保台清澄連絡道路(遠沢新道)中編
数年前、「山いが」で紹介され、一躍有名になった千葉県鴨川市にある保台清澄連絡道路。。
素掘り隧道が連続する廃道は極めてインパクト大であったが、その正体はこれもまた「山いが」によれば「遠沢新道」という明治時代の馬車道であったという。

 二股

 前回最後のこの場面。

 事前情報無しでは途方に暮れそうな感じもあるが、辺りを良く観察すれば答えは見えてくる。
 正解は右。

 上の画像では解らないが二股の間の稜線上へルートは続いており、辺りを良く観察すればそれらしきマーカーも散見される。  
 マーカーに従って斜面を半ば強引に登るとついにこの場所。

 いつかネットで見た豪快な切り通しに到達。

 通り抜ける春の風が感慨深い。
 
 振り返れば正式ルートが。

 二股の右 左岸沿いにルートは続いており、元馬車道らしい大きなカーブで勾配を緩和して切り通しに達している。

 しかしながら、自分もそうしたようにマーカーにも誘われて斜面をショートカットする訪問者が殆どのようだ。

 清水切り通し 

 有名な「清水」の落書き?

 見ての通り結構低い位置にあり、初見でこれを発見するのにはかなりの観察力が必要だと思われる。

 
 反対側から見た切り通し。

 岩盤をスパッと切り抜いた姿が豪快だが、この後の隧道ラッシュを考えると、ここが切り通しになったのも不思議な所。
 保台清澄連絡道路、後半戦スタート。

 幾つもの隧道が連なる乾いた道程がいよいよ始まるが、途中には結構な難所も待ち受けるという。

 また、切り通しを抜けてすぐに方角が180°近く変わるる場所があるが正規ルートは良く踏まれており、ここも気をつけていれば問題ないであろう。
 切り通しから5分程で一号隧道へ。

 観音掘りと呼ばれる、日本古来の六角形断面が印象的である。

 出口は見えているが、それなりに長さはありそうだ。
 

 隧道たち

    内部へ。

 ちょっとライトが欲しくなりそうな長さである。
     中央近くまで進んでも、六角形の断面は続いている。

 それ程堅そうな岩盤ではないのだが(それゆえの隧道多発であろう)掘削から100年以上の月日を経ても殆ど崩れた感じがしない。
 しかしながら中央部分で大きな崩落が。

 幸い通行に問題は無く、天井が高くなった部分はコウモリの住処となっていた。


 この辺りは崩落と関係なく乾いた路面となっており、水が両側へ抜ける拝み勾配で掘られている。
     後半戦は再び湿った路面に。

 前コマ及びこのコマの五角形頭頂部の窪みは頂設導坑方式という上部から掘り下げていく伝統的な工法によってできたものなのだとか。
   無事に一号隧道突破。

 残りは7本?どんどん行きます。
   


 そして

    間髪入れずに二号隧道。

 この画像では解らないが、土被りは随分少なく、手前の雰囲気からも、切り通しになっていてもおかしくない感じだ。
   内部はやや縦長な雰囲気。

 特に崩れておらず、ライトも必要無い長さだ。

 しかし出口の先は…。
 出口はというと、山側からの崩落によって、歪な感じだが、現状通行に問題なし。

 坑口前は荒れた感じだが、その先は良く踏まれており、高低差の少ない道を快調に行く。
   
 3分程で三号隧道。

 ここも土被りが少なく見た目心配にもなるが、この状態で100年の月日を経てきた。

 

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