小和田駅脱出計画(後編) |
飯田線小和田駅、昭和31年の佐久間ダム完成で孤立化し、車道が通じておらず徒歩以外では駅に到達できないとされる超有名「秘境駅」である。1999年頃一度列車で訪れたことがあるが、その時はあまりの人気の無さに恐れをなして大して散策もせずすぐに駅舎へ戻ってしまった。
しかし、今ならばそんなことは無く前回の雪辱が果たせそうだ。
ネット上の情報では坂道を登りに登って天竜川林道までたどり着くのは不可能でないようだが、いかんせん徒歩ではその先、次の大嵐駅、中井侍駅、直線で結ばれる水窪駅まで行くのは困難なようだ。
それならば小和田駅へ輪行して、自転車を抱えて林道へ上がりそこからは舗装路を快走しようと思う。逆も考えられるが、林道にある入り口を見つけるのは困難そうだし、急坂は登りよりも下りのほうがはるかに危険だ。
そういうわけで、自転車に乗り始めた頃から考えていた、「小和田駅脱出計画」が遂に実行される時がきた。
4年後の2009年8月4日に再び小和田駅を訪れ、周辺の詳細な探索を行ったので、4年間での変化及び初回に見落とした所の補完を加えながらレポートします。
基本的に黒枠の画像が2004年のもの、そうでないのが2009年のものとします。旧バージョンはこちら
連絡道 |
再び杉の植林地の中を行く急勾配の登りという、小和田道「らしい」場所に戻ってきた。 これからはしばらくの間、こんな風景が続く事をお伝えしておく。 延々と続く階段と自転車の組み合わせ。 普通に考えれば、なんと非効率な事かといった感じだが、ここ小和田駅周辺を探索し、その後駅に戻らず別の場所に向かうのであれば自転車は実に役に立つ。。 しかもここまで登ってきても担いだ所は殆ど無く、徒歩感覚の押しで進める所が大半を占めている。 少しネットで調べた所小和田への輪行記録は他にも見つかり、やはり同じことを考える人はいるようだ。 左に未舗装の分岐を発見。 いかにも山仕事の為の作業道といった感じの道だが、踏み跡は鮮明で結構利用されている様子がうかがえる。 いつもならばこのような得体の知れない道には入って行かないのだが(大概行き止まり)、今日はある考えがあってこちらへ進む。 良く見れば、この道は石垣がしっかりと組まれていて単なる作業道といった感じはせず、かなり昔から維持管理されているように思える。 方角的には、東の方向へやや下り基調で進んでおり、ということは…。 |
謎の小屋 |
未舗装の道は200m程で、予想通りコンクリート舗装の道にぶつかった。 そう、ここは間違いなく前々回のレポで別れた南小和田道であろう。 北小和田道については天竜川林道に出るまで前回の探索で攻略済みであるので、今回はここから南小和田道を行く。 振り返るとこんな感じである。 法面と路肩に荒いながらもしっかりとした石垣が組まれた道の「規格」は小和田道のそれを上回る程で、小和田道もコンクリート舗装がなされる前はこんな雰囲気だったのだろうか。 急勾配が続く筈の南小和田道だが、この辺りは珍しく緩やかな登りになっている。 周囲の杉は実によく手入れされており、林業関係者の往来は多そうだ。 この場所は薄暗いイメージがある杉の植林地にしては、日当たり良好で乾いた感じである。 先に何か見えるが…。 一コマ前で遠くに見えたのは、見るからに老朽化した木造の小屋だった。 よくある単なる作業小屋かと思ったが。 何と WC こんな観光地でもない場所にトイレがあるのも謎だが、「WC」という表記はさらに謎だ。 それよりこんな車道から遠く離れた場所で誰が管理していたのかも謎だ。謎が謎を呼ぶ「WC」だが、建物自体が変形していて戸が開かず使用できない。 しかもここには写っていないが、後ろ側は崖っぷちにせり出すように建てられていて、下手に入った日には最悪建物ごと崖下に転落する可能性すらありそうだ。 |
林道へ |
再び急勾配の登りが再開する。 先にも書いたがこの金網を滑り止めに使用するアイデアは素晴らしく、靴自転車共々非常に良くグリップして安心して進める。 すごい九十九折れがご覧いただけるであろうか。 徒歩でなら斜面をショートカットして進むことも不可能ではない感じだが、自転車同伴の身ではそういう訳にもいかず黙々と九十九折れに従って登って行くほかに無い。 ついに頭上に林道のガードレールが見えてきた。 現在時刻11時44分、ここまでなんと3時間半近くを要したが、その苦労もようやく報われる時が来る。 最後の階段を一歩一歩踏みしめて進む。 画像ではわかりづらいが最後の最後に来てこの辺りの階段の勾配は半端でなく、今までで一番と言えるほどだ。 |
塩沢集落 |
ついに天竜川林道へと到達。 久しぶりの平坦な場所が新鮮だ。 過去に一度来た事がある場所であるが、なにか違う。 2005年の同一地点 上の画像と良く見比べて欲しい。 そう、良い目印だった営林署のリスの書かれた看板がなくなっているではないか。 人為的なものか、自然に取れたのかは不明だが残念である。なお、この場所の目印としては、道の反対側に「道路情報連絡所」なるボロい掲示板があるので参考までに。 これは2005年に撮影した北小和田道の終点である。 ここは先ほどの地点から200m程天竜川林道を北へ進んだ所にあるが、特に目印という程のものは無く少々解りにくい。 5分も進まない内に塩沢集落に到達する。 集落は結構大きく、林道を少し進んだ地点からは急斜面のはるか上まで民家が建ち茶畑が広がる様子を見ることができる。 この山深い地にも多くの人々の暮らしが営まれている。 さて、ここからどうするかだが、この後は大嵐、水窪、中井侍のいずれかの駅に到達して、平岡方面の列車で輪行したいと考えていた。 最も距離が短いのは前回も利用した西山林道経由の大嵐駅で、その次が天竜川林道を北上しての中井侍駅、見どころの多そうな大津峠を経由しての水窪駅は今回は時間的に厳しそうだ。 既に列車の到着まではいづれの駅を利用するにしても1時間半を切っており、結局前回と同じ大嵐駅方面へと向かった。 しかしこれが最良の判断だったかというと…。 前回の探索時は、林道に入ってからはスムースに進んだような記憶があったが、実際には登りが延々と続き意外に楽でない。 恐らく中井侍方面へ進めば、殆ど下り一本で到達できたと思われる。しかし目指す大嵐駅も標高的には小和田駅と同じくらいで、いずれは道も下りになるはずなので我慢して進む。 画像は門谷集落付近で、一度はほぼ無人になったとされる門谷集落だが、新しい小屋が建っていた。 |
西山林道 |
天竜川林道に入ってから約40分、ようやく西山林道への分岐点へ到達。 ちなみに←長野県の標識が今来た塩沢集落方面、←愛知県が西山林道経由大嵐方面になっている。 ちなみに2005年のレポでは 「しかしこの標識は何だろう。水窪市街は良いとしても、愛知県 長野県とは、この辺りには地名が無いのだろうか」 と書いたが今良く考えれば、「愛知県」は大嵐駅もしくは富山、「長野県」は平岡あたりが妥当な所か。 ようやく西山林道に入り、道は一気に下りに変わる。 西山林道は新しい道で全面舗装の上幅員もそれなりだが、落石多数に加え急カーブが続き通行には注意を要する。なお今日は途中で中部電力の車と一台すれ違ったが、一般的な通行は非常に少ないと思われる。 しかし大嵐駅の列車の時刻までは残り40分足らず。果たして間に合うか。 わずか5km足らずで300mの標高差を下る急勾配は半端でなく、あっという間に飯田線と同じ所まで下りてきた。 時計を見ればなんとか列車の時刻にも間に合いそうだ。 駅の手前で見つけた「大嵐峡」の看板。 ここは小和田の辺りよりもさらに下流にあたり、天竜川のダム湖特有のグリーンの水面にはあまり動きも感じられない。 そんなわけでいまは全く「峡」といった感じではないが、佐久間ダム完成前からの呼び名なのであろうか。 西山林道に入ってから僅か20分ほどで、県道288号に合流する。 恐らく永遠に変わる事は無いと思われる通行止めが示す通り、いわく付きの県道288号だがこの旧富山村と大嵐駅を結ぶ区間は生活に密着した非常に重要な路線になっている。 列車の時刻まで20分程を残して、12時50分大嵐駅に到達。正面の時計は動いて無いようだ。 小和田駅に降り立ってから4時間半もの時間を要したが、それ相応の成果は挙げられたと思う。 「何もない」のが売りのはずの小和田駅の魅力を少しでも伝えらたなら幸いである。 もう少し、続きます…。 |
その先の風景 |
ここからはおまけです。 大嵐駅から先、中部天竜方面の県道288号はどうなっているかというと、佐久間ダム完成により切り替えられた飯田線の旧線を転用した道になっており、この夏焼隧道は全長1000mを越える長さを誇っている。 内部はというと下半分が素掘になっていて恐ろしげなムードもあるが、車の往来は殆どなく明かりもしっかり灯っているので、安心して通り抜けることができる。 2010年冬版 夏焼隧道レポへ 交通量が少ないのも当然で、夏焼隧道の先には隧道名の由来の夏焼集落があるのみで、県道288号はすぐに通行止めとなっている。 この先の旧飯田線レポ 第二 第三難波隧道編へ 第三難波隧道解明編へ 気になる通行止めの先はというと、約18km先の佐久間ダムまで延々と通行困難な道が続いている。 ここを近年完全に通りぬけた人はいったいどれ位いるのであろうか? 2008年7月、2009年3月に探索を行った結果は、こちら |