2012年夏只見線の現状と運休区間の復旧状況(前編) 

 只見線は福島県の会津若松駅と、新潟県の小出駅を結ぶ全長135.2kmの路線である。
 全線に渡って大きな町も無く、過去に廃止になったローカル線と比較してもその利用者の少なさは相当なものである。
 しかしながら、平行する国道252号の県境区間が一年の半分近い期間冬季閉鎖されることから「平行道路未整備」という理由で現在も廃止を逃れている。
 またその山深さ故、秋の紅葉、冬の豪雪を筆頭にその風光明媚ぶりでも知られ、鉄道ファンからの知名度は非常に高い。
 そんな只見線だが、2011年7月の豪雨災害により大きな被害を被り、2012年8月現在でも会津川口〜大白川間で運休が続いている。
(追記 2012年10月1日より只見〜大白川間復旧しました)
 その中でも只見〜大白川間に関しては、2012年内の復旧が見込まれており既に作業が進んでいるようだが、会津川口〜只見間は橋梁、路盤の流出等が多数発生し復旧の見込みは立っていないという。
 今回その状況の把握を含めて、小出側から沿線を回ってみた。
 また2012年7月下旬に復旧を果たした国道252号六十里越区間も併せてレポートする。

 なお特に表記の無い画像は2012年7月撮影です。 乗車数はhttp://www.jreast.co.jp/passenger/2011_04.htmlより転載

 まずは現在も列車が走る、大白川までの区間を駅中心に見てゆく。
前述の通り、只見線の起点は会津若松だが、今回は小出側から進む。



小出駅  新潟県魚沼市
駅全景 駅データ 
駅区分 旅客駅
開業年度 大正12年(1923)
キロ程 0.0
乗車数 883
名所案内 無し
 只見線の終点。

 上越線との接続駅。
 
 駅周辺にはホテル、数件の飲食店、スキー場が目立つ程度で、市街の中心部は魚野川を渡った対岸にある。

 (2012年3月撮影)  
      豪雪の駅構内

  右側に只見線ホームがあるのですが見えません。

 (2012年3月撮影)
 

旧駅舎(2007年1月撮影)

 雪国らしいストーブの灯る待合室や味のある売店、駅弁の販売やそば屋もある印象に残る駅だったが…。

     只見線は4、5番線から発着

 (2007年1月撮影)
     
市街地を避けるような位置で魚野川を渡った只見線は関越自動車道をアンダークロスすると破間川(あぶるまがわ)
に沿って北上する。


藪神駅  新潟県魚沼市
駅全景 駅データ
駅区分 無人
開業年度 1942(昭和17年)
キロ程 3.6
利用者数 
名所案内 無し
                        小型の「待合室型」駅舎は新潟県内の只見線無人駅の標準タイプだが、ここはログハウス風?で少々おしゃれである。
駅名票  新潟県内の只見線は細い横長タイプの独自の駅名票が設置されていたが、現在ではJR東日本標準タイプとなっている。
 
     2011年は只見線全通40周年の節目であったが、前述の通り運休区間の解消の目途が立たないのが現状である。
     旧タイプの駅名票。
 (2004年5月撮影)
藪神を出た只見線は破間川を渡り水田地帯を進む。


越後広瀬駅  新潟県魚沼市
駅全景 駅データ
駅区分 無人
キロ程 5.7 (2.1)
利用者数 
名所案内 無し
開業年度 1942年(昭和17年)
 昭和60年までは交換可能な有人駅だったこともあり、構内は広い。
 
 駅舎はかつてはもう少し横長だった模様である。

 駅前には今時珍しいグレーの公衆電話が現役だが、どれだけの利用があるのであろうか。
 
 三角屋根が雪国らしい。
駅名票  駅前から、国道291 352 252と3本の路線が分岐するが、いずれ劣らぬ険しい道程がまっている。
この周囲は魚沼産コシヒカリの産地であり、心なしか普通の水田も高貴なものに見えてくる。

               

魚沼田中駅  新潟県魚沼市
駅全景 駅データ
駅区分 無人
キロ程 8.2(2.5)
利用者数 
名所案内 無し
開業年度 1951(昭和26年)
 県道に面した駅。

 トタン張りの待合室はこの辺りの標準タイプだが、内部はきれいに管理されている。
駅名票  旧駅名票の基礎が残る。

 駅名票更新の理由だが、市町村合併で新潟県内の駅がすべて魚沼市になったことと関係ありそうだ。(以前は小出町 守門村 入広瀬村と書かれていた部分がペンキで塗りつぶされ、少々カッコ悪かった)

 最近の駅名票に地名が無いのもそんな理由があるのだろうか
   
藪神ダムを過ぎると平地が広がり、旧守門村の市街地が近づく
                                           
 

越後須原駅  新潟県魚沼市
駅全景 駅データ
駅区分 無人
キロ程 3.9 (12.1)
乗車数 61
名所案内 無し
開業年度 1942(昭和17年)
 旧守門村の中心駅。

 2010年まで簡易委託が行われていたが、現在は無人。

 旧駅事務室には医院が入居し週何日か診療が行われている。

駅名票  かつては交換設備があったが、現在では棒線駅となっている。

 イラストタイプの周辺案内が残るが退色が著しい。
     広い駅構内。

 ロッジ風の駅舎が示す通り近くには須原スキー場があるが、なかなかに経営は厳しいようである。

 他には、国道を渡った先にある目黒邸という国重要文化財に指定された豪農屋敷もある。
     始発の大白川行きが入線、と思いきやそのまま通過。

 良く見ればオデコに回送の文字。

 昨年の豪雨災害以来、小出5時台の列車は運休ということになっているが、実際には大白川からの折り返しになる列車が回送されている模様。

 客扱いしないのは大白川までの運行では乗客皆無だからということか。
 只見線は破間川とともに北上を続けるが、この辺りでは大分谷も狭くなり、渓谷の雰囲気も出てくる。


上条駅  新潟県魚沼市
駅全景 駅データ
駅区分 無人
キロ程 16.5 (4.4) 
利用者数 
名所案内 無し
開業年度1942(昭和17年)
 再びのトタン駅舎。

 周囲には住宅が点在するが、後ろに写っているような豪雪地帯特有の一階がガレージになっていて、二階から出入りするようになっている建物も多い。
駅名票  水田地帯のホーム。

 コンクリートブロックが埋め込まれていて今までの駅と少々雰囲気が違う。
 だんだんどーもというのはこの辺りの方言で「ようこそいらっしゃい」というような意味で、観光のキャッチフレーズにもなっているようだ。

 「只見線沿線元気会議」は今でも開催されており、最近では小出駅の建て直しなどについても話し合われたらしい。
 少し離れた場所に駅よりも数段大きなトイレがあるが、この駅は元来からの無人駅であったようだ。
只見線と国道252号はここから東に進路を変える。
国道は隧道とスノーシェッドを連ねて「池の峠」を越えるが、只見線は破間川沿い迂回して進み旧入広瀬村の中心部を目指す。

入広瀬駅  三重県津市
駅全景 駅データ
駅区分 無人
キロ程 19.6 (3.1)
乗車数 31
名所案内 無し
開業年度1942(昭和17年)
 越後須原と同様に2010年まで簡易委託が行われていたが、現在は無人。

 昭和63年築の「雪国観光会館」との合築となっている。

旧入広瀬村の中心部に位置し、旧役場、警察署、郵便局、小中学校などが近くにある。
駅名票  広い構内だが、棒線化されている。

 奥に見えるのは保線用の車庫であろうか。
「雪国観光会館」の中には、2039年11月5日に開封されるというタイムカプセルや雪国での生活に関する展示もあるが、半分程が只見線に関するコーナーとなっている。

 昔の切符、駅名票など一般的な展示が殆どだが、中央の石は六十里越トンネルの貫通石ということで、個人的には興味深かった。

 しかしながらの展示、自分は北海道の廃線駅に良くある「〜線の思い出コーナー」にしか見えない。

 本当にそうならないことを願うばかりである。
入広瀬の駅を出ると、只見線は国道をアンダーパスし、破間川を含めた三者の並走が再開する。


柿ノ木駅  新潟県魚沼市
駅全景 駅データ
駅区分 無人
キロ程 22.8 (3.2)
利用者数 
名所案内 無し
開業年度1951(昭和26年)
 この辺りの標準タイプの駅舎だが、つっかえ棒が印象的。

 中には旅ノートが置かれていた。             
駅名票  大白川側には山が迫る。

 この駅
は国鉄分割民営化まで、北海道以外では珍しい「仮乗降場」であった。

 仮乗降場には営業キロが設定されておらず、全国版の時刻表にも記載がなかったというが、今度古い時刻表で調べてみます。
     駅前には国道沿いに数件の古い民家が並ぶ。
破間川の谷はいよいよ険しくなり、只見線、国道共に隧道、スノーシェッドが連続する。


大白川駅  新潟県魚沼市
駅全景 駅データ
駅区分 無人
キロ程 26.0 (3.2)
乗車数 9
名所案内 無し
開業年度1942(昭和17年)
 新潟県側最後の駅、入広瀬自然活用センターとの合築駅舎となっているが、現在(自然活用センターとして)利用されているかは不明。

 看板の出ている手打ちそば 平石亭に関しては列車の来ない2012年7月現在でも営業している。
     2009年3月まではタブレットの交換の為駅員が配置されていたが、CTC化によって無人となり、簡易タイプの自動券売機が設置されている。

 スキー場のある大白川の集落とは離れており、周囲には数件の民家があるのみ。
     駅構内田子倉側

 前述の通り、2012年7月現在で、列車の運転はこの大白川までということになっているが、その先の線路も草に覆われることなく、信号機も点灯しており、復旧工事は進行しているようである。
     

 会津若松13時台発車の只見線は、この駅で10分程停車した為18キップシーズンにはホーム上もつかの間の賑わいを見せた。

 (2007年3月撮影)
     

 冬には豪雪に覆われる駅だが、駅前はしっかりと除雪が為されていた。

 (2008年1月撮影)
   
 会津若松行きと小出行きの交換。

 この区間が復旧してもタブレットの交換シーンを見ることは既に叶わない。

 (2008年1月撮影)


 大白川〜田子倉


 現在この大白川〜只見の区間は前述の通り運休が続いているが、年内の復旧が発表されており、線路の除草も行きとどいている。

 この画像も良く見れば、大白川側の信号機が点灯しているのが解る。

 マウスオーバーで拡大します。
 
 無人の峠区間を貫く一条の鉄路。

 かつて憧れた北海道の旧深名線もこのような雰囲気であったのであろうか。


 
 只見線は破間川の支流、末広川を何度も渡りながら徐々に標高を上げ、峠の田子倉トンネルを目指す。

 この橋梁にはイワナ?のイラストが書かれていたが列車から見えないのは言うまでもない。
    国道252号の峠区間は12月初旬〜5月一杯位までは冬季閉鎖となり、除雪も行われない。

 周知の通り、この事が只見線が今も存続する大きな要因となっている。

             (2007年3月撮影)
 六十里越

標高500m位で在来線では有数の長さを誇る田子倉トンネル(6359m)に入る只見線に対して、国道252号は標高760m位の地点から約788.5mの六十里越トンネルで県境を越える。

 この日は、水害から約一年続いた国道の通行止めが解除されたばかりで、県境を越える車、バイクは非常に多かった。
 
峠を越え、福島県側に入ってもスノーシェッドが連続する国道252号

  現状では例年五月中旬以降になり、残雪がほぼ無くなってからしか開通しないのだが、いつかは通年通行可能になることを目指しているのであろう。

 そのとき、大義名分の失われた只見線の運命やいかに。
   これは、県境を越え、福島県側に少し進んだ所にある、元総理 田中角栄氏による国道の開通記念碑。

「会津の窓開く 六十里越峠開道記念碑
 内閣総理大臣 田中角栄 昭和48年9月」


 とあるが、六十里越「峠」という表記はちょっとどうなのかと思う所であるが、完全に間違いというわけでもない模様。

    上の画像の記念碑付近から見た田子倉湖。

 どこまでも続く緑が印象的。
 
 この画像にはないが、標高700mも無いこの辺りでも7月も末というのに山肌には雪渓が見られ、冬季の驚異的な豪雪ぶりを実感する。
    残雪期の田子倉湖

 上の画像よりも大分水位が高い。 


  (2008年4月撮影)
    右手に田子倉湖を見ながら峠道を5km程豪快に下ると、一旦地形が穏やかになり、谷の向こう側に田子倉駅へと続く只見線のスノーシェッドが見えてくる。

 さらに進むと、現在閉鎖されている田子倉休憩所と六十里越トンネルの出口のある平地に出る。
   早春の田子倉トンネルを抜けた只見線

           2008年4月撮影



田子倉駅  福島県南会津郡只見町
駅全景 駅データ
駅区分 無人
キロ程 40.2 (14.2)
利用者数 
名所案内 浅草岳 鬼ヶ面山 田子倉ダム
開業年度1971(昭和46年)
 田子倉トンネルを抜けた約標高600m地点にある臨時駅。

 周囲に民家は無く12月〜3月の間は全列車が通過する。(2012年10月1日より只見〜大白川間復旧しましたが田子倉は全列車通過で廃止が検討されているとのことです)
     薄暗い階段を下ると、スノーシェルターに覆われたホームへ。

 看板、釣り、ボートの皆さまへという内容で、鉄道利用者には縁遠そうな内容である。
     駅名票は新潟県側と同じくJR東日本標準のものとなっている。

 現状列車はやって来ないが、レールを良く見れば、踏面にはかすかな輝きが見られるが、これは作業用の軌陸車によるものか(マウスオーバーで表示します)
     旧駅名票

 2004年5月撮影
     この沿線では珍しい名所案内。

 恐らく開業当時からあるものか。

 徒歩で簡単には行けない場所ばかりだが、田子倉湖に関しては峠方面へ10分程登ると絶景ポイントに到達できる。
     スカスカの時刻表には、列車運休の案等無いが、間違えてここで列車を待つ人も想像できない。
     只見線福島県側名物?

 キケン あぶないですからセンロをあるかないでください。

 都市部では考えられないことだが、かつては日常的に線路を歩いていた人がいるのであろう。
 
 なお此処だけではなく沿線各所に設置されている。
      2008年4月撮影

  この年は積雪が少なかったようです。

 この先只見線は長大な田子倉トンネルで一気に標高を下げ只見駅を目指すが、その坑口付近の土砂崩れはほぼ復旧された模様。
中編(只見〜会津川口へ)