議な雰囲気を醸し出している。


















 その先はというと、再び橋梁になっている。これが音無沢橋梁であろう。
 しかし今までとは様子が違い、保線用通路の部分も渡り板がすっかり撤去されており、スカスカだ。
 枕木はそのまま残っているので渡るのが全く不可能ではなさそうである。少なくともここよりは安全かと…。
 しかしそこまで命知らずではないし、充分に迂回可能だと思われるので一旦前進は中止して、ルートを探す。

















 少し下ってみると、音無沢橋梁の構造が見えてくる。廃レールらしき材料で作られた通路は線路と平行に取り付けられており、最初の第一北沢橋梁とは構造が違う。  
 杉の木が一本突き抜けているが、偶然にも橋梁と干渉せずにまっすぐ伸びている。しかしこれ以上太くなれば鋼材に食い込んでいきそうだ。


一時撤退

 







 さらに下ると、人が入った形跡がある踏み跡と発見した。ここから国道に復帰できそうである。路肩のポールらしき物は何であろうか?





















見上げてみると、樹木に隠れてよく確認できなかったこの音無沢橋梁が結構高かったことがわかる。
 無理に渡って万が一足を滑らせたらタダでは済まなかったであろう。






















 途中までは平坦だった道?も直接国道にはつながっておらず、最後は杉林の斜面を無理やり滑り落ちるようにして国道へと復帰した。
 さてここから先だが、最初の橋梁の所へ自転車を置いてきているので、そのまま先へ進む事はできない。
 徒歩でてくてくと戻ったが、実際にはほんの100m程しか進んでおらず呆気ないほどあっという間だった。















 再び交通の邪魔にならないようなところへ自転車を置き、渡れなかった橋梁の対岸へアプローチできるルートを探す。
 しかし真っ直ぐには登ることは出来ず、途中で見つけた踏み跡を辿って平岡方面へと進んで行くとそこは…。


第二藤沢隧道






 先ほど通った焼山隧道から二つ先の、第二藤沢隧道の平岡側に出たのだった。
 上の画像にも写っている鉄道防備林の柱の隣には「東海旅客鉄道株式会社」と入った看板もあり現在線が線路切り替えによって地中に潜った後も、この鉄道防備林が管理されていることが伺える。
 隧道は土被りが少なそうで入口部分の古レールを使用したような保支工が目につく。
















 進行方向は逆になるが、当然通り過ぎてしまった第一藤沢隧道と音無沢橋梁の平岡側が気になるので少しの間鶯巣方向へ逆行することになる。
 さて第二藤沢隧道の内部はというと、相変わらずバラストとレールが残存しているが、内壁の状態は良くないようで漏水とヒビ割れが多発している。






















 第二藤沢隧道を抜けると、再び橋梁にかかる。これが藤沢橋梁であろう。
ここもやはりレールはなく木製の枕木だけが乗っているが音無沢橋梁と違い保線用通路はしっかりと残っており渡って先へ進むことが可能そうだ。





 












 ここも国道からかなり良く見えるので、目立たないようにさっさと渡ってしまうことを心掛けた。
 渡り切ってから振り返ってみるとこの通り結構長い。それよりも枕木の間を突き抜けて伸びるこの太い木である。線路切り替えから30年も経っていない中でのこの成長ぶりは驚異的だと思うがどうだろうか?


 

                                  第三回へ