奥米隧道と奥米台隧道旧道(中編)

 君津市南部 三島ダム近くに存在する奥米隧道はその独特な雰囲気と比較的アクセスしやすい立地から、数ある房総の隧道の中でも良く知られた存在である。

 自分としては2008年に一度訪れたことがあるが、2012年10月末及び11月初旬に再訪して再探索を行った。

 また、すぐ先にある奥米台隧道には旧道が存在することを確認しており、こちらの踏破も目指したい。

 横穴の結末

 横穴に入ってから50m程度。

 まもなく上陸できる模様だが、どうも不穏な雰囲気。

 この状況は…。

 明らかに外部からもたらされたと思われる草木混じりの土砂によって、ほぼ閉塞している。
 
 しかしながら、外の光が見えておりここが出口となる。
  
 無理…

 外の日差しが差し込む開口部は高さ50cm程しかなく、脱出は相当に困難な模様。

 もっとも外に出た所で三島ダムの深淵へ一直線の可能性もあり無理する必要もないが。
 すっかり濁ってしまった水没横穴をザバザバと戻る。

 この横穴、一応であるが貫通している為、閉塞隧道特有のカビ臭さがなく空気が良いのが救い。

 あの匂いは外にでてからもなかなか取れず、相当に不愉快なものである。

 状況からしてこの穴はやはり水抜き用と思われるが、現状機能していないのは見てきた通り。

 奥米台隧道へ 

 鴨川側も君津側と同じく坑口付近のみ覆工が為されている。

 狭い水没横穴から這い出た身としては、薄暗い素掘り隧道も全くの快適空間である。
 
 鴨川側ポータル。

 こちら側も君津側とほぼ同じ造りだが、一部欠損していた君津側と違い扁額には「おくごめずいどう 昭和30年3月竣工としっかり刻まれている。

 なお、前回レポの通り、君津側の扁額には「奥」の字が欠損しているものの漢字で「奥米隧道」とあり、橋梁の親柱のような組み合わせとなっている。
 前のコマには、地元の小学校の名義で、「一人歩きはきけん」という看板が設置されており、こんな場所で子供が一人で…などと思ったりしたが、見ての通りしばらくは民家が続く。

 ここは子供であろうと奥米隧道を通らない限り君津方面へ行くことは難しい立地である。
 1km程進むと、次の奥米台隧道。

 雰囲気は先ほどの奥米隧道と似ているが、扁額には竣工昭和四十九年三月とあり19年ものタイムラグが存在する。

 そうなれば、当然旧道の存在が予想されるが、…もう見えちゃってます。
    

 旧道へ

 全面通行止

 この画像だけ見れば、普通の人が入り込むような状況とは思えず、君津市さんの「ここに旧道がありますよ」と教えてくれる親切心かというひねくれた見方をしてしまうくらいだが、実際この場所に立てば…何か見えませんか?。
  ドンと出ました完全素掘り隧道。

 一コマ前の画像ではハッキリ視認できないが、実際に「全面通行止」の看板の前に立てばこの50m程先にある隧道の存在は容易に確認できる。

 看板は「この隧道へ行くな」という意味か
 
   坑口 内部共に一切の覆工が為されていない(仮)旧奥米台隧道だが、内部は広く、ゆうゆうと2車線が確保できる程の幅員がある。

 ただ、この崩落具合を見る限り最初はもっと狭かったものが、内壁の崩落により自然に拡大したとみるがどうだろうか。
 
    化石

これは2008年3月の撮影だが、何度見ても衝撃的な隧道内の自転車「化石」

 今回(2012年10月)の再訪はコレを確認する意味もあったのだが、掘りだされたか、はたまた完全に埋もれてしまったか全く発見できなかった。
 

 廃道

 外は藪。

 ちなみに2008年の訪問時はこのすぐ先で強烈な藪と崩落にたじろぎ撤退しているが、果たして今回は?

 体力的なものはともかくとして、経験だけは積んだつもりではあるが。
    これは2008年3月撮影の君津側。

 比較する現在の方がとオデコの部分が多少崩れているようにも思えるが、あまり変化はないようだ。
   鴨川側坑口。

 こちら側の方が全体的に崩落が激しいようで、相当に幅広な状況になっている。

 右肩部分の土被りは元々薄いようで、今後大きな土砂崩れなどが発生すれば隧道全体が一気に崩壊する可能性もありそうで怖い。

 
 隧道を抜けるとこの風景。

 前述の通り、2008年時はここで引き返したが今日は心の準備が出来ている。

 荒々しい法面沿いの藪道と、比較的歩きやすそうな下って行く道に分かれるが正解は残念ながら?上の道。 

 ちなみに下って行く道は谷底の集落へと続く電線の保守道のようで、すぐ先に電柱で行き止まりになっている。

 最初の藪を突破すると多少視界が開け、倒木の連続する廃道となる。

 旧道はまだ始まったばかりだが、もはや路面状態が回復するとは思えない。


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