飯田線旧線夏焼地区 第二、第三難波隧道      
 


 昭和30年の佐久間ダム完成による線路付け替えが行われた飯田線、中部天竜〜大嵐間。その大部分は湖底に沈んでいる。
 そんな中で、大嵐駅手前に位置する水没を逃れた夏焼隧道は道路に転用され、その長さと雰囲気から廃線界隈では非常に有名な存在である。
 その先にも当然旧線跡は続いており、数多くの廃隧道もあるはずだが、アプローチルートの県道288号が強烈な廃道の上に、ダムの渇水期しか顔を出さないとあって情報は少ないのが現実だ。

 夏焼ゲート



 飯田線大嵐駅から、栃ヶ岳隧道、夏焼隧道を経て到達した、この県道288号の通行止ゲート。

 ここを訪れたのは自身3回目だが、今日はちょっと目的が違う。




 この県道288号廃道区間を歩くのは一昨年夏に続いて2度目だが、今日のターゲットは先にも述べたように渇水期に水面から顔を出すはずの飯田線旧線の遺構である。
 
 大小の落石が散乱する廃道を下を気にしながら進んで行くが、やはり水位は結構低いようで、さらに落葉した斜面は見通しもよく、今日は期待が持てそうだ。



 夏焼隧道を出た飯田線旧線は、多くの隧道を連ねて天竜川の深い谷の崖っぷちを進んでいた筈で、その遺構もすぐに見つかるのではないかと思っていたが、或いは見落としているのか、なかなか発見できず落ち葉が積もった廃道をガサガサと進む。

 既に時間は16時半を過ぎており、まだまだ日の短い2月中旬ゆえ早く発見が欲しいところだ。

そして

歩き始めて15分後、半分埋もれた隧道発見。

写真に写っている範囲ならばどうにか下っていけそうではあるが、県道のガードレールのすぐ下は垂直に近いコンクリート擁壁になっており、とても降りることはできない。

 とりあえず降りられる場所を探して進む。

なお探索時は分からなかったがこれは「第二難波隧道」である。

 第二難波隧道



先ほどの地点から50m程進んだ所で、路肩のコンクリート壁は途切れ、なんとか下れそうだ。


斜面は急だが、草木の掴まりどころが豊富でそれ程難しくは無い。



 夏焼方面に戻る方向にゆっくりと下りながら進んで行くと、やがて隧道が見えてきた。

 既に夕暮れが近づき、写真の光量も不足しがちだが、あせらずに下ってゆく。

 なおこの隧道との関連は不明だが、こんな所でも踏み跡はあり、人は入っているようだ。



 最初の写真の看板の下まで降りてきた。

 ガードレールが見える県道との高低差がご覧いただけるであろうか。

 ここから見れば普通に見える頭上の道も荒廃した廃道であるのは今まで見てきた通りである。

 なおダム側に向けて立つ「36」は天竜川を航行する船舶に向けてのものか

 振り向けば第二難波隧道は目の前。

 抗口は全体の4分の3以上は堆積した泥に埋もれており、ダム水位によっては水面下に没することもあるようだが、泥の上に草が生えている所から、ここまで水位が上がる事は少ないように思える。

 バリケードの残骸のような鉄の棒も見えるが、ここまで来る人はさすがに多くはないだろう。

 内部へ


さて内部だが既にに出口が見えており、全長は50m足らずといった所か。

 静まり返った洞内にはカビ臭い空気が漂っており、居心地は良くない。

 分厚く積もった泥はしっかり乾いており、進むのに問題は無い。


 振り返って撮影。

 流木や草木の枝に交じって、ペットボトルや得体のしれない袋など、各種のゴミが目につくが、当然ながらここで捨てられたわけではなく、水没している時期に流れ込んだものであろう。



 僅かに開口した夏焼側抗口

 草木が溜まった出口の手前斜面はふかふかしているが、なにが埋まっているのか分からず相当に気味が悪い。

 そして外の風景。

 橋台と橋脚が見えるが、これ以上進む手段は無い。

 白く見える所は満水位で水没する範囲であろうから、時期によってはこの辺りは水面ギリギリになるのであろう。

 ちなみにこの橋梁は「松沢橋梁」のようだ。

 外の風景は



 振り返って夏焼側抗口。

 スペースが無く引いた写真が撮れない上に、どういうわけか携帯でしか撮影しておらず、低品質な写真で申し訳ないのだが、佐久間側抗口とは違いコンクリートポータルは全く原型を留めておらず、崩れた斜面にギリギリ開口している感じだ。




 引き返して佐久間方面へ進んで見る。

 旧線の路盤は土砂にの下に埋もれており、どこを通っていたのかすら定かで無いので、歩きやすいやや上部を進んで見たが、写真の場所のような危険個所も少なくなく、時間も無いので、この先は次回の宿題とする。

し、夏焼方面へ戻る。

 夕暮れが近いのもあるが、どうにも見落としがあるような気がしてならないのである。

 謎の「下山中」だが、下山中学校生徒の落書きではなく、この先旧白神駅周辺に「下山中」という地名が存在したようだ。





 先ほどの第二難波隧道の上を再び通過し、この地点。

 ここからならより容易に隧道へと降りられた筈で、少し悔しい。
 

 第三難波隧道



 やはり見落としていていた。
 
第二難波隧道から100m程戻った地点で隧道発見。
 

これが第三難波隧道であろう。旧線はこの先現在道路に転用されている「夏焼隧道」「栃ヶ岳隧道」をへて大嵐駅に至るルートをとっていた。


 しかしここから直接降りるのはちょっと自分の実力では無理そうだ。



 廃道入口のゲートの100m程先にある小屋の裏手に踏み跡があり、ここが先ほど第三難波隧道から見た松沢橋梁の橋脚の辺りに続いているようだ。

 斜面は相当急だが、なんとか降りてみる。



 下に見えるのは淀んだ色の水面で結構怖い場面だが、斜面に生える木に掴まりながら、最後は残されていた怪しげなトラロープの助けも借りてゆっくり降りてゆく。

 こんな所でも来る人はやはりいるようだ。



 なんとか旧線と同レベルまで降りて見えたのがこの風景。

 松沢橋梁を挟んで先ほど顔を出した第三難波隧道の夏焼側抗口が見える。

 それにしてもこの水位の下がり方。斜面が白くなっている所がダムの満水位だとすれば、今日は軽く20mは低くなっているように思える。

 
抗口へズームアップ。

 ほんの15分前にいた場所だが、一歩も外に出ることの出来ないクリティカルさがお解りいただけるであろう。

 存在したはずのコンクリートポータルは全く失われているが、右下の四角いコンクリート塊はその一部であろうか。


 さて、振り返れば第三難波隧道は目の前のはず…。

  2010年3月 第三難波隧道 探索しました




だったのだが、ここからさらに急斜面をトラバースしなければ到達できない場所へ降りたようだ。

 写真無しで申し訳ないが、ちょっと実力以上な感じだったので無理しなかった。

 いづれ再訪して別ルートを探すかは検討中である。

 なお、第三難波隧道の夏焼側抗口は崩落で埋もれ現存しないようだ。

 写真は廃道入口から見える、飯田線の旧線時代から現在に至るまでこの場所を見下ろしてきた夏焼集落。
 このような山深い地でも人々の暮らしはしっかりと営まれている。