水根線(小河内線)跡(氷川〜水根)第二回


 前回は、老朽化したガーター橋の手前で前進を断念した水根線探索だが、その先の景色を確かめるべく調査を行った。
  その結果、全線で隧道が23箇所存在すること、各隧道には御影石製の銘板が取り付けられていること、テレビ企画で路線の一部分に列車が走った事があること、あの先には更に長いガーター橋が存在すること、ダム手前の一部区間は遊歩道として使われている事等、様々な事実が明らかになったが、全線に渡る詳細なレポートは見つからず全線踏破が可能かどうかの確信は持てずにいた。前回の探索から4日後の10月19日、再調査の為再び奥多摩へと向かった。この日は前回と同様に天気も良く快適な気候で、さらに平日でハイキング客も少なく探索には最適な日だと思われた。
当初の予定では、奥多摩まで輪行の後自転車で小河内ダムまで向かい、自転車を適当な場所に置いてからバスで再び奥多摩駅まで戻って探索を開始する予定だったが(こうすれば廃線探索終了後に他場所へ行くのが容易である上に、帰りには青梅街道からの廃線跡の様子を撮影できる。)どうにも出発が遅くなってしまい、ラッシュ時の輪行は困難でもあるので、徒歩のみの探索に切り替えた。


E誤算








 
ハイキング客で溢れていた4日前とは違い、今日の奥多摩駅前は比較的静かである。前回は奥多摩工業の構内を出た所で大きなΩカーブを描く廃線跡を忠実に辿ったが、今日はまず「奥多摩むかし道」経由で第三氷川隧道を抜けた地点に出る事にした。
 
 なお、この立派な山小屋風建築の奥多摩駅だが、二階はリニューアルされて、手打ちそばを楽しめる食堂とギャラリーとして使われている。














 

 途中東京都最西端コンビニ(本当?)などもある青梅街道を歩き、「むかしみち」に続く急坂を登るとレールが現れた。
 
 今日は前回とは逆に、まずは奥多摩駅方面へ戻る方向へ進み第二氷川隧道を確認し、通り抜けが叶えばコンクリートアーチ橋の袂まで行ってみたい。










 







 内部がややカーブしている第三氷川隧道へと足を踏み入れると、向こうから騒がしい音が聞こえてきて、嫌な予感がした。
 
隧道を抜けると予感は的中した。どうも、前回は誰もいなかった作業場の辺りで、重機を使って工事をしているようで通り抜けて先へ進むのは難しい状況だ。
 
 一旦青梅街道へ戻り、前回のルートで工事の向こう側へ行く事も可能だがとりあえずはダムを目指し、帰りに時間があれば探索を行う事とした。
第三氷川隧道の奥多摩駅側坑口左下には、情報通り御影石製の銘板が取り付けられていた。











 
写真はフラッシュの反射で読取り難いが実際には、「第三氷川 施工 熊谷組 昭和27年」とはっきり彫られている。
 
 銘板は大きさこそ、それ程大きくはないものの今も光を失わず実に立派なものだ。こんな所からもこの路線が単なる工事用軌道ではなく、旅客化を前提にしていた事が感じられる。
 
 既にこの隧道を通るのも3回目であり、足下を照らすライトも使わずさっさと抜けた。
 各隧道の銘板を撮影しながら、前回通った廃線跡を順調に進み、 あのガーター橋の袂にたどり着いた。



Fその先の景色へ

 






 
近づいてよく観察すると、緑色の塗装が残る橋梁自体はしっかりしていそうだが、レールは完全に撤去されており、見れば見るほど痩せた枕木は実に不安だ。しかし対岸までは僅か20m程である。手を伸せば届きそうな距離だ。
 
何故か、前回考えた谷下りのルートは頭からなくなり自然に足が一歩二歩と動くと、もう後戻りは出来ない。









 






 慎重に慎重にバランスを取りながら中央部分まで進むと、枕木の隙間が最も広い地帯になる。前後の間隔は50cm以上はあり、足を滑らせれば引っかかることは有り得なそうだ。
 
 下の様子も良く見えるが10m位はありそうでもし落ちれば…。
 
 しかし今の選択肢は先へ進む他にはなくさらに一歩二歩と…。
 
 無事両足が地面に着くと、非常な達成感に包まれたが、これでますます引き返す決心がつかなくなりそうで、危険な事だ。













 
 やはりというか、ガーター橋の先は訪れる人も少ないのか、今までよりもいっそう路面が荒れ、レールが埋もれている所も多い。
 
また、線路際に結構太い木が生えているところもあり、時間の流れを感じさせる。後で考えてみればこの辺りが全線で最も到達困難なエリアだと思われる。

 ほっとする間もなく、次の第二境隧道となる









 



 抗口手前の斜面が崩れて、レールは土砂に埋もれているが、銘板は確認できた。100メートルにも満たない隧道だが訪れた人は今までの隧道に比べて非常に少ないはずで、感慨深いものがある。
 
 しかしまだゴールは先である。気を引き締めて…と思った時。
 
 再び痩せた枕木が乗ったガーター橋が出現した。長さは前回よりやや長い程度だが、高さは比ではなく目が眩むほどで もし落ちれば…。なんて事はとても考えられない。

 橋梁の架かる谷は極めて急な断崖で、谷底迂回は到底不可能な感じだ。勢いでまず一歩を踏み出したが、足がガクガク震えその次の一歩が出なかった。












 一度は本気で引き返して、迂回ルートを探す事も考えたが、心を落ち着けて橋梁全体を観察すると、ここは枕木に対して木材が垂直に渡してある。
 
 これは恐らく人が歩いて渡りやすいように、と取り付けられたのだと思うが、現状では見るからに腐っており隙間だらけで、とても命を預ける気にはなれない。
 
 どういう訳か、レールがわずか10cm程の間隔で2本敷かれており、これも痩せた枕木の上にあるのだから、100%安全などとはとてもいえないのだろうが、ここを平均台のように歩いて渡るのが一番の攻略法と言えそうだ。





 






一度深呼吸をして、改めて一歩を踏み出した。序盤は岸から張り出した樹木が、ちょうど良い掴まり所になって、比較的安心して進めたが、それもなくなる頃にはもう後戻りは出来ない。
 
 どうすればいかにバランスを保ちながら進めるか考えた結果、四つん這いになって手でレールを掴みながら前進する事に決めた。こうすれば例え万が一レールを踏み外す事があっても、転落の危険性は低いと思われる。
 
 手足でレールの感触をしっかりと確かめながら本当にゆっくりゆっくり進み、 両手両足が地面に着いた時には心底ほっとした。
 
 手に着いた土を払いながら、先を見渡すと既に次の隧道が見えている。しかし今までとは少々様子が違うようだ。



G最長隧道







 この第三境隧道は、写真でもわかる通り、木製の枠の間に鉄条網を張り巡らしたバリケードが設置されている。「鉄道廃線跡を歩く」には「全てのトンネルには柵が設けられており」という記述があり、かつては今まで通りぬけてきた隧道にもバリケードがあったが、破壊されて跡形もないと言うことなのだろう。
 
 考えてみれば、こんな到達困難な隧道に柵があって、比較的手軽に訪れる事が出来る第〜小留浦隧道に柵が無いのも変な話だ。
 
 近づいてみると、こういった所の宿命か、バリケードの一区間だけすっかりと鉄条網が無くなっており容易に侵入出来そうだ。
 
 このような破壊行為は各地で見かけるが、どれも工具が無いと不可能だと思われる仕事ばかりだ。連中は最初から柵に穴を開ける事を想定して、工具持参で訪れるのだろうか。






 





 それよりも、取り付けられた看板には「高電圧危険」。
普通に考えればビビりそうな文句だが、それらしき電線も全く見当たらない状況では特に気にもならず、躊躇なく隧道に侵入した。まあ電圧云々よりも、そんなハッタリを使ってまで入って欲しくない何かがあると考えれば怖い事は怖いが。
 
当然ながら高電圧は無く、隧道内は今までと変わらず白さを保ったコンクリートが巻かれている。途中でカーブしているらしく、行く手に光は見えず久しぶりにライトが必要だ。











 

 途中には、退避所、一部分だけ素堀になっている所など、今までの隧道の特徴を兼ね揃えているが結構長そうであり、未だ出口は見えない。
 
 ふと後ろを振り返ると入口付近もカーブしていたようで、既に入り口の明かりも見えなくなった。
 
 こういう場所で後ろを見るのもかつては結構怖かったのだが、最近は大分慣れて平気だ。
  
 試しにライトを消してみると、周りは完全な闇である。写真では明るく写ってはいるが、なかなか出来ない体験である。















 
バラストを踏みしめる音だけが響く暗黒の洞内を進むと、やがて明かりが見えてきた。どうやら出口にもバリケードが設置されているようだが、脱出するのに問題はないだろう。
 
 この第三境隧道は通過に5分以上を要しており、500m程度はありそうだ。殆ど平坦に造られているとはいえ、蒸気機関車の運転には適しているとは思えず、電化の計画があったというのも頷ける。

 木材の枠だけになったバリケードをくぐり抜けると、その先にはさらなる衝撃の光景が…。


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